藍色サブマリン -5ページ目

目が危険を知らせてくれる

4月からウツで休業(休んで)していた元上司のSさんが半年以上のブランクあけて出社してきた。ある日俺がいつものように更衣室へ入ろうとして、彼は丁度その部屋より出てきたのだ。


「迷惑かけてすみません」だって。そのとおりだよ。増産体制で会社じゅうピリピリしている時の一番のタイミング、そんな中で新業種の設備の受注もあって去年6月から9月まで、おれがどんだけ苦しんだかあんたわかって居ない。おれも本気で不眠症になり、いろんな人のアドバイスもあって診療科へ行くつもりで、睡眠薬も調べたほどだ…あんた一人のおかげで、うちのTさんも酒と不摂生で肝臓のダメージはひどく、精密検査の結果次第で入院するかも、てな状況。あんた一人のおかげでうちの課はボロボロだよ。ほんとお気楽なものだ…  


こんな場ではこう言えるのだが、表面では温厚で冷静なおれは

「おはようございます」って言うのが精一杯で、他に何を言えばいいのかわからん。もう大丈夫ですか?とか、頑張ってくださいね?とか最近どうですか?とか…何を話せばいいのと思いながら、結局何も話せない状態。うちのアシスタントのMちゃんも「まだ何も話せていない」って言うから、みんな同じ事を思っているらしい。


そんなこんなで彼は出社しているが、元の席:俺の右側では無い。うちの部署はあまりにも刺激がキツイので別の閑職の席について日がな一日パソコンで何やらしている。何をしているか判らない。インターネットか?

こんな窓際男を出社させて給料払う余裕あるのねうちの会社。彼の分の100分の一でいい給料分けてくれよ。おれの働きで得た会社の利益を彼にあげないでくれ。たのむ。


少々キツイ言い方だが、この手の新型ウツが発症したらすぐに休んで長期療養してもらって完全に治療しなければならない。中途半端で会社に来るな。って。

彼は、会社に来ても目付きが変だ。それに予防かどうかしれないが一日じゅうマスクをしているのだ。よく考えると人の視線が怖いので顔の隠す面積を増やすためのマスクらしい。


そこまでするのか?

ほんと完全に治療してまた元通り出社すればいいのに。時間かかってもだ。

あの目は、ほんと死んだ魚みたい。こんな目の人が自殺とかするのかもしれない。


2011年

本年もよろしくおねがいします。


藍色サブマリン


ビジネス実務法務検定2級

どうも受かったようだ。

ちょっと前だが12月12日の日曜日 地元の京都大学に初めて行ってきた。じつはここは自宅よりかなり遠いところで、受験地を滋賀県にすれば勤務地に近い大津市だったし、受験票もらってから後悔したのだ…


2009年夏に3級受かってから急に仕事が混んできて勉強する暇も無く、おれの頼りにする上司はうつ病になり会社に来ないし…そんな中、彼のバックアップとか尻拭いとかくだらない事に奔走しつつ…時間ばっかりたつ。

2級の受験は初めは考えなかった。問題の意味も良くわからないし、ほんと意地悪問題ばっかりだし、でも、おれの老後とか、定年後の法律系資格でもっての個人開業とか考える中で、2級は通過点として避けられないものであった。

普段、仕事で遅くなりながら勉強するのは至難の技。平日には時間は取れず、辛うじて通勤電車の中往復合計30分だけ、本気で勉強を始めたのは9月末頃だったろうか?毎週土曜日298円弁当持参で公共の自習室(京都府立資料館)で朝から夕方まで勉強したよ。本気で…俺の定年後、路頭に迷い野宿し凍死寸前の姿を想像しながらだよ。だから背水の陣なのであった。


いろんなサイトとかブログとか見てると「勉強時間は一日○時間以上で」とか言ってるけど、勉強時間は何の意味も無い。どれだけ理解できたかである。そんなものさしは捨てなさい。

私の場合は東京商工会議所の参考書と問題集を購入し(値段は高い!)最初は参考書を読んで要点をノートに書きまとめていたけれども、途中で飽きてしまい中断。戦法を変え今度は問題を判らないなりに解いていき、間違ったところを参考書で復習することにしした。でも時間がいくらあっても足りない。最後は問題集の解答だけを暗記することで傾向をつかんだのだった。

結局、試験は見たことある問題ばっかりで難なく(結構ギリギリだが)終えた。試験日の夜にはインターネットで解答が出てるので答え合わせをして合格であった。よかった。


わしは、学生の時は理系の工学系だった。ほんと法律はシロウト。で、来年法律系資格のワンステップ上?(行政書士)を目指す。予備校無しで大丈夫かな?でも、定年後路頭に迷い、食べ物、住居に困る自分を想像すれば全力で頑張る以外無い自分がそこに居るのである。


おれ自身が生きていくために。

藍色サブマリン

予備校時代の中島食堂

いつも家族に相手にされない俺は、休みは自分の時間である。最近は誰にも邪魔もされずに十分好きなように使えるのだ。昨日は恒例の土曜日の勉強デイで、朝早くからいつもの自習室で弁当持参で(298弁当)真剣に学習するのだ。おれの定年後の食い扶持を見つけるための…。そこの自習スペースは、地方公共団体(京都府)の施設だが、暖房もありーの、休憩室もありで、至れり尽せりで税金払って初めて恩恵があると感じた施設でもある。


で、その施設のある場所は、おれが予備校時代に過ごした街であり、当時の彼女が住んでいた街であり、昨日20年ぶりにその辺を歩いてみた。


予備校時代にいつもお昼を食べていた「中島食堂」(河原町今出川下がる)は既に無くなっていた。いまはどこかに移転したか、それとも廃業したか…

歩きながら涙を目にいっぱい貯めた午後であった。

誰か情報あればお知らせくださいお願いします。あそこのジャンボオムライスがもう一度食べてみたい…無理かな?


それと、元カノの住んでいた家は、何か理髪店になっていて、すでに彼女の家は無い。どこかで元気に生きているのだろう。ああ、20年ふた昔。いまだに残ってると考えるのがおかしい。


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