昭和生まれ、平成婚、令和出産。娘と2人家族。時々乾杯しながらそれなりに楽しく幸せに生きています。
ちょうどわたしが娘くらいの年の頃から、わたしはママになるのが夢だった。父親と母親が喧嘩するたびに1週間くらい口を聞かず無視し合う空気がとても不快で、「わたしは子どもにこんな思いさせない。子どもの心を守るママになるんだ。」と何度も繰り返し思っていたのが、いつの間にか“ママになるのが夢”におきかわったのだ。そしていつキレるかわからない父親と守ってくれない母親がつくる家庭は、わたしにとって安全安心の場ではなかった。幼少期の家庭の空気というのは、子どもに多大なる影響を及ぼすというのを身をもって感じている。ただ大人になって思うのだけれど、程度の差さえあれど、そういう人は多いと思う。多いから我慢するべきとは思わないけれど、とりあえず珍しいことではない。それに対してのビジネスも多く、自分をかわいそうな被害者にするのは簡単。被害者になることをとても気持ちよく感じる時期もあるかもしれない。わたしもそんな沼にハマりそうになった、いや、ハマっていたかな?笑沼にハマって被害者でいたり、原因探しをしたところで、理想には近づかない。わたしにはわたしだけの理想がある。ただ、今思い返してみると、わたしにとって両親は、わたし自身がどんな親になりたいか明確なイメージをもつのに大変役立ってくれたことに気づく。だから、両親には感謝している。もちろん他にも感謝していることはあるが、今回は話がわかりにくくなるので割愛。わたしが「わたしの子どもにはこんな思いさせたくない」とわたしの親へ感じた時、そのベクトルが反対向きになり、わたし自身の理想の親像をイメージしていた。だから、どうしてもわたしが不快な思いを抱いたことばかりの羅列になるが、もちろん幸せなこともあったのは予め申し添えておく。わたしはシングルマザーでパートナーもいないので、夫婦喧嘩をすることはない。夫婦喧嘩をしない極致の状況。わたしが子どもの頃親にやってほしかったことは娘が別の人格であってもなるべくやってあげたい。もちろん娘が希望したらだけど。その一つが未就学児の時代にお友達とお休みの日に遊ぶこと。わたしの親は親同士のつきあいを避けていて、幼稚園の他のお友達がお友達同士でお休みの日に遊ぶ話をしているのをとても羨ましく思っていたのを覚えている。だから娘が保育園がお休みの日にお友達と遊んでいるのを見ると、わたしが幸せな気持ちになる。それから、娘が泣いた時の対応も意識している。幼少期「泣いたって状況は変わらない!」と怒鳴られていたわたしは、泣くときは親に隠れて泣いていた。泣いたときギュッと抱きしめてほしかったから、娘が泣いたらギュッと抱きしめている。そんなだからだろうか、娘が癇癪をおこしたとき、ウヘ〜っとつかれるけれど、ちゃんとわたしの前で癇癪をおこしていることにホッとしているのも本当。幼少期をすぎてからは、恋愛関係に口出ししたかと思えば、“結婚まだ?攻撃”にかわったのも勝手だと思ったなあ。バイトさせてくれないのにお小遣いを十分もらえるわけもなくお金では苦労したなあ。将来の夢を語ると拒絶されるばかりで、気づけば親に希望なんて話さなくなっていた。幼少期をすぎていて、自分で生活しようと思えばできたのだから、親の言うことなんて聞かずにもっと早く好きに生きればよかったんだよね。だってわたしの人生なんだもの。娘にも娘の人生がある。娘がそのことに気づくのが早いといいな。もう少し年を重ねて娘が何かわたしに相談したくなったとき「こんなことママに言って大丈夫かな」なんて思わないでほしいから、相談内容にタブーはなくしておきたい。だから聞かれたら何でもこたえるスタンス。娘の成長とともに親子の関係から友人関係のようになれたら理想。子どもの頃思っていたことをここまで覚えているのは、わたし自身が思い描く理想のママになりたい思いがそれだけ強かったからだろう。わたし自身の夢なのだけれど、子どものわたしがどこかにいて、その子の夢を叶えてあげているような感覚になる。「ママが安全安心の場になっていますね。」と保育園の先生が言ってくれたときは嬉しかった。これからも続くわたしと娘の関係。娘の土台ができたと感じるのは、娘自身の土台ができたというよりは、わたしが思い描いていた理想のママの土台ができたと感じるからだとようやく気づく。だから、これから何があってもどうにかなると思え、ホッとして力がぬけて力がみなぎってこないのは十分あり得る。なんとなく年内に気づけてよかったと思う。父親が他界して一年、一周忌も無事にすみ、元々近くに住んでいた母親と同居することにして生活空間再構築中。虹を見ました。雨上がりを彩る虹はとてもきれいで娘と2人「うわ~!」と思わず声がもれました。きっと来年から楽しいことに忙しくなる、そんな予感がする年の瀬です。みなさまよいお年を。
わたしには娘がいる。生まれた時は赤ちゃんだった娘は今や6歳。親はなくとも子は育つ、とはよく言ったものだ。娘の父親は早々と身体とおさらばしてあの世で、母親のわたしも言葉がけと日々の食生活以外はユルユルだけれど、けっこうちゃんと娘は育っている。保育園では年長クラスとなり、保育園最後の発表会では先生からお姫さま役をあてがわれた。日々練習を楽しみ家でも楽しみ本番も楽しんでいた。なんというか、子育ての第一関門を突破したような感覚がある。もちろん、これから先も長いのは承知なのだけれど。なんだろう?「この子は大丈夫。」そう思える。だから、大丈夫だと思う・・・笑。娘の土台ができた、そんな感じがする。わたしはものすごく体調が悪いわけでも、ものすごく忙しいわけでもないのだけれど、どうもエネルギー切れのような感覚で。身体に力がみなぎっていない。二極化が進む現在、丸い社会に行くと決めてはいても、このエネルギーで丸い社会にいきたい人と会ってもエネルギーバンパイアになりそうだ。とにかくエネルギー充電だなあと。植物を庭に迎えて日々暮らす、それがわたしのエネルギー充電になっている。四季おりおりの果樹が実る庭にしたい。せっかく現代に生まれたのだから、自家和合性のある品種や矮性の品種、病害虫に強い品種を選ぶ。そういう恩恵は享受する。野菜もごちゃごちゃと。花もごちゃごちゃと。エネルギー充電であり、突破口でもある、そんな気がする。とは言え、ずいぶん遠くまできたと思う。満員電車にのって会社勤めをしていた頃を思えば、わたしもそれなりに理想に近づいている。地道な作業なのだけれど、理想に近づいているんだな。娘はわたしのお姫さま。そう言っていたら本当にお姫様役をいただいた娘。ひらがな、カタカナの次は漢字が学びたいと言い、少しずつ読めたり書けたりする漢字が増えた。日常会話の中で「山が2つある漢字あるでしょ?」と娘が言っていたので、何の漢字のことかと思ったら“出”のことだった。なるほど、山を2つくらい越えれば出口に行けそうだ。今はきっと2つ目の山登りの最中のわたし。楽しんで登ることにします。
