なんとなく寂しい

わけもなく悲しい

 

そんな

ハッキリとしない

もやっとネガティブな気分に襲われるとき…

 

 

あ。これは

集合意識に繋がってるかな。

そういう“氣”が漂ってるのかな。

 

そんな風に、自動で思考できるようになりました。

慣れたというか。

 

 

 

 

それはただ

とある漂っているエネルギーが

訪れてきただけ。

 

「あ、カレーのにおいがしてきた」

 

みたいなものだなと。

 

 

 

それを知っておいてからは

慌てることはなくなりました。

「ああ、そういうことね。」

 

 

 

 

 

~~~~

 

 

否定しない。

自分に湧き上がる感情を、否定しない。

 

これって、ひとつのテクニックのようなものです。

 

 

こんな寂しいのは嫌だ

こんな悲しいのは嫌だ

 

浮かび上がってきた苦手な感情は、

さっさとカタをつけて処理したい。

だからなかったことにしたりフタをしたり。

切り捨てたり。

 

 

ただ、残念なことに

そういう“処理”をしてしまうと

意外と残留してしまうようで。

溜まっていく一方。重たくなってしまう。

なんとまあ。。。

 

 

 

だから、

「ああ、寂しいって感じ始めたな」

「ああ、悲しくなってきたな」

 

って、眺めてあげる感じ。

寄り添ってあげる感じでもいい。

 

 

出てきたモンはしょうがない。

出てきたんだもん。

ここで無理に追い出したり切り離してしまうと

あとからかえって強めに出てきたりすることも

覚えておくといい。

(そしたら「しゃーないか」って、やる気も出たり。)

 

 

 

 

 

そうかそうか、って

自分に声をかけてあげる。

身体に手を当てたりさすったりなでたり。

トントントンてしたり。

「今なにか寂しいんだなー」

「何故だか悲しくなってるなー」

 

 

「こんな感情、感じたくないのにいいいい」って

言いながらでいいから

逃げずに切り捨てずに

ちょっと付き合ってあげる感じで。

 

 

 

 

そっかそっか

こんなもの抱えていたんだね、わたし。

 

 

 

抱えていたからこそ

集合意識にも繋がるし

漂うエネルギーにも反応するし

 

それを逃げずに、わーん、って

出させてあげるからこそ

溜まっていたものが消化される。昇華していく。

浄化される。

漂っていたものにも、集合意識にも

セットで浄化が届く。

 

 

 

自分の内側から出てきたものを

ひとつずつクリアーにしていくことが

勝手に世界の浄化にも繋がっていく。

 

 

 

そんなたいそうなことは

考えなくてもいいけれども

自分を軽くしていくには

とてもとても有効。

(逃げずに感じる行為)

 

 

 

でも、ひとりきりでは

しんどいし大変だし

なんならムリなので(!)

 

いつでも見守ってくれている存在の

大きな護りに包まれた中で

すべてが行われているのだと

実際にそうなのだと

 

知っておくことが

お守りになり、安心の手綱になる。

 

 

 

 

 

ひとりでやっているようで

護られながら、やっている。

いつでもいつでも

護られている。

 

 

 

 

 

 

~~~~

 

なんとなく寂しい

なんとなく悲しい

なんとなく、なんとなく、、、

 

 

もともと内側にあったそんな気持ちが
表面に出てきてくれた、ってこと。

天に還るために、浮かび上がってきてくれた。

 

 

あとは護りの存在たちがやってくれる。

私たちは、ただ自分を抱きしめて

そうかそうか、ってやるだけ。

 

肉体を抱きしめている間に

天がうまいこと処理してくれる。

 

 

だから私たちは

私たちを抱きしめておくだけでいい。

 

 

自分も。ついでに世界も。

こうして軽くなっていくよ。