震災【3】 | ★同じ空の下で★  

★同じ空の下で★  

だれかの 日向に なりたいな
あったかい人になりたい。


しばらく間があきましたが
続きです。


あたしの地元の石巻
悪友たちとのなくせないあたしの大切な大切な街でした


悪友の実家も流され跡形もない街並み

自衛隊も入らない
自力で毎日さがしていた悪友
車を見つけたと写メがきて
免許証があったと

でも家がない
身体ない

両親をほんとにひたすらガレキをかき分けさがしてました
一ヶ月探し続けてた
友達とみんなで待ち合わせして探そうとしていた時


のん…
見つけた…
良かった…
無縁にしないで見つけられた…
彼は号泣でした
あたしも号泣した…
2人で泣いて泣いて良かった良かったと…

後日、仲間たちと安置所へ
あたしの知ってる
おばちゃん おじちゃんの顔ではなかった


ただ寒かったね
苦しかったね
痛かったね
それしかない

あなたの息子は半狂乱になりながらもあなたたちを自分で見つけると言ったこと果たしたね…

もう大丈夫だよ…

photo:01



かれの両親は
逃げなかったんです
避難所に行っても身体が不自由だから迷惑かけるからと…
逃げましょうと声をかけてくれたひとにそう言って鍵をかけて


あの轟音と強い余震の中
不自由な身体のおじちゃんをベッドにくくりつけて
自分も流されても絶対に離れないように自分の身体も縛り付けて

津波が来るのを
じっと…
じっと…
待っていたのでしょう


遺体は2人でみつかりました
しっかり縛られたまま



彼はお母さんらしいと泣きながら言ってた

最後まで親父はお前は逃げろと言ってだろうが母はあんただけ死なせないって言ったんだろうなぁって…



そしてそれからさらに一ヶ月してようやく葬儀が出来たんだよね


葬儀に参列している人はみな被災者

奥さん亡くしていたり
親を亡くしていたり
子供をなくしていたり
家をなくしていたり
親戚を身内を…それぞれなくし
それぞれの思いが重なるそんな葬儀だったなぁ


あれから
もう少しで一年になるんだよね

昨日のことのようなのに



あたしはというと
ここでの友達からの救援物資や家電製品 コアちんのもの
みんなから助けてもらい

福岡の友達はボランティアに来てくれた
初めての対面が震災のこんなことだったのは悲しいけど
凄く嬉しかった

photo:02



photo:03



福岡応援隊の皆さん

あたしの地域ではなかったけど
泥のかきだし汗かいて一生懸命にしてくれていました

ありがとう


うちはというと
車は海の底なのかみつからないまま


探したなぁ
photo:04



車が見つかったからって乗れないのはわかってる

ただmoreちんのお骨を包んでいたバンダナとかね
ずっと一緒にと車に結んでいたから それが気掛かりだったの

幸い津波はmoreのお墓の下まできましたが 大丈夫だったのも かなり時間がたってから行けるまでかかりました


そのあたりはもう夏になってた…

photo:05



でも

TVでは復興だの復旧だの言ってても
なんも変わらないのがほとんどだった


時間…季節だけが流れて…

photo:06



花火だけは

こんなに泣きながらみたのは
一生忘れないでしょう…
鎮魂の花火…




続く






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