野生の肉と果実、これが本来の食べ物だと初めて知った時、「はいっ?」と理解できなかった。理解できなかったけれど、これならわたしにもできると思って旦那の闘病にとりいれたんだよなあ。現在、家庭菜園をはじめてようやく腑に落ちた気がします。現在流通しているキュウリやトマト、ナスにピーマン、短期間に実をつけるんですよね。実をたくさんとるために施肥をして雑草をとることが必要になる。山でみかんの木を見ることはあっても、トマトやナスを見かけることはなく・・・。対して果樹は植えたらほぼそのまま。コンクリートのベランダなのでプランターに植えていますが、色々考えちゃいます。娘が大好きだから育てはじめたプランターのいちご、プランターを買って土を買って苗を買って天然防除系のスプレー買って・・・、そんな不自然ないちごを尻目に家の近くの竹林に野いちごがのさばっていっぱい実っていました・・・笑。育てたいちごが実るとわたしも娘も嬉しかった。楽しいし、プランターであってもそこには小さな生態系ができて素晴らしいので、続けますが、不自然ないちごと野いちごを見比べて心は複雑でした。果樹は少しずつ集めたいと考えています。いつか土のあるところに住んだ時、地植えするんだあ♪矮性の桃、フェイジョア、梅あたりを狙っています。トマトの木やいちごの木なんていうのもあるらしい(正式名称は違います)。桑の木もいいなあ。山芋植えてムカゴ食べたい。花より団子だなあ。いや、果樹は花も実も楽しめるのだから、花も団子も、が正しいですね・・・笑。あっ、食べられなくてほしい植物あります!センチュウ対策に定番のマリーゴールド!その中でも宿根草で、年中花が楽しめるタゲテスのゴールドメダルもほしいなぁ。レモンマリーゴールドとも呼ばれ、香りが柑橘系で魅力的。園芸種のクローバーもかわいいなあ。全部四つ葉なんて素敵だし、色もピンク系はときめきます。おっ、食べること目的でなくてもお迎えしたいものあるっ!住まいはキッチン以外狭い方がわたしにはすごしやすいんだけれど、庭は広いほうが色々植えられて楽しそう!過去のわたしは、ママになりたかったから、結婚したらすぐに妊娠できるように身体を整えていました。今度は、果樹をはじめとする気の合う植物に囲まれて暮らしたいから、庭ができたらすぐ植えられるよう、プランターでも植物を迎えて仲良くなっておこう。娘と毎朝植物達の成長を見るのはいいものです。植物の成長を見て、実がなるまでに時間がかかることを身をもって体験すること、それも娘の糧になるんじゃないかなあ。
娘は保育園の年長さん。来年の今ごろは小学1年生だと〜?笑明るく、たくましく、優しく、元気に、育ってくれて嬉しいかぎりです。3歳児神話なんて言って、3歳までの育児が大事だというけれど、一番大事な時期なんてなくて、きっとその時々で大事にすることが変わるだけなんじゃないかと思う。わたしとしては3歳をすぎている現在の物心ついている幼児期の娘に、いっぱい抱きしめたり、大好きだと伝えたりするのはとても大事だと考えている。背丈が人より高い娘、抱っことなると重いけれど、求められたらいつでも抱っこする。求められなくても抱っこすることがある・・・笑。人前でも抱きしめる。娘の記憶に残ってくれたらいいなあと思う。わたしは「そんなことするなら、もう〜しないよ。」という脅しの育児というのが嫌で。自分が親にされて嫌だったので、娘にはしないと決めて実行しているのですが、この脅しの育児、けっこうスタンダードなんだなあと。街中でよく聞くんですよね。あと、「置いて帰るよ。」と言って実際は置いて帰らない案件。これはわたし自身が子どものときは経験していないのですが、見え透いた嘘は馬鹿にしているようで好きではないので、娘にはやらないと決めていたのですが、けっこう街中で聞くんですよね。娘への言葉がけに関しては、以前心理学を学んだ学校でも学んだなあ。子どもを産む前のお母さんに聞いてほしい内容と心理学の学校の代表が言っていたことだけあって、役立っていると思います。そして、娘が何か目標ができたときはガルシア先生の心の方程式を引っ張り出していっしょに考えます。催眠状態では人は言葉がけ一つで、身体は金属のように硬くなることができるのです。毎日の言葉がけ、これからも大切にしていきたいと思います♪更年期かと思ったらどうもわたしの早とちりだったようで・・・苦笑。少々走りすぎていて、休めのサインだったようです。身軽になった気分で嬉しかったのに。なんだかステージあがるの逃した気分です。
振り返って見れば少し怠い日があったように思うし、眠い日もあったように思う。抜け毛はたしかにあったけれど、今は髪伸びるの早くなったなあと思っているくらいで。だけれど世間で言われているような病的な症状はなかったな。まあ、つわりもわたしなくて娘がお腹にいるのに気づかなかったもんね。身体が更に大人になったようです・・・笑。子どもを産む身体ではなくなったってことかな。これからはホルモン的に男性的に仕事をするのもアリ?更年期障害は戦後作られた概念って聞いてたから、戦前の女性は意識することすらなかったのかなあ。娘が5歳なので、世間で言う更年期の時期にわたしは娘の育児をしながら旦那を介護して看取ったことになります。更年期に職業訓練訓練校行って会社作ったことになります。うんうん、たしかに更に大人になった期間ではあったかも。母親、祖母、叔母は何かしら子宮に疾患を抱えていてみんな流産経験もあるのですが、わたしは卵巣も子宮も病気したことなくて、娘もありがたいことに気づいたらきてくれ、危ないこともなく出産となりました。わたしの子宮も卵巣も上出来、おつかれさま♪あっ、世間では更年期はあと5年くらいあるみたいだから、体調悪いときは使わせてもらおう。最近塩はまた海水100%系を色々人体実験していて、宗谷の塩やとっぺん塩とそのにがり、それから海洋深層水のスピルリナ!非加熱の塩ってどんなかなあと思いお手ごろなとっぺん塩の漬物塩を取り寄せてみたんだよね。おにぎりにまぶしたり、そのまま食べたりするのにおいしい。にがりは黄色味を帯びているんです。宗谷の塩はサラッサラッ。汁物やごはん炊く時に使っています。塩水作って飲むことも。あと、娘の肌の化粧水代わりに塩水をわざわざ買っていたので、今使っているのが終わったら宗谷の塩で手づくりしようと考えています。経皮吸収って本当にあるなあと思います。そしてそしてスピルリナ!海洋深層水でスピルリナ(藻)を育てると飲料水で育てるより大きく育ち、海水のミネラルをスピルリナが吸収するらしい。それって要は塩じゃんっ!海水凝縮したってことじゃんっ!と思い飲み始めたら体感よし。スピルリナのアミノ酸とミネラルが結びついてミネラルの吸収力があがるのかなあと思っています。髪の伸びるスピード早くなったのはこれのおかげ?久々にむ〜さんのところの骨髄スープも取り寄せて食べていました。そんなこんな人体実験をしていたら、身体のステージあがっていました、うふふ。
ある日、お隣さんから魚をいただいた。ご自分で釣った魚。手のひらサイズのアジ。またある日、お隣さんから魚をいただいた。大きなヒラマサ半身。実家の母も大喜び。またある日、お隣さんからいちごのお裾分けをいただいた。知り合いの農家さんから手に入れたものらしい。いちご大好き娘大喜び。「ありがとうございます。」と受け取った後、「いつもいただいてばかりですみません。」と口に出た。こういうところがこれから直したいところ。わたしはわたしで何かあったときにお裾分けしたいと思えたらお裾分けしたらいいんだよね。でも、ヒラマサいただいた時に借りていたトレーを返す際、実家の母親から預かっていたお菓子と缶コーヒーをいっしょに差し出した。提供しあう社会、素敵だなあと思う。ただ、わたしの今のマインドだと「いただいてばかりだからお返ししないと」と自動的に思ってしまうなあ。自然なことなのかもしれないけれど、自分ができるときにできることを心地よく差し出したい。受け入れる時も同じで。そういう循環が理想。娘にもそういう社会で生きていってほしいなあ。そのためにもそういう社会築いていきたいなあ。そんなことを思い情報をここ数年いただいているのがミナミ・Aアシュタールさん、昨年からはesvlogさんも加わった。監視社会や競争社会から対立せずにそっと離れる。でも娘には娘の人生があるわけでわたしとは違い娘は競争社会が好きになるかもしれない。その時は尊重するかな。娘は1歳の頃に父親(わたしの旦那)を病気でなくしていて、昨年末祖父(わたしの実父)を病気でなくし(急逝だったが内因によるものなので病気と表記します)、死を意識している。それを「かわいそう」と捉える人がいるかもしれない。わたしはかわいそうなだけではないと思う。5歳にして真剣に死に向き合う機会があることは幸運だと。それでも保育園では特に入園当初は色々配慮していただいていたこととは思う。2歳になったばかりの頃に保育園に通いだした娘、おかげさまで元気に成長しています。嫌なことは嫌だと言い、自分が持っていたものをお友達が急にとったら取り返しそれを保育園の先生にちゃんと口で説明までしちゃう。保育園の先生も成長ぶりを喜んでくれた。保育園は自園調理の給食で、毎日お昼ごはんはできたてごはん。おやつも手づくりの日が半分くらいある。行事のときは給食やおやつがかわいくデコレーションされている。おかわり大歓迎。お友達とケンカして仲直りして色々な経験をさせてもらって、小規模の保育園のメリットを享受している。こちらの保育園で娘が生活できていることはとても幸運なことだと思います。それについては「ありがとうございます」と受け取れています。提供しあう社会。恐怖をあおるだけではなく、希望をいだきやすい社会、そんな社会で生きるため、一休みしたらグワーッとまた動くことがありそうな、そんな予感がします。
