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私財で日本初の富士山に観測所

芙蓉の人、明治25年12月(1892)年日本で初の気象観測所を富士山頂に

私費で設立した夫婦愛の物語でうる。NHKで放映され感激したのでここに

編集させていただいた。


野中到、妻千代子、氷点下20度と言う環境の中で、苦闘と闘いながら

観測に挑み、到は膠原病で目の視力は落ち千代子は夫に代わり時間

を克明に策定し記録を観測していくが彼女には5歳になる子供が(豊子)


のことも気がかりで到の介護と己の心痛は如何ばかりかと感じられ

ました。また支援する人々は5合目のテントで山頂の到の安否を感じ

何組かの編隊を組んで山頂を目指して登山するが思うように進めず


吹雪と足元のぬかるみの中何とか山頂にたどり着き支援隊の説得に

到は千代子に君が下山しなさいと、貴男が留まるのであれば私も共に

留まります。千代子は、夫の不動の決意を確認と支援隊の方々に


心配するに及びませんと、丁重にお断り申します。どうど下山をして

下さい。とお伝え下さい。第二次の支援隊を遠征させたのは最初の

支援隊の話を総合するとこのままでいいのか否か結論は、是が非


でも下山すべきと結論でタンカと応急処置の備品をそろえ体制を組み

山頂に着き、到夫妻を説得し観測デタ-を以て下山することが出来
ました。キャンプでは地元消防団、警察、登山山岳隊が待つなか


無事下山する事が出来ました。

野中到は、慶応3年(1837)年福岡にうまれる。気象学を東京大学で

学び大学を中退し1889年に富士山頂に観測所を設立して日本観測史


の先駆けとして後世に語り継がれていす。昭和30年2月死去89歳

一方千代子は3人の子供に看取られ大正12年52歳死去

自然災害の多い日本にこうした先駆者がいた事は常に心して日々の


生活が出来るのも先人の偉大な方々を忘れてはならないと.......

その後、国立の現在の観測所が設立されました。