もうあの日から一ヶ月。。
先週、ちょうど三週間目の7月8日土曜日、身内だけで火葬式をしました。
そして週末、グループホームの荷物をすべて出して、退去の手続きをしてきました。
こないだ入居の手続きしたのに、もう退去。。。
色々お世話になり、ありがとうございましたと感謝を告げると、ホーム長さんも、
「あまりに突然のことで、、、あのまま、もう会えないのかとスタッフもショックを受けていたので、戻って来てくださって本当に良かったです。スタッフ全員、ようこさんに会うことができたし、私たちも嬉しかったです。一番若いのにすごく大人で、お手伝いも色々してくださっていたから、、、、今でも毎日ようこさんの話をしているんですよ」と答えてくれた。
「そういえば、亡くなる2ヶ月くらい前から、娘さんのことをすごく気にかけ始めて、お金のことを心配したりしていたから、もしかしたら、どこかでわかっていたんじゃないかしら、、」、、なんて話もでていたそうだ。
そうか、。。。
実は、、
現実的でクールな母が、なんであんなに頑張って生きようとしたんだろう、、ってずっと考えていたの。
歳を取って醜くなることを嫌悪した母
認知症が進んで惨めな思いをしたくないと思い続けた母
食べられなくなったら死んだ方がいいと言っていた母
あの状態で生きたいと思うはずがない母が、なんであんなに頑張っていたんだろう、、、って。
「あたしはもういいかな〜。せっかくホーム入れてもらって悪いけど、しっかりしてるうちに逝かせてもらうよ。んじゃ、お先に失礼〜〜
」
母は絶対そういう人だ。。
山場と言われた最初の三日を乗り越え、熱が出てまた危ないと言われた翌週も乗り越え、このまま長くなるかもしれないと言われた時は、本当に悩んだ。
わざと困らせてるのかと思ったりもした。。。
元気なら、、、、今までのように笑顔が見れるなら、、治療したと思う。
でも、意識のない状態が続くか、、もし、頑張ってよくなったとしても、半身麻痺、食事も出来ず、まともに喋ることもできない可能性が高いあの状態で、プライドの高い母が生きたいと思うことは絶対無い。
じゃあ、なぜ?
私の選択は間違っているの?本当はもっと生きたいの?
もし生きたかったら、ね、お願い!夢に出て来てでも、私にそう伝えて!と願った。
でも、母が夢に出てくることもなく、、導かれるように看取り介護をするため、グループホームに戻って来た。
認知症が発覚してからの母には本当に苦労したけれど、いつからか、必ず、私たちにとって一番良い方向に進んでいるんだと信じるようになった。
母が骨折して、私が世話をすることが多くなっても、ホームが空いて、入居することになっても。。。
いつもいつもどこかで、ちゃんと良い方向に導かれてるんだという思いがあった。
(なんかね、いつも亡き父が助けてくれてるような気がしたんだ)
だから、流れる方向でいいんだと、、いいはずなんだと、、
そして、スタッフさんの話を聞いていて、確信した。
母は私に伝えたかったんだ。
もう喋ることができないから、、、、
ホームのスタッフさんを通して
娘をとても愛していたこと、みんなに感謝していたことを。。。
ホームでの三日間、、、たった三日間だったけど、
スタッフさんから、私の知らない母の事を色々聞かせてもらった。
ここに戻って来て、こういう時間がなければ、聞くことはなかっただろう。
特に二日目の夜は、偶然、母の担当のスタッフさんが夜勤だったので、彼女だけが知っていた母の本音を、みんなが眠っていた静かな深夜、、、たくさん話してくれた。
いつも私に会いたがっていたこと、娘に会いたいけど、今更どうやって接していいかわからないと悩んでたこと、お金が少しでもあるなら残してやりたいと言っていたこと、そして、みんなに感謝してるって言ってたこと、、、
私は母が倒れて二日目に、ありがとうって言わなきゃ!!って思って、母の耳元にそれを伝えられた。。。
きっとあの時、母は聞こえてたんだ。。。
でももう動けなくて、、、喋れなかったから、、、、
なんとか私に伝えようと、意地でも頑張って生きて、
ホームに帰って来て、、、
スタッフさんから母の気持ちが私に届き、
翌日、旅立つ衣装を決めて、、
そうしてやっと逝けたんだね。。。
ったく、、母らしい。。。
もっと早く言ってくれたら、たくさん会いに行ったのに。。。
大丈夫だよ、充分だよ、私も感謝してるよと言えたのに。。。。
元気にもっと生きててほしかった。。。
不思議なもんで、あんなに大変で辛かった日々も、終ってしまえば、愛おしいほど懐かしい。
ものすごい意地っ張りの母と、その血を引いた私が、最後の最後になんとかわかり合えて良かったのかな。。
私はなんだかぽっかり穴が空いてしまって、今、少し生き方がわからなくなっているけれど、、、
ぼちぼち日常に戻っていかなきゃね。。。