夜寝入って夢を見た。夢の中でまた寝入ってまた夢を見た。その夢の中の夢に先月他界した父親がだいぶ若作りして登場。なんやかんや話して、大部分忘れたけれど(おいっ!笑)、とりあえず逝くときはきつくなかったことが確認できて、「ありがとう」と言えた。父親の七七日(四十九日)の法要の後のお斎に使う日本料理のお店に行きたかったと言っていた。ちょっといい日本料理のお店にしちゃったんだよね。うふふ、大丈夫、わたしが存分に味わってきます。父親の他界を契機として、父方の親族のお墓の整理もすすみそうだ。
わたしの基本の育児方針は、安全性を考慮した上で娘のやりたいことを見守ること。娘の学校に関わる勉強に関しては、本人がやりたそうならやればいい、そんなスタンスでした。娘から「文字が書けるようになりたい」と言われるまで、こちらからはたらきかけることはなかったです。娘のやりたい気持ちをきっかけに学校に関係する学びをスタートしたわけですが、社会情勢を見ていると家庭でしっかり学ぶ体制を整えておきたいと親であるわたしが思うようになりました。学校で習うことがすべて正しいとも思っていないのもあります。学校のテストで満点とることを目標にするのではありません。生活に役立ち、幸せになるため必要な基礎学力をつけるのは家庭の役割として担おうと心新たにしました。もちろん、娘のやりたい気持ちを尊重します。数字とひらがなの読み書きは数ヶ月で完了したので、カタカナも引き続きやっていたのですが、現在書字の勉強は断続的。娘からでた「退屈」コール故。現在は算数を始めました。娘の公文がやりたい欲を満たすためでもあるし、娘自身が数に対する興味があって毎日聞いてくるんですよね。1から10まで、そこから100まで、さらに1000。数のイメージって、口で説明したところでおもしろくない。なので、何かないか探していたらモンテッソーリ教育の教具である金ビーズがひっかかりました!1つのビーズ。それから、ビーズが10個に連なった1本の棒。その10個ビーズの棒を10ならべたら100を表す面ができます。その面を10枚重ねたら1000!なんとわかりやすい!でも、お値段かわいくないなあ。数万円…。安価品もあるけれどどうも作りが雑そう。自分で作るとビーズを連ねる際の針金が凶器になりそうだし、アクアビーズで手づくりしてもすぐこわれそう。そんな時見つけたのがラーニングリソーシズのベーステンというおもちゃ。※画像は拝借しました。ちょうどAmazonのブラックフライデーと重なりお得に購入できました。結果…、娘のおもちゃになりました…笑。一応数の説明もしたのですけれど、積み木のように遊ぶほうが楽しかったようです。娘にヒットしたなら上出来です。他に何か指針になる算数の教材がほしくて、探していました。それで見つけたのが、たぶお式という教材です。公文のようにスモールステップだし、幼児からでもできそう!後、教材費用だけという明朗会計がシンプルで好き。ゴテゴテしていないシンプルな教材というのもいい。娘はやりたいときにやっています。たぶお先生、レスポンス早くてびっくりです。娘にとっては祖父、わたしにとっては父親が他界した直後から書字や算数をすることは減りましたが、だんだん日常のリズムに戻ってきて、またやり始めています。ことわざは知っていると楽しいから、ドラえもんのことわざカルタをわたしが保育園の年末年始のお休みに備えて買っておいたら、娘は自分から四字熟語の本をお年玉で買っていました。好きなキャラクターの本だから、ほしくなったようですが、わたしに問題をだしてくれます。わたし自身が子どもの頃なぞなぞが大好きで、小学1年生の朝の会や帰りの会でなぞなぞの時間をいれてもらっていたのを思い出します。毎日当番を決めてなぞなぞを出す時間があり、わかった人が手を挙げて答えていました。当時の担任の先生、こんなわけのわからない小学生の発案を受け入れてくれてありがたかったな。そんな人間も社会人になれましたし、母親にもなれました。なぞなぞの本、当時のわたしは丸暗記していたように思います。四字熟語の本やことわざの本を小学生時代ほしかったけれど、当時は「これ!」というものを見つけられなかったんだよなあ。あとは物語の読み聞かせ!人の気持ちを理解できない子どもが増えているようで。学校で先生が国語の授業で「このとき主人公はどんな思いだと思う?」と言ってもわからない子どもが多いそう。その1つの原因として、日常から物語をきくことが減ったことがあげられるのでは、と聞き、「由々しき事態だ!」と感じました。物語の中の人の気持ちがわからなければ、生身の人の気持ちを慮ることもないのでは、とわたしは思いまして。自分の気持ちも人の気持ちも大切にしてほしいなあ。テレビで日本昔話さえもやっていないもんね。家庭での対策として、物語を読んで、その後どう感じたかを娘と話す時間を寝る前にもうけることにしました。なるべく本やおもちゃを使って遊びの中で学んでほしいな。娘には「わからないことをわかるようになること、生活に役立つことを知ること、幸せにつながること、が勉強」と伝えています。だからなんでも勉強と伝えています。勉強するときはワクワクする。活用するために暗記や理解が必要ならば苦しいときもあるけれど、成し遂げた時快感!どうか学校で教わることだけを勉強と思わないでほしい。小学生でならう読み書き算数と地理知識はともかく、中学生以降学校でならうことはわたし個人としてはなくても生活に困らないかな、と思います。好きなもの、興味があるものがあれば学べばいい。わたし自身は高校受験をして受験校に入学し、大人になってから同じ高校の人と仕事で縁があり、学校での学びの恩恵を受けた立場だとは思います。たしかに学歴で信頼を得られる場合もある。でも、これからの社会はまた違ってくる。わたし自身旦那の闘病中から他界後それまで勉強してきたことが役立ったのを感じました。茶道に着付け教室に心理学の学校にアロマテラピーに、社会人になって給料のほとんどを興味のあることへの学びに投資してきたわたしです。他界後新たに必要と考えた知識を勉強して今があります。それでもうまくいかないことがあります。でも、方向性を定めて勉強することで道は開けると考えています(時間はかかる)。そう思えたら強いと思うの。娘よ、勉強して、人生を楽しみ何かあったときは乗り越える術にするんだよ。
