ゴミ屋敷と 認知症の母との奮闘記

ゴミ屋敷と 認知症の母との奮闘記

2011年、母の認知症に気づいてから、2017年に看取るまでの闘いと葛藤を、記録のため、そして同じ思いで苦しんでいる人の参考に少しでもなればと、今まで書き続けていた別のブログから、介護日記だけを抜粋し、過去からさかのぼって作り直しました。

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もうあの日から一ヶ月。。
先週、ちょうど三週間目の7月8日土曜日、身内だけで火葬式をしました。





そして週末、グループホームの荷物をすべて出して、退去の手続きをしてきました。
こないだ入居の手続きしたのに、もう退去。。。




色々お世話になり、ありがとうございましたと感謝を告げると、ホーム長さんも、
「あまりに突然のことで、、、あのまま、もう会えないのかとスタッフもショックを受けていたので、戻って来てくださって本当に良かったです。スタッフ全員、ようこさんに会うことができたし、私たちも嬉しかったです。一番若いのにすごく大人で、お手伝いも色々してくださっていたから、、、、今でも毎日ようこさんの話をしているんですよ」と答えてくれた。

「そういえば、亡くなる2ヶ月くらい前から、娘さんのことをすごく気にかけ始めて、お金のことを心配したりしていたから、もしかしたら、どこかでわかっていたんじゃないかしら、、」、、なんて話もでていたそうだ。




そうか、。。。




実は、、

現実的でクールな母が、なんであんなに頑張って生きようとしたんだろう、、ってずっと考えていたの。


歳を取って醜くなることを嫌悪した母
認知症が進んで惨めな思いをしたくないと思い続けた母
食べられなくなったら死んだ方がいいと言っていた母

あの状態で生きたいと思うはずがない母が、なんであんなに頑張っていたんだろう、、、って。



「あたしはもういいかな〜。せっかくホーム入れてもらって悪いけど、しっかりしてるうちに逝かせてもらうよ。んじゃ、お先に失礼〜〜

母は絶対そういう人だ。。





山場と言われた最初の三日を乗り越え、熱が出てまた危ないと言われた翌週も乗り越え、このまま長くなるかもしれないと言われた時は、本当に悩んだ。
わざと困らせてるのかと思ったりもした。。。


元気なら、、、、今までのように笑顔が見れるなら、、治療したと思う。
でも、意識のない状態が続くか、、もし、頑張ってよくなったとしても、半身麻痺、食事も出来ず、まともに喋ることもできない可能性が高いあの状態で、プライドの高い母が生きたいと思うことは絶対無い。



じゃあ、なぜ?

私の選択は間違っているの?本当はもっと生きたいの?
もし生きたかったら、ね、お願い!夢に出て来てでも、私にそう伝えて!と願った。



でも、母が夢に出てくることもなく、、導かれるように看取り介護をするため、グループホームに戻って来た。






認知症が発覚してからの母には本当に苦労したけれど、いつからか、必ず、私たちにとって一番良い方向に進んでいるんだと信じるようになった。
母が骨折して、私が世話をすることが多くなっても、ホームが空いて、入居することになっても。。。
いつもいつもどこかで、ちゃんと良い方向に導かれてるんだという思いがあった。
(なんかね、いつも亡き父が助けてくれてるような気がしたんだ)

だから、流れる方向でいいんだと、、いいはずなんだと、、





そして、スタッフさんの話を聞いていて、確信した。





母は私に伝えたかったんだ。

もう喋ることができないから、、、、

ホームのスタッフさんを通して



 

娘をとても愛していたこと、みんなに感謝していたことを。。。








ホームでの三日間、、、たった三日間だったけど、
スタッフさんから、私の知らない母の事を色々聞かせてもらった。
ここに戻って来て、こういう時間がなければ、聞くことはなかっただろう。

特に二日目の夜は、偶然、母の担当のスタッフさんが夜勤だったので、彼女だけが知っていた母の本音を、みんなが眠っていた静かな深夜、、、たくさん話してくれた。


いつも私に会いたがっていたこと、娘に会いたいけど、今更どうやって接していいかわからないと悩んでたこと、お金が少しでもあるなら残してやりたいと言っていたこと、そして、みんなに感謝してるって言ってたこと、、、





