挨拶もせずに長々と論じてしまいました。

 

 

読んで頂ければ嬉しいです。

 

 

 

単なる偽善者ぶって記事を書いた訳ではありません。

 

 

私も、その当事者の一人でした。

 

「センチメンタルな気持ち」でも書いていますね。

 

 

ええ……私も反省しました。

 

実際彼女にアンチコメントしたり誹謗中傷を投げかけたりしていませんが、他所で傷つける様な言葉を掛けてしまいました。

 

その他の人に対しても行って来た事も反省しかありません。

 

 

人間は嫉妬をする生き物だ。嫉妬をしない人はもはや悟りを開く。

 

私だって嫉妬をします。嫌いな人に言葉を投げてしまいそうになります。

 

でも、そこで足を止めて考えて見るんです。

 

「もし、私がされたらどう思うんだろう?いやだな……あ、面倒くさいや」

 

となって止めます。相手の気持ちを自分に重ねるのです。

 

 

心に善を持っている人なら、アンチコメントは決してしないはずです。

 

罪を犯す者のそれです。

 

 

 

 

私は自ら命を絶とうとした事がありました。

 

中学生の頃の口癖は「死にたい」でした。

 

私はオカマです。

 

様々な冷たいあしらいを受けたりして来ました。これに耐えられなかったのです。

 

 

ですが、こうして10年間も生き続ける事が出来ました。

 

何がそうさせたのか……。

 

それは

 

 

生きていれば何か幸せな事があるのではないか

 

生きていれば何か楽しい事があるのではないか

 

 

そう思うと、生き続けられました。

 

 

したら、歴史・着物に出会う事が出来、自分の目標を持ち、「生きていて良かった」と思えました。

 

人間誰しもそんな時があるのではないでしょうか?

 

 

それでも死にたいと思ったら、愛する人の事を思い出します。

 

母・兄・友達・恩師

 

この人たちを思えば、生きようと思えました。

 

 

でも、自殺する人はそういう人達を思い出せない程、心が追い込まれているんです。

 

「いない」という訳ではありません。

 

「思い出せない」んです。

 

 

心が弱い・強い関係なく、考える気持ちも大事なんですよ。

 

 

 

自分がそういう経験があるからこそ、私は寛容的な性格になれました。自分で言う事ではありませんがね。

 

嫉妬から生まれる汚い言葉や中傷は、自分の心の中に留めましょう。

 

もし、コメントをする勇気があるのなら、違う事に力を注いでください。

 

私はそう思います

 

 

 

他の誹謗中傷に批判を持つ人も同じ事を言っていますが、私は、自分の心に問いかけて生まれたのが、

 

「アンチコメントする時間と労力があるのなら、別の事に力を注げばいいのに」って……