法名には父親の好きだった“海”をいれてもらい、遺影の背景は海にした。父、急逝なり。年の瀬の忙しい時期にも関わらず、急逝の知らせをすると、皆駆けつけてくれた。遠方にも関わらず当日の飛行機をおさえてきてくれた方々も。急逝ではあるけれど、日常生活はおくれていたものの体調が優れない日々は続いていたし、わたしは父親より旦那を先に見送っているから、どこかで覚悟はできていたように思う。夜中にトイレに行く際倒れて、母親が叫ぶ声でわたしは目が覚めた。わたしが実家にいた時でよかった。父親の呼吸がとまったとき何もできなかったら母親は自分を責めただろうから。すぐに救急に電話したが、呼吸は家で止まった。後から調べてわかったことだが、ピッタリ引き潮の時刻だった。父親は昔から「引き潮の時に人は逝く」と言っていた。体調の悪化の原因は別のところにあると思うけれど、直前の逝き方は自然の摂理に従ったのね。救急に電話している最中に呼吸が止まったので、電話の向こうの救急隊から「大切な時間なので」と勧められ心臓マッサージをわたしがした。娘も起きてきて一部始終を見ていたが平常心。母親は気が動転していた。わたしは、落ち着いていましたねえ。救急隊が到着し心臓マッサージをかわっていただき、心臓マッサージをしながら挿管をして救急車で病院に運ばれた。一度蘇生したらしいが、その後心臓が自分から動く様子はなし。機械による心臓マッサージと挿管は途中で辞退して、書類上の臨終の時刻となった。死後、死因究明のためCTをとったが、心臓マッサージの後遺症の他は異常みられず。搬送後すぐの血液検査では異常が見られわたしとしては「やはり・・・」という結果だった。夜中の出来事だったが、夜が明けて母が決めた葬儀場からの車で父親を葬儀場に運ぶと、その日のうちに通夜、翌日葬儀。救急車で運ばれたのは夜中だったからご近所さんに見られることもなく、入院することもなく、誰にも迷惑かけずに逝くなんて父親らしい。ご近所さんも泣いてくれました。娘は葬儀の日以外は元気に保育園へ。保育園の先生にも事情は伝えたが、いつもと変わらず元気そのものの娘にビックリされた。娘の物心ついてから、日常よく顔を合わせる人が他界するのは初めてだ。日頃から「身体はなくなっても意識は生まれる前の世界に還るんだよ」と伝えていたからかな。日頃の言葉がけは重要だ。わたしが涙が出たのは葬儀場で父親の身体の湯灌をしてもらっている中叔母と従兄がきたとき。わたしの死生観は日頃娘に伝えている、身体はなくなっても意識は生まれる前の世界に還る、だから嘆き泣くことはない。それでも涙は出るもんだ。初七日まではまだ父親も死んだことがわからず父親の意識は側にいると思ったから、死後の役所の手続きからお墓のこと、それから各種名義変更手続き連絡をダダダダダーッとやった。気にかけていた消えていた門灯の電球の交換や、来月届く新車の手続き、父親が好きだったものを味わっておいしさを感じたり、食べてみたかったものも食べた。父親が年末に飲む予定で買っておいたワインも飲んだ。 まあでも、特に最近、父親は食べたいもの食べていたようで。仮に父親から見えていたとしてだけれど、これだけやれば父親も安心するだろうとわたしが思えるところまではやった。父親の葬儀は仏式で葬儀の直後がクリスマスだったが、おそらくキリスト教徒であろうサンタクロースもきてくれ、娘も喜び一安心・・・笑。父親の葬儀後お寺にお布施をもって行った際、わたしの旦那が他界したときお世話になった先代のお坊さんの奥さまが迎えてくれて、元気なわたしの姿に嬉しそうだった。先代のお坊さんは、わたしの旦那の通夜の時のわたしがその後元気になっていく姿を奥さんに話していたらしい。娘が幼かったから、なおのこと心配してくれていたとのこと。ありがたいねえ。今回のことでまた浄土真宗の死生観を改めてきくことになったけれど、輪廻転生もなく地獄もなく死後の裁きもない浄土真宗の教えは、仏教の形を借りたワンネスの死生観だよなあ。みんな阿弥陀様と一つになるんだもの。一見支配されているように見せかけて、自分達の考えを上手に支配層に目眩ましして日本に暮らす人々は生きてきたのかな、そんなことを思いました。二極化が進む現在、その形は見習うものがある。わたしにとって父親は、反面教師でもあり、おかげでわたし自身がどんな親でいたいかが明確になりました。わたしの旦那が他界したあと、旦那とわたしが決めたわたしの実家近くにいく選択を受け入れてくれたことには感謝ですね。娘の成長をいっぱい見せられてよかったです。母親のことはわたしにまかせてね。みなさま今年もお世話になりました。来る年もみなさまにとって素敵なものでありますように。更新頻度が落ちていますが、わたしも娘も元気です。
標題の“役外”とは本来の役割ではない外の役割という意味でつけました。新しいワ ク チ ンの話題、衆議院選挙や県知事選挙の影響か少々下火になりましたね。今回の県知事選挙、テ レ ビや新 聞の信頼度は多くの方の方の間で落ちたようで(知らない人は知らない、それもよし)、わたしはたまたま見た某市長の机を叩くシーンに笑ってしまいました・・・笑。あれはパ ワ ハ ラというより幼子の癇癪♪元々テ レ ビあまり見なかったし、信頼するものだとも思ってなかったので、「ふーん」という感じです。新しいワ ク チ ン、周囲への影響への懸念が飛び交っていたとき、わたしには思うことがありました。わたしの旦那は抗 が ん 剤を経験し、さらには治 験も経験した。旦那の意思を尊重した。だが、わたしには当時懸念していたことがあった。周囲(特に一番近くにいるわたしと娘)への影響だ。当時が ん セ ン タ ーの主治医も看護師さんも、抗 が ん 剤を投与したからといって家庭で特に気をつけることはなく、普段通りに生活して大丈夫と言っていた。しかし、わたしは自分なりに抗 が ん 剤の曝 露の可能性とその対策を調べた。抗 が ん 剤投与に関わる看護師さん向けのガイドラインを読んだ。他にも色々調べた。そして、完全に曝 露を防ぐのは無理としても、抗 が ん 剤投与後3日間は、旦那の洗濯物は別で洗い、旦那が娘といっしょにお風呂に入るのは避けた。もちろん旦那も了承した上で。当時娘はまだ赤ちゃん。影響がないはずなんてない、と考えた。わたしも産後体力が落ちている時期、影響がないはずなんてない。対策はしたとしても、近くにいた身、身体の負担はあったと思う。だから今も薬 害対策情報には敏感。抗 が ん 剤投与に関わる看護師さんの出 産では、死 産になる確率や奇 形 児になる確率が高いことは当時から論文で確認していた。でも、わたしの見る限り、闘病生活を綴るブログで同居家族への抗 が ん 剤曝 露対策を公表している人はいない。闘病している方への配慮もあるかもしれないけれど。ちなみにわたしは旦那の病気のために娘やわたしの命を大きく危険にさらすのは嫌だったし、本人の副作用だけではない様々なリスクを承知して薬は使用してほしかったので、曝 露 対 策については、旦那と話し合って決めた。旦那が経験した治 験は旦那には病変に効果がなかったが、身体の中でウ ィ ル スを増殖させるものであった。でも、奏功はしなかった。つまりウ ィ ル スは増殖しなかった。何が言いたいかというと、今回のワ ク チ ンに限らず、何らかの薬 品を使っている人が周りにいる限りその曝 露はすでにしている状況ということ。そして、薬 品やワ ク チ ンは意図した通りにはたらくとは限らないということ。当たり前と言えば当たり前。わたしは、身体にとって毒になるものはできるだけ排除したいけれど、毒に対応できるくらいの体力も持ち合わせていたいと思っている。要は今回だけ曝 露を過度に恐れる必要はないかと。わたしを含め皆さんすでに様々な曝 露を経験済みのはずなのだ。体力が落ちていると感じれば対策を講じればいい。わたしは人混みが苦手で人混みに入るとつかれてしまう。つかれの原因は1つではないと思うけれど、最近薬品の曝 露も原因の1つだろうと考えている。便利アイテムを探しながら曝 露対策も楽しむ。薬 事 法の枠に入らないペットや家畜に関する品は、製品説明や口コミで有効な品がわかりやすく、参考にしやすい。今回の新しいワ ク チ ンに限らず、完全に承認されていないワ ク チ ンを複数回接種した人が多い日本、超 過 死 亡の数も耳に入る訃報の件数も体調を崩している報告も増えて、もはやそれに慣れ、普通になっている感覚。それでも元気にしている人はいるわけで、自らが信頼する納得のやり方、結果が出ているやり方を続けることにはわたしは変わりはないかな。わたしの両親も複数回接種して、かなりダメージ受けましたけれど(特に父親!)、とりあえずは日常生活送れています。身体の本来の力を取り戻すところまではいっていないにしても、悪化の一途をたどっていたところを踏みとどまった感はある。テ レ ビや新 聞の偏 向 報 道なんて今に始まったことではなく(幼い頃から「おかしい!」と思っていたわたしは少数派だったのか・・・笑)、今さら怒りなんてわいてこず、「ふーん」と大して感情が動くわけでもないけれど時々監 視している、そんな感じです。