私は母が倒れて二日目に、ありがとうって言わなきゃ!!って思って、母の耳元にそれを伝えられた。。。

きっとあの時、母は聞こえてたんだ。。。

でももう動けなくて、、、喋れなかったから、、、、


なんとか私に伝えようと、意地でも頑張って生きて、

ホームに帰って来て、、、

スタッフさんから母の気持ちが私に届き、

翌日、旅立つ衣装を決めて、、

そうしてやっと逝けたんだね。。。





ったく、、母らしい。。。








もっと早く言ってくれたら、たくさん会いに行ったのに。。。
大丈夫だよ、充分だよ、私も感謝してるよと言えたのに。。。。





元気にもっと生きててほしかった。。。







不思議なもんで、あんなに大変で辛かった日々も、終ってしまえば、愛おしいほど懐かしい。





ものすごい意地っ張りの母と、その血を引いた私が、最後の最後になんとかわかり合えて良かったのかな。。




私はなんだかぽっかり穴が空いてしまって、今、少し生き方がわからなくなっているけれど、、、


ぼちぼち日常に戻っていかなきゃね。。。



 

そして7月6日、4日目の朝、夕べと打って変わって、とても容態が悪いと午前中に電話が来た。



宵っ張りで朝が弱い母の体調が、こういうときも出るんだなぁと思いながら、そういわれて今まで何度も超えて来たので、今回も大丈夫かなと思っていたところ、、、
お昼に再度急変を知らせる電話が来て、急いでホームに着いた時

母はもう、、、、静かに眠っていた。。。。






ホーム長さんがずっと手を握っていてくださったそうだ。



「穏やかでした。。。とても。。。少しずつ呼吸の数が減っていって、静かに、、、消えるように、、、呼吸が止まりました。。。」





そうか、、、良かった。。。


苦しまなくて、、、、、



母の事だから、私には死に際を見せずに逝くかもな、、って思ってたから、、、
それならそれでいい。



だって、、



ひとりぼっちじゃなかったからね。

スタッフさんがいっぱいいる時間で、訪問看護師さんもいらして、みんなに囲まれてたもんね。

昨夜、たくさん喋ったもんね。

洋服、選んでおいて良かったよね。








ホームはちょうどお昼時で、リビングからは賑やかな日常が聞こえたけど、そんな中でスタッフさんが全員、代わる代わるさよならを言いに来てくれた。




母の名を呼んで、、
手を握って、、思い出を語ってくれたり、お礼を言ってくれたり、たくさん褒めてくれたり。。。




スタッフさんたちの優しさに涙が出る。。。








訪問看護師によって、綺麗にお化粧してもらって、昨夜選んだお出かけ着に着替えると、グループホームのスタッフだけでなく、併設している特養のスタッフや職員の皆さん全員がエントランスに集まり、お見送りをしてくれた。
総勢50名くらいいただろうか。。。




あのまま一人暮らしをしていたら、こんなことあり得なかった。


逝く母の為に涙を流す人は私以外にいなかっただろう。。。


もし療養病院に転院していたら、もっと長生き出来たけど、こんなにたくさんの人達に愛情をもって見送られる事はなかっただろう。






母が亡くなった悲しみより、母の為に一生懸命介護して、泣いてくれたスタッフさん、
職員全員集めて見送りをしてくれた施設の心意気が、嬉しくてありがたくて、、涙が止まらなかった。。。






母にありがとう

ホームにありがとう

介護スタッフさんにありがとう

支えてくれた親戚にありがとう

応援して励ましてくれた友人にありがとう






悲しみより、人の温かさに包まれて、、、

ありがとうでいっぱいの一日になりました。
 

 

ホームでは、スタッフさんが多い日中はお任せして、夜勤スタッフ一人しかいなくなる夜中にサポートを兼ねて面会に行くことにした。



日中は、訪問看護師が来て、痰を取ったり、スタッフさんに色々ケアのアドバイスをくれていたようだ。
身体や口の中を綺麗にしたり、褥瘡を防ぐ為に二時間に一度必ず体位変更をしてくれたり、バイタルチェックもまめに行いながら、いつものようにたくさん声をかけてくれていた。





7月4日、二日目の夜は、母の担当スタッフさんが夜勤だった。
他の利用者さんのケアの合間に母の部屋に来ては、母との思い出話を色々聞かせてくれた。



「ようこさん、よく夜中に「お腹空いた〜、ご飯食べてないー」って起きて来て、一緒に甘いコーヒー飲んだりしたんだよね〜」と、母が好きだった甘いコーヒーを入れて持って来てくれた。



