15年前の3.11を思い出し「自分の時間を大切にしたい!」と思う
もう15年か? 朝のテレビから東日本大震災の話題が流れていた。 私は今、仕事をリタイアした60代だ。 15年前は働き盛りの転勤族で中間管理職として愛知県内で働いていた。 15年前のあの日あの時間、私は事務所で仕事をしているとゆらりゆらりと事務所の揺れを感じた 廻りの部下や上司は気づかなかったが「地震じゃない?」と私が話すと廻りの部下や上司はやっと気づいた 私はすぐに事務所内のテレビ(NHK)を点けると「東北で大地震発生、津波警報」との事だった。流石に事務所内の皆は呆然と凍り付いたかのようになった。 その後、津波が発生してこの世のものとは思えない映像が流れた 皆、仕事どころではない雰囲気だったが、事務所内の電話が鳴り響き、その中には本社からの電話があり、私への電話だった。本社のある部署の課長から「東北のA事業所が津波の被害に合い、B事業所はライフラインの被害でどちらとも明日からの事業に影響が出る。お前の事業所から急遽商品の応援発送と支援物資の対応をして欲しい」というものだった。私の一存では対応できないため、事業所長へ話し「中部エリアの営業の協力も得て対応しよう」という事になり、私がこのエリアの陣頭指揮を執る事になった。協力会社にもお願いし、商品発送の運送会社を手配し、燃料(軽油)の確保と飲食料等も従業員一同協力して買い出しし、手配したトラックへ商品と燃料、支援物資を積み込み、運転手には飲み物と食事代(自腹)を渡して東北まで走って貰った。 その日、手配したトラックは3車で22時過ぎまで商品等の積み込みを見守っていた。2日目から配送トラックの手配が難しくなり、九州の運送会社にまでお願いして愛知の事業所まで来て貰ったりした。「東北への支援が第一」という本社の意向を私達は必死になって続けた。事業所内の生産現場は24時間3交替で稼働し、原材料の手配等、担当者には苦労の掛けっぱなしだった。 また、中部エリアの営業からは「東北の支援もわかるがこちらの事(欠品の無いように)も考えてくれ」と少しづつエリア内部でのギクシャクムードが高まりつつあった 東北への支援を1ヶ月経過した頃、商品の支援する供給量がだいぶ落ち着いてきてホッと一息ついていた。しかし、中部エリアの営業(上層部)から本社に震災の支援対応にクレームがつけられ、東北支援の陣頭指揮を執った私に矛先を向けられた。 中部エリアで商品の発送は多少の遅れはあったようだが、欠品は無かったと聞いていたので何が問題になって私にクレームの矛先が向けられたのかわからなかった。 そんな事もあったが、本社に呼び出されて注意等を受けたわけでも無く、逆に東北エリアの営業担当者達から御礼の電話や御礼の挨拶に来てくれたほどだった。 しかし、東北への支援も終息した直後、私は北海道へ転勤となった。 東北支援の多忙な日々をやり遂げた達成感はあったが、私の心の中では「使い捨てカイロ」みたいな感じがしていた。それでもこの会社で働いている以上、我慢しなければならないと思い仕事に向き合って来た その先の北海道勤務や北関東勤務でも色んな難題を乗り越えて来たつもりだったが、体調が優れなくても何とか定年まではと歯を食いしばり、やっと定年までこぎ着けたが、会社から再雇用を望まれ1年は辛抱しようと腹をくくってみたものの、体に癌(ステージ2)が見つかり、体調不良を理由に会社を退職し、希望の永住地に転居した。引越し後には総合病院に通院し、手術を受け退院し今に至っている。 術後の経過は体重は激減し、時折体調が優れない事もあるが、結婚して初めて毎日自宅で妻と顔を見て過ごしている。家事を手伝ったり、買い物に一緒に出掛けたりと会社に勤めていた時は休日の時だけだ。 私は自分の老いを感じながら「妻への感謝を忘れずに自分の時間を大切にし、のんびりした生活も悪く無い」と思うようになってきた 生活資金は必要だが、「何とかなるさ!」と今までには無かった自分を見つけた