発達支援に関わる知り合いの先生と話す機会があり、母親としてわたしがほめられたことがある。娘が文字を書くサポートの仕方について。娘が生まれて当時住んでいた行政主催のその先生のセミナーで、読み書きが苦手な子どもの視界を知り、BBAsがそれにどれだけ役立ったかも知った。そのセミナーがきっかけでBBAsの講座を受けるに至った。行政主催のセミナーを受けた時、まだ旦那の病気はわかっていなかった。BBAsの講座を受けた時、旦那が他界して半年くらいだったと思う。娘同伴でオンライン講座を受けたことが懐かしい。その時学んだ脊椎散歩、娘は大好きで今でもせがんできます。先日オンラインで先生と話す機会をいただき、娘の現状も報告させてもらった。その際、娘が文字を書く練習のサポートの仕方をほめられた。何だか嬉しかった。どこをほめられたかというと、娘が自分からやりたいと言うまで待つと決めていたことと、娘が興味のある言葉で文字を書く練習をしていたこと。「みんな待てないのよ。よく待てましたね。」と先生は言った。わたしは強制させることが好きではないし、娘も楽しくないんじゃないかと思う。待つことに関しては仕事でも旦那の介護でも鍛えてきた・・・苦笑。娘が興味のある言葉で文字の練習をすることに対しても、「その方が楽しい!」と考えてやっていただけだったんだけれど、このやり方多数派ではないようで。“あ”から一文字ずつ書く練習をするのが多数派らしい。え〜っ?!知らなかった!笑同じ文字を何度も書くなんて、わたしには退屈すぎる。現在、娘は同じ文字を多くても一日に3回しか書いていない。しかも一文字ずつやっているわけではなくて、8字以内の単語や文章。それでも毎日繰り返しやっていたら保育園の先生にほめられるくらいには書けるようになってきた。何より、興味のある言葉で練習する方が楽しいから覚えが早いと思うんだけれど。いや、早く覚えなければならないってことはないけれど、早く書けるようになった方が娘自身が自分の成長を感じられて楽しいかな、と。先生に初めて出会ったときのセミナーで感じたのは、土台が整ってしまえば発達障害って改善するということ。一生つきあうものだとされている世間の風潮とは乖離していました。一番の土台はふれあい。だからこそわたしは意識して娘にふれてきた。BBAsは元々脳性麻痺や四肢不自由な人のために行っていたものだから、やったら改善するのは当たり前。娘の保育園では同じクラスに何人か療育を受けているお友達がいるらしい。わたしにはなぜなのかよくわからないけれど、保育園の先生から見たら気になるところがあったんだろうな。娘は現在のところ相談するよう指摘されたことはないけれど、それでも発達支援に関わる先生の話はとてもためになる。だって、子どものことよく知っているし、多くの子どもを見てきているし。様々な手法を知っているから引き出しが多い。先生と話してからしばらくたった日。娘がひらがなをだいぶ書けてきたので、市販のドリルに移行しようと本屋さんでドリルを見繕ってKUMONのドリルを買った。なんと買ったその日に、ちょうど娘が保育園のお友達の影響で「KUMONやりたい」と言い出した。ただ、娘は公民館や先生の自宅で教わるのは嫌でキレイな環境に身をおいて習い事はやりたいと言っていたので(あと先生がカワイイことが大事)、KUMONの教室がどんなところであっているか伝えるとガックリきているようだった。でも、KUMONが出しているドリルがあることを伝え、ちょうど買ってきたことを伝えると、興味津々。さっそくやってみたら・・・、「退屈。」とのこと・・・笑。退屈って娘にとって苦痛。わたしも子どもの頃退屈なことが苦痛だったから、その気持ちよくわかる。毎日ノートで文字を練習するのは退屈ではないらしい。ふーむ。ノートに母親のわたしがお手本を書いて、それを見ながら娘が字を書く。このスタイルが娘に合っていたのが改めてわかった。カタカナも覚えたい!漢字も覚えたい!英語もやりたい!と娘は言う。数にも興味津々。わたしは娘がやりたいと言うまでは強制して覚えさせないと決めていて、いつまでも待つ姿勢でいた。加えて、やりたいならやっちゃえスタイル(命に危険に及ぶことが大きいことは別)。娘の健康第一で、娘も母親のわたしも楽しく学べるやり方を日々試行錯誤。そこにはわたしの人生経験や学びを活かせるのは嬉しい。母親のわたしがこうやって学びに関われるのはあと何年だろう。娘から求められる限り応じるけれど、そのうちわたしでは教えられるなくなるから、サポートしかできなくなる。小学生の高学年ともなればおそらくわたしでは教えられない。そう考えるとなんだかとても短く貴重に感じる先生役、ありがたく引き受けたいと思います。
わたしが平仮名を書けるようになったのは、幼稚園の年長さんだったと思う。親に教えてもらった記憶はなく、幼稚園の課題で特に苦労することなく書けるようになった。当時は小学校にあがっても平仮名を書けない子どもはいた。それでもどうにかなっていた。娘は現在保育園の年中さん。早くも平仮名を書けるようになりたいと言い出した。「えっ!?」と思って検索すると、年中さんの子どもが平仮名を書けないことに対して悩む保護者の投稿がけっこうヒット!どうやら最近は年中で平仮名が書けることがスタンダードらしい。保育園では昨年度の年少さんの時からワークブックのようなものを使ったり、カルタ遊びをしたり、文字に興味がわくような取り組みをしていただいていた。そのおかげもあるけれど、周りのお友達の保護者の方が教育熱心な方が多いようで、早くから平仮名や片仮名を読めたり書けたりする子どもが多い(中には漢字を読める子も)。娘も刺激を受けたのか、自ら「書けるようになりたい!」と言い出した。母親のわたしとしては骨が未熟なうちに文字を書くことを覚えるのはまだ早いと思っていた。同じ理由で年少さんから保育園で箸を使っているけれど、家ではフォークやスプーンを使っている。でも、やりたい時がやる時だと常々思っているのも事実。そんなわけで、家で朝と夜の一日2回、5分ずつ文字の練習を娘は始めた。先生は母親のわたし。本当はね、教室に通わせたかったんだけれど、体験教室に行ったら娘が嫌がり家でやることに。わたし自身は平仮名を書けるようになるのに苦労した覚えはないのだけれど、初めて平仮名を書くってけっこう大変だなあと実感。何でも低年齢化するのはどうかと思う。年長さんで習ったほうが早く覚えるんじゃないかとも思う。市販のドリルは以前娘がほしがって購入したことがあるけれど、目標が“書けるようになりたい”なので迷わずノートを購入。縦に8文字入るノートを購入して、さらに一工夫。4マスを1マスで使えるように線を引いた。本来なら1ページに48文字仕様のノートを12文字仕様にしたことになる。これくらいの大きさが初めての文字にはいいかな、というわたしの独断と偏見・・・ではなく(笑)、わたしが小学1年生の頃学校でやっていたことを思い出してやってみた。