「あのねー、こんな事言ったらようこさんに起こられちゃうかもしれないけど、、
『あたし、若い頃あんまりあの子に構ってやらなかったから、今なんかしてやりたいんだけど、、、どうやって接して良いかわからないんだよねー。。』
『娘には会いたいけど、言えないよ、、迷惑かけたくないし。あの子にはあの子の生活があるから。。』
『年金が少しでも残ってるなら、あの子に残してやりたい。苦労かけて申し訳ない』
、、ってよく仰ってたんですよ。」




え〜〜?、、私の顔見ると文句ばっかりで、ほんっと会うのが憂鬱になる母でしたよ。。。



「もう、、ようこさんは、本当は寂しがり屋なんだけど、すごく意地っ張りだから、恥ずかしくて言えなんですよー。。。娘さんにはいつも会いたがっていました。本当に娘さんの事いつも想ってらしたと思います。」





そんなこと、、、、、今更言わないでよ、、泣けてくる、、、。





担当のスタッフさん、若い方なので、あの母の事だから馬鹿にして意地悪でもしてるんじゃないかとすごく心配していたのだけど、、、
「いえいえ、むしろ娘(孫?)のように可愛がってくれて、たくさんお喋りしてくれたんですよ〜」

「(母が倒れた)あの日も前日もお休みしていて、出勤したらこんなことになっていて、、、すごくショックで、、、。亡くなるかもしれないとか、転院するかもしれないって聞いて、もうこのまま会えないのかと思ったらすごく寂しかったんです、、、だから会えて良かった、戻って来てくれて良かった。。。ホームに戻って来てくれて本当にありがとう」と涙ぐんでお礼まで言ってくれた。



その日も私は泊まる覚悟で行ったけれど、彼女は特養で技術を磨いた人で、グループホームのスタッフにはちょっときついと思われる、母のような寝たきりの介護も上手に手際良くやっていたので、翌日仕事だった私は、安心してその日帰らせて貰ってゆっくり休む事にした。








3日目の夜も、同じように夜勤のスタッフさんが、度々部屋に来てはお話ししてくれた。


「ようこさん、夜中に『ご飯食べたっけ〜?』ってちらっとこちら(キッチン)を覗くのよ。だから『食べたわよ〜』って言うんだけどね、、、そのまま緑茶を入れて、お煎餅を食べてよくお喋りしたのよ。お買い物のときもね、彼女、チャキチャキで、冗談が好きで、楽しかったわね〜〜!」


毎度みんないろんな思い出話をしてくれる。
母に話しかけながら、楽しそうに、懐かしそうに。。。。






しかし、、宵っ張りだった母は、やっぱり夜中ゴソゴソ起きてたんだな〜、、、(^。^;)

でも、みんながちゃんと相手してくれて、結構幸せだったんじゃん。





日常のお買い物の話や、お料理をいっぱい手伝っていた話や、イベントで張り切ってた話や、仲良しさんが出来て、いたずら2人組が出来かけていた事や、、、、

姉御肌でムードメーカーで、スタッフの人気者だったんですよ!って言ってもらえて、なんか嬉しかった。



一人が好きなんだ!ほっといてくれ!
ホームなんてまっぴらごめんだ、そんなとこ入るくらいなら死んでやる!!


と言っていた母が、本当は寂しがり屋だってみんなにばれてて、上手に相手をしてもらって、日々穏やかになって馴染んでいけたんだ。。。
ホームに入れた頃は、眠れないほど心配したけど、、、良かった。。。。。





今朝は血中酸素も下がり、血圧も下がり、ちょっと調子が悪そうだったらしいけど、夜には血中酸素も90近く戻り、熱も平熱になり、とても穏やかに見えた。

普通にいびきをかいて寝てるみたいで、このまま「喉乾いた〜お腹空いた〜!」って言いながら起きてきそうだった。



私は一緒にテレビを観たり、アルバムを開いてみたり、(最期に着る服を用意してと言われていたので)「お出かけ行くなら何着る〜?これが良いかな〜?あれがいい?お寿司食べに行きたいね〜』と言いながら色々洋服を出して選んでみたりしながら、母に話しかけた。


なんだか穏やかに笑っているようにも見えた。




もしかしたら、奇跡が起きるかもしれない。。。



そんな思いが涌く3日目の夜だった。。。