私は正直、自分が乳がんになったと知って、少なからずショックは受けました。

…いや、ショックとは少し違うかもしれない。
なんて言うのかな…
当時の私は「そっか…乳がんなんだ…」って。
説明を聞いて、限りなく黒に近いグレーが黒になった瞬間…

「そっか…乳がんなんだ…」
これを、待合室で受け止めて涙がこぼれました。
次に「ボウリングの復帰はいつかな」とか「社会復帰はいつかな」って…

看護師さんが「大丈夫ですか⁉️」と聞いてくださったので「大丈夫じゃないですけど、仕方ないですよね」みたいな言葉を言いましたかね…
色々終わって、トライアルを応援して…
私のモヤモヤは晴れました。

その前の時も、地味に落ち込んでいたのに、ローダウンを教えてくださったので、ボウリングに集中が出来ましたおねがい

…私って、すげー恵まれてると思います。
乳がん経験者も近くにいらっしゃるし、私を暖かく見守ってくださる人もいて、私に元気をくださる直球の言葉をくださる方もいます。

確かに私は「ただの人」から「ガン患者」に変わってしまった…
でもね、多分だけど産まれてから決まっていたことなんだろうと思いますよ…
私はおそらく、乳がんになるのだと決められていた…
だから「自分の人生に悔いのないように」ってのが常日頃ありました。

…けどね…
言うても後悔はありますよ。
乳がんだと言われた時に「子供は産めるのか」って。
これが不思議なもので、制限がかかることで私は「欲しい」と感じられるようになった。

ぶっちゃけ、ガンにかかったってだけで、常に不安はあるでしょう…
5年生存率とか10年生存率…ってね。
再発や転移を考えてしまうでしょう…
でも、それは統計的な数値でしかあらず、私がそれに当てはまるとは限らない。

最初…
うーん、本を買って読んだ時は落ち込んだかな。
私よりも彼ちゃまの方が、真剣に考えていた…
私は「だって、月曜日だよ⁉️レッスン行く都合を考えたらラッキーでしょ」って話で、彼ちゃまは肩透かしを食らったのね(笑)

この前も「私は受け入れないのかな」って聞いたけど、彼ちゃまは「受け入れてるでしょ」って。

その…
「胸がなくなる」ことに対して、私には「それがどれだけのストレスになるのか」が分からない。
だから受け入れられてないんじゃないか⁉️

そこなんです。
今までは「限りなくグレーに近い」だけだったので、他人事でもあって…
そんな時にローダウンのレッスンをしてくださった昌吾プロの感性は凄い‼️

「私がモチベーションを保ち続けるためのレッスン内容」だったのではないかと…

とある人に「また、アスリートのぴょんし〜さんとボウリングできるのを楽しみにしてます」って言ったエヴァ君の言葉を聞いて…
「いや、死なねーし」の気持ちは、間違いなくそうでしょう。
うん…
死なねーし‼️(笑)
手術が終わってからも、昌吾プロとお食事行ける予定⁉️
んー‼️
違う‼️
その為のリハビリもするから、ボウリングか社会復帰か…
そうなった時のお食事に、ホルモンの美味しいお店に行くつもりですおねがい

こんなに元気をいただいて良いんじゃろうか…
いや‼️
その元気を、結果につなげる為のアスリート的な努力をしますのよ‼️(笑)

北海道‼️
今回は見送りますがね‼️
次は行きたいですのよ‼️
それまでに、私は全てにおいて回復必死(笑)
いや…
きっと…
いろいろやっちゃうな(笑)