当時の小学1年生の担任の先生にならったわけだ。ノートにわたしがお手本を書いて娘がそれを真似して書く。一つの文字を点つなぎ方式にしたり、1マス(本来は4マス)を4区画にわけて色塗りしたり、試行錯誤。娘は集中力があると言われるけれど、それでも毎日のこととなると平均的な集中力持続時間(年齢プラス1分)を参考にするのがいいと考え、短時間を毎日コツコツ。数字や自分の名前からはじまり、少しずつ書ける文字が増えていき、娘の自信になっているよう。手先の器用さは褒めてもらうことが多い上、毎日保育園で塗り絵をさせてもらっていたので、文字を書くのを覚えるのは早いかもしれないなあ。絵本をいっしょに読む時間も増えた。覚えるスピードはどんどん速くなっていった。お手本を見る力がついてきたのが大きい。保育園でも自ら自由時間に文字の練習をして帰宅後見せてくれる。わたしは子どもの頃習い事を色々させてもらったけれど、自分からやりたいと言ったのは書道。やりたいと言っただけあって、書道が一番長くやったかな。娘は保育園で英語やら体操やらリトミックやら色々させてもらっている。オプションでお願いすることではなく、該当年齢になればすべての園児が対象。あんまり詰め込みすぎるのはどうかと思い、習い事はさせていないけれど、年長さんになったら何か始めるのもいいかなあ。どこかの先生が「早寝早起き朝ごはん」習慣を幼児期に身につけるのが大事で、習い事をして寝るのが遅くなっては本末転倒、と言っていたけれど、それは一理あると思う。文字を書けるように練習する時間は親子時間。娘からやりたいと言い出したことから始まったことで、わたしも何の焦りもないわけで、平和な時間。よく言われること、「小学生前に読み書き算数ができたって別にすごいことではない。できない子にもすぐ追いつかれる。」には激しく同意。年中さんで文字が書けないことでイライラしている保護者の方はけっこういるみたい。イライラするのはもったいない。大丈夫と言ってあげたい。わたしは娘ががやりたいと言い出さなかったら年長さんまでやらなかったと思う。どんどん文字の習得だけでなく様々なことが低年齢化する世の流れには違和感を覚えつつ(なぜかトイトレは高年齢化・・・笑)、娘のサポートができるのは嬉しい。貴重な親子時間。大切にしています。
娘がわたしに言った、「えらいね。」と・・・笑。何度も。事の発端はわたしの実家で掃除をしているとき。わたしの両親の寝室のあまりの汚さに絶句!リビングやキッチンは掃除していたけれど、両親の寝室に入ることはそうないので、手がまわっていなかった。埃の量を見ると、数ヶ月は掃き掃除や掃除機がけさえしていないもよう(夏前にわたしが掃除した記憶あり)。一日いったい何をしているのか疑問がわくし、あんな寝室じゃつかれとれないと思う。両親に苦言を呈したところで母親は何やかんや言い訳してわたしはその言い訳に気分がよくなくなるし、父親は「文句があるなら入るな。」と怒鳴りわたしの気分がよくなくなる。だから、だまって両親が知らない間にやるに限る!笑例のワ ク チ ンを複数回接種している両親、免疫が落ちていて、実際接種後手術や入院に至った経緯がある(本人達に自覚はないようだけれど・・・苦笑)。埃そのものもだけれど、厄介なのはダニなんだよね。健康ならともかく、免疫が落ちている身体にダニはけっこう堪えると思う。ウイルスの媒介になって、その回復に体力使って、結果つかれやすくなる。先日、コインランドリーでの敷布団のスチーマーをしようか、わたしの母親に言ったけれど、しなかったんだよね。でも、あの部屋の状態では、布団はいったんきれいにしてもすぐにまたダニの温床になってしまってただろうから、意味なかったかも。わたしは幼い頃喘息持ちで肌もアトピー気味だった。思い起こせばそれもダニが原因だったと思う。とりあえず、わたしは両親の寝室をコロコロと固く絞った雑巾で掃除した。畳と壁を。コロコロ、一気に埃まみれ。何枚もコロコロ使ってもすぐに一気に埃と髪の毛まみれ。それでも裸足で畳を踏むと足の裏に細かい埃がつく。ダニの死骸かもね・・・恐。固く絞った雑巾で拭いたら少しはまとまになった。両親には何も言っていない。別にいい。ただわたしが気持ち悪くてしょうがなかっただけ。少しでもきれいな寝室で寝てつかれをとってほしかっただけ。あと、ダニで体力落とされて何かあったときフォローするのはわたしになるわけで、早めに対処しておけば、わたしの負担も軽くなるという訳。要はわたしのためです。母親、肌が荒れたと言って皮膚科に駆け込んでいたけれど、対策としては部屋の掃除が先だったんじゃないだろうか・・・笑。病院では原因は別のことと判断されたみたいだけれど、あの寝室をドクターが見たらダニとの因果関係疑われること間違いなし。両親には寝室の掃除のこと何も言っていないけれど、娘がわたしを見て労を労ってくれた。それが、冒頭の「えらいね。」という訳。わたし自身は娘に「えらいね。」と褒めることはほぼないけれど(わたしの好みの褒め方ではないので)、保育園で先生に言われるんだろうなあ。家でも「えらい?」って聞いてくるもん・・・笑。現在の娘にとって最上級の褒め言葉を言ってもらい、嬉しかったです。お姉さんになったなあ。わたしの勝手ながら、もうしばらくはなるべく両親の再入院や再手術や介護など避けたいところなんですよね。だから、勝手ながら掃除させていただきます♪
わたしがまだ小学生の頃、学校の社会科見学で科学館に行き、とても楽しかったことを覚えている。科学館で汗かくくらい遊んだ。両親にもそのことを当時伝え、連れて行ってほしいと頼んだのだけれど、そう言えば連れて行ってもらってないな・・・苦笑。わたしはもう大人。さらに一児の母。自分でどこへだって自分を連れていけるし、娘を連れて行くこともできる。娘はまだ保育園の年中さんだけれど、科学館楽しめるんじゃないかと思い連れて行った(わたしが行きたかったから、娘についてきてもらったとも言える)。わたしの予想は的中し、娘は楽しんでいた。もちろん、わたしもおもしろかった。初めて連れて行ったのは今年の春だった。夏になると夏休みの影響か入場者数が増えたように思う。目の前で行われる実験はとても魅力的。運がよければ参加型プログラムのときステージにたっていっしょに実験に参加できる。娘もはりきっていつも挙手していて、一度は人前で実験する機会をいただいた。科学館って名前にわたしは「おもしろそう」という印象しかなく、娘もおもしろいおもちゃや施設があるところ、くらいにしか思ってないようだ。将来の学校の授業のために連れて行っているのではない。単純に楽しいんだもん。目の前で液体の色が変わること、風でボールを持ち上げること、音が振動であることが目に見えること、実際にこの目で見ると「うわぁ~っ!」と大人も子どもも声がもれる。その声に満足気な科学館の職員の方々。この分だと娘は小学生になる頃「科学館はもう飽きた」と言われるかもしれないけれど・・・笑、全国色々な科学館があるだろう。科学館によって内容は全然違うようだ。科学館を訪ねる旅というのもいいな。わたしにとって科学とは遊びを体系化したもの。不思議を説明するもの。家でも実験のようなことは時々やっている。そういう時、わたしは子どもの頃のわたしにやってあげている気持ちになることがある。親になってみて不思議なのは、こういう時。自分がしてほしかったことを娘にしたとき、なぜだかわたしが癒やされるのだ。「わたしはやってもらえなかった」なんて卑屈にならないんだよね。「わたしはやってあげられた」と優越感に浸るわけでもない。ただただ、癒やされる。なぜなのか?これにも方程式がありそうだ。
素敵な雰囲気のお店でおいしい日本酒を呑む、そんなことから遠ざかりもう5年以上かな。娘を誰かに預けて夜に出かける選択肢はあるけれど、わたしの心にそれはしっくりこない。娘をお酒が呑めるお店に連れて行く選択肢だってあるけれど、他の人は大人の大切な時間を楽しんでいるわけで、子どもを連れて行くと邪魔になる。だから、それもわたしの心にしっくりこない。落ち着いたバーで、しかもおいしい日本酒がおいてあるお店、そんなところに行きたいと思いつつ、諦めていた。でもね、まさかまさかの昼間なら子連れOKの日本酒のバーを不思議な縁で知ることになりました・・・笑。それは行かねば、それは行かねば、それは行かねば。娘を連れて行ってきました。本当に素敵なバーなんです。でも、モーニングもやっています。カオスだわ。日本酒は知らない銘柄や貴重な銘柄の飲み比べがメイン。オーナーのご意向で夜の8時以降は大人の時間で、子どもはNGですが、それまでは子どもの入店OK。その感覚もわたしにはしっくりきたので、すごく嬉しかったです。子ども向けのメニューはないけれど、ジュースの用意はあり。わたしのオーダーは、一人分のコーヒーとケーキのセット、一人分の日本酒の呑み比べセット、ウインナーとポテトサラダ一皿、りんごジュース。ポテトサラダは、バーのおつまみのポテトサラダ。マヨネーズで和えたよくあるものではなく、薄切りのじゃがいもとベーコンを酢で和えたジャーマンポテトサラダ。ウインナーにはマスタードが添えられている大人仕様(おつまみだからね)。コーヒーは締めに持ってきてもらうことにして、娘とバーを楽しみました。大人仕様のポテトサラダもマスタードも娘はお気に召したらしい、これは、将来有望だ(呑める口である可能性か高いということ・・・笑)。日本酒は3種呑み比べセット。呑み比べセット自体何種類かあって選びました。純米大吟醸、純米吟醸、特別純米吟醸の日本酒ばかり。グラスにつがれた3杯の日本酒は大きな升に入れられて、日本酒の瓶と共にテーブルへ。写真をとれるように、お店側からのご配慮です。途中までわたしと娘の2人だけしか客がいなかったことや、わたしが久しぶりのバーであることを店員さん(男性お一人)に伝えたことが関係したのでしょうか、店員さんが「コーヒー多めにとれたので」と締めのコーヒーを出してくださるときに、娘に甘いコーヒー牛乳をサービスしてくれました。コーヒーは、挽きたて淹れたて。まさか娘といっしょにコーヒーを飲めるとは。そのお心遣いが本当に嬉しかったな。気づけば前のブログ投稿から期間があいてしまいましたが、ものすごく忙しかったわけではありません。ちょこちょこアクシデントはありますが、ご愛嬌・・・笑。娘はもうすぐ5歳になります。旦那と出会って結婚してから色々経験して感情の荒波を乗り越えたことを振り返ると、今比較的平和で、「わたしがんばったなあ」となんだか感慨深くなります。理想へ向かってがんばったからこそ少し理想に近づいたんだもん。やりたかったこととは言え、自分を労いたい気持ちが正直なところ。そしたらようやく根本的に貧血を改善できそうな方法を見つけ、今絶賛体質改善中です。少しペースダウンして生きていきたいなあ♪あっ、バーでの日本酒とってもおいしかったです。バーの雰囲気が素敵だし、娘も笑顔だし。帰りに歩いたら、汗になってとんでいっちゃったけれど♪笑
最近ふと思ったこと、目の前に起こっていることは当たり前のことではないというのは、好ましい現実だけではなく、好ましくない現実にもちゃんと感じておきたいな、ということ。どちらも同じくらいの温度で。わたしの感覚だと、好ましくない現実が目の前にあるときに、「好ましい現実って当たり前ではなかったんだ」と自覚することが求められ、反省を求められ我慢を求められるような・・・。でもそれって変なこと。どちらにせよ、自分が作った現実なら当たり前のことではないし、思い描いていたのと違ったら修正していくこともできるし、別に好ましい現実とそうでない現実に温度の差はいらないと思います。「なんかおかしくない?」ってふと感じる違和感は見逃したくない。そうそう、友人から聞かれたのですが、わたし現在再婚願望ゼロなんです・・・笑。これは別に他界した旦那に申し訳ないから結婚しないわけではありません。願望として本当にないだけ、とりあえず現在は。娘との生活が楽しい(この4月に元気に年中さんになりました♪)。幼い頃からの夢であった母親になれて嬉しい。そうなの、結婚することよりも母親になりたい願望が強かったの。それを自覚しました。娘が巣立った後のことはその時のわたしが考えるでしょう。今はこの時間を楽しむ♪1人時間が増えたら増えたで、1人時間大好きなので楽しめる自信ありますけれど♪笑そんな再婚願望ゼロのわたしが夢の中で知らない若い男性(2005年生まれ)にプロポーズされてめちゃくちゃビックリしました!本当に驚きっ!!「実は抑圧しているだけで潜在意識ではわたし結婚したいのかも」なんてウェブの夢占いで検索する始末・・・苦笑。しかも何で知らない若い男性(2005年生まれ!笑)なんだ?笑一応夢の中で相手はわたしのこと前から知っている設定。現実世界で、設立した法人のモロモロの歯車が噛み合いだしたタイミングだったので、どうも仕事運や金運上昇の兆しのようですね。わ〜いっ♪それなら嬉しい♪♪法人運営においてもね、「1年目からすべてうまくいくことはない」って思い込んでいまして。「1年目からうまくいっても何も支障はないし、なんならその方が嬉しい」と気づいたら、うまくいきだしました・・・笑。潜在意識、働いているなあと実感しました。
家具を組み立てる。部屋の寸法を測って、その大きさに合わせてほしい機能があるほしい色の予算内の家具を探して注文。配達で受け取り、説明書見ながら、組み立てる。簡単♪簡単♪とはいかないまでも、最近の家具の組み立てはずいぶん楽になったと思う。板の1つ1つに番号がふってあったり、どちらが上面かわかるようになっていたり。わたしは「DIYが趣味です!」と言うほど自分で作ることはないけれど、イメージしたインテリアにするにはどうしたらいいか考えて形にするのは好き。自分で組み立てた家具を見て、何とも言えない満足感に浸る。イメージしたものが形になると、やっぱり嬉しい。嫌いな家具や使いにくい家具をいくらイメージしたところで、理想の家具は目の前に現れない。そんな当たり前のことをわかっていなかった数年前に比べると、わたしも少しは自分の人生の舵取りが上手になってきたように思う。法人のガソリンカードを作ってみた。法人のクレジットカードは設立翌月に審査が通り作成済み。今回はガソリン専用のカード。少しお安く給油ができ、翌月まとめて口座引き落としができ、ガソリンカードには車番や社名が入る。引き落とし口座はクラウド会計ソフトに連携済みだから、記載漏れが防げる。設立して間もない法人には信用がないのは、自覚しているから、車番の入ったガソリンカードで給油することで経費精算時信頼性が増すと考えてのこと。ガソリンカードの存在は以前勤めていた会社の営業職の人たちが使っていたから知っていて、明細もどのようなものか見たことがあった。どこでどれだけいれたかわかる。私用に使っているかどうかもそれでチェックして、指導していた(仕事とは関係のないところで給油したり、仕事が休みの日に給油したりしている人、いましたねえ・・・苦笑)。ガソリンカードも一応審査があり、設立1年目は落ちることもあるらしい。物を言うのは代表者の信用情報。これまで一度もクレジットカードの支払いを滞納しておらず、法人設立前に持っていたクレジットカードが銀行系1枚のみだったのは、条件としてはよかったようだ。家賃も滞納したことがない。そのおかげか、今回引っ越しして数ヶ月でも審査に通った。法人設立してみて思うのは、代表者の信用情報って1人社長の場合かなり重要。特に1人社長で設立1年目ともなるとほぼ代表者の信用情報による。設立2年目にはまた後1枚法人のクレジットカードを申請してみよう。設立3年目にまた1枚。何となく3枚あると安心・・・笑。まだまだ理想には至っていないけれど、理想はあるわけで、その道を探りながら進む。家具の組み立てをしていて改めてそんなことを思ったわけだけど、後から知ったんだよね、まとめて家具を頼んで一定の金額以上頼んだら組み立て設置費無料だったって・・・笑。わたしが想像していたより、家具の品質がよかったので、プロの人に組み立ててもらったら、もっと素敵になっただろうなあ。まあ、本来ただの棚であるものを娘のおもちゃのブロックの作業台として組み立てたものもあるんだけどね(自信作!笑)。法人の固定電話番号、なるべく安く取得して維持費も安く抑えたくてもう創業前から色々調べて、ようやく納得する形に落ち着きそうです。これでまた1つ法人の信頼度があがるかな。そうするとできることが増える。まだまだ根強い固定電話番号有無という信頼のはかり方。いらなくなったときに解約しやすいのも選んだプランのポイントだった。ア マ ゾ ンのビジネスアカウントも取得した。ア マ ゾ ン ギ フ トをもらったのがきっかけだったけれど、法人会員だと少し安く買えるものが多いみたい。ア マ ゾ ン、個人アカウントは使ってないんだけれど・・・笑。ありたい姿がわかるからこそありたい姿に向かって進める。本当にシンプルだけれど、そのことを自覚せず、嫌なことを避けるだけだったことも多かったなあ。今年も楽しくがんばります♪後はわたしががんばればいいだけって環境にすごく救われる日々です。自己犠牲精神ではなく、「わたしががんばればいいだけ」そう思えるって幸せです♪
旦那が他界して、もうすぐ丸3年経つ。3年間の時間が流れたということ。わたしと旦那の結婚生活は3年間に満たなかった。早くも結婚生活期間をシングルマザー期間が超えてしまったということになる。この3年間を振り返ると、旦那の後始末を優先させた前半、わたしの休息を優先させた中盤、私と娘の新しい生活づくりを優先させた後半、と大きく分けられる。何がありがたいって、娘の成長だ。元気に育ってくれて、本当にありがとう。先日、久しぶりに旦那の親戚から連絡あり「顔見にに行っていい?」とのこと。こちらを心配してくれてのことだとわかっていたけれど、何だか心がきつくなり、別の理由を作っていったん断った。このままのらりくらりと交わすのも嫌で、かと言ってすすんで会いたいわけではない、「はて、わたしはどうしたいんだ?」とゆっくり考えた。そして出した答えが“キチンと理由を説明して断る”だった。後日、わたしなりに考えた丁寧な文章で改めてメッセージをいれた。改姓したこと、義兄の振る舞いのこと、今まで色々していただいたことに対する感謝など・・・。わかってくれたか、本心はわからない・・・苦笑。それでも、違う人間が少しでも相手に自分の今の状況を理解してもらいたいなら、伝える他ない。わかってもらえるかは、わからないけれど・・・笑。とりあえず、日本メンタルヘルス協会で学んだアイメッセージを使うことを意識した。それは、わたしの中に「どうしてわかってくれないの?」という気持ちが相手に芽生えていたから。話を聞かない義兄のような人にならともかく、そうではない人にそのような感情を抱くのは、恥ずかしながらわたしの単なる幼児性のあらわれだな。そう気づいたので、“これからは会うのを控えたい旨”のメッセージを丁寧に伝えたわけだ。相手のご厚意を断るのはわたしにとって勇気のいることだった。だけれど、できたよ。やってみたら、できたよ。幸いというかなんというか、旦那のお墓は永年管理料を一括で支払い済みで、今後経済的な負担は一切ない。娘に将来経済的な負担をかけるのは避けたかったので、一括で払えるところを選んだ。娘のためにも旦那の他に誰かの遺骨を納めることはしない(そのためもあって旦那の法名を墓石に彫ってもらっている)。旦那と仲のよかった人のためには、お墓というモニュメントをつくっておいて、わたしの場合は都合がよかった。地理的にも仲の良かった親戚には便利なところだ。ええ、これからも幸せな巣作り、楽しみますよ♪
娘がわたしの絵を描いてくれた。絵の題名は「サンタママ」とのこと。サンタの帽子をかぶったわたしの顔。顔の周りにも色々描いてくれた。その中の1つがおもしろい。「あたたかい雪を描いてあげるね!」と赤い色えんぴつで赤い丸を複数描いてくれた。あたたかい雪、かあ。そんな題の詩を学生の頃書いた記憶がある。ふわふわとあたたかい雪が降れば、身も心もあたたまりそうだ。年始から「んっ!?」と思う情報がテレビから流れている。扇情的な避難を煽るアナウンスは、少なくとも該当地域以外には必要ないだろう。緊急地震速報を日本全国に流す意味もないと思う。必要以上に緊張感と恐怖感を煽っているように感じる。 被災してない側の緊張感と恐怖感が増しても被災地の被害は抑えられない。ゆったりとした心持ちになったほうが心広く支援だってできる。支援物資を送るより、自分の家の備蓄を少し足したほうが世のためになるのではないのかなあと考えるわたし。数日間外出しないでいいように日頃から備蓄しておくことは、災害時だけではなく体調不良のときも助かるよ。あたたかい雪、日本列島に降らないかなあ。
12月は保育園は発表会の時期。娘の通う保育園でも発表会があった。年少クラスの娘は劇と歌の発表。「ママに見てもらえるのが嬉しい」と照れながら発表会前に言ってくれた。がんばる子どもの姿に成長を感じで保護者はみんなウルウルだ。クリスマスプレゼントのリクエストは娘から聞いていた。サンタクロースは煙突がない家にはどうやって入るのか娘は心配していた。わたしはサンタクロースはどんな部屋の鍵も開けることのできる魔法のマスターキーをもっていると思う。幸いサンタクロースから希望のプレゼントが寝ている間に娘の枕元に届き、とても嬉しそうな娘だった。旦那との闘病を伴う結婚生活のときからだけれど、クリスマスや娘の誕生日は特に感情的な義兄にこれまでも振り回されてきた。今回のクリスマスも。で、吹っ切れました。もっと、義実家と距離をおこうと。わたしとしては何も困りません。むしろその方が楽です。義父も義兄弟もわたしの娘の成長が一番の楽しみでしたから、その楽しみを奪うのもかわいそうで定期的に娘を会わせていました。その結果作った現実が、今回の義兄の辟易する状況。ほんっと、こちらの都合はおかまいなしでこちらの話は聞かないんだよね。自分のやっていることは絶対正しいと疑わず押しつける思考。こんな人に気を遣うわたしでありたくないと思いました。もっと距離をとる選択をしました。娘も会いたがらないから、何の支障もありません。旦那の法事も一通り終わっているというのも清々しい。怒っているというのは今のわたしに適切ではないな、呆れて見放したというのがしっくりきます。そんなわけで楽になりました・・・笑。今までわたしも娘もよくがんばりました♪金輪際会わないなどと拒絶しているというよりは、とりあえずわたしと娘の世界から消しさった感覚です。年の瀬になんだか身軽になりました。保育園の発表会での娘を見て、わたしの両親も親戚も幼い頃のわたしにそっくりだと言っていました。女の子は男親に似るものだと思っていました。でも、友人の子どもの写真を見ても女親に似た娘ってけっこういると感じます。いつまでママ大好きでいてくれるか、いつまでいっしょにいてくれるか、それはわからないけれど、いっしょにいられる時間を大切にしたいと思います。社用車もゲットし、車で飛び跳ねるように行動しています。今年も1年間がんばりました!!起業にまつわるあれやこれや。もうさ〜、穏やかにすごしたいんじゃなかったのわたし?っと自分で自分にツッコんでいます・・・笑。今年もありがとうございました。みなさまよいお年をお迎えください♪