JCO臨界被曝事故から25年
| 「事故の教訓」は生かされていない
└──── 山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
◎ 1999年9月30日午前10時35分頃、東海村にあった核燃料
臨界は約20時間続いた。
18.8%のウラン235を含むウランの粉末を、硝酸溶液を使っ
◎ この作業手順は、規則に反するもので臨界管理上重大なミスを引き起こしたが、作業工程は発注元である「旧動撚」(当時は「核燃料
この事故で2人が1999年12月21日と2000年4月27日
◎ この事故の最も大きな特徴は、日本で初めて「原子力防災」が発動され、周辺350m圏内全員退避、10キロ圏内に屋内退避が発令
その後の調査では、近隣住民667人が被曝したことも明らかにな
2003年3月の水戸地裁判決では元所長ら6人が業務上過失致死
しかし発注元の「核燃料サイクル機構」は訴追されず、法的責任も
☆真の事故原因
◎ この事故は一般の原発で使う「低濃縮ウラン」の燃料製造で起きたのではなく、「核燃料サイクル開発機構(旧動撚)」が所有する高
一般の燃料と異なり高速炉用の燃料は「中濃縮ウラン」ともいうべ
一般の燃料は「3~4%」なので、18.8%もの濃度の燃料は臨
◎ 通常のウラン燃料を扱う設備では、未臨界を維持する運用が出来ないので、バケツをたくさん並べて少量ずつ硝酸溶液にしておき、こ
で均質化を行うはずだった。
これにはかなりの時間がかるため、大きな沈殿槽というタンク状の
◎ 原子力安全委員会の報告書や裁判では、作業自体が違法なものであり、作業員に原因があると結論づけているが、こうした危険性につ
◎ これが後々の原子力産業全体で繰り返される事件事故につながっている。
高速炉「常陽」は「もんじゅ」の1つ前の段階の実験炉だ。燃料は
この均質化作業をJCOに発注した。それを臨界管理ができない沈
特殊な燃料の作業なのに過去の経験も少ない従業員に任せる構造が
核燃料サイクル政策を担う先端に位置するはずの事業者で、この実
◎ 既に「もんじゅ」が廃炉になり、目的を失った「常陽」を再稼働させる計画が進行中だ。すでに新規制基準適合性審査を通過しており
2007年に装置をぶつけるなどして炉心部に部品を落下させる事
新たな「危険因子」がまた1つ動きだそうとしている。
☆JCO事故と原子力災害
◎ 原子力災害は、本来対策をしておかなければならないことができていない場合、想定を遙かに超える災害になる。
JCOの場合は「臨界」というものを軽視した結果、引き起こされ
高速炉燃料の均質化を発注していた「旧動燃」の担当者も臨界管理
原子力に従事する人々の非常識極まりない無知と功利主義は、数々
◎ 1999年の事故を教訓化できなかった原子力事業者は、その後も
2004年の関西電力美浜原発3号機の2次系配管破断事故で死者
臨界事故では、JCO事故よりも前に発生していた北陸電力の19
当時は「公表すると2号機の工程が遅れる」「作業員は被曝してい
◎ 地震に伴う災害も。
中越沖地震により甚大な被害を受けた東京電力が、東日本太平洋沖
☆今も実態は変わらない
◎ JCO事故を、原子力産業は教訓化しているのか。 1999年以後の歴史は、それを否定しているのではないか。
しかし政府はGX脱炭素電源法を成立させ、原発の再稼働、新増設
◎ 現実は、六ヶ所再処理工場も完工見通しは立たず、老朽原発の再稼働はリスクを高めるだけ。新増設のために経済産業省が、建設費を
資金調達ができない産業を無理に延命させることは、危険である。
◎ 原子力を支える人材は、2011年以降激減している。
東電の柏崎刈羽原発でも運転経験のある人が半分しかいない。
再処理工場の審査では申請書に大量の誤植や乱丁があった。作成者
◎ 日本は諸外国と異なり、原子力施設が原発以外に多種多様だ。原発だけが原子力施設ではないことが問題を更に複雑にしている。
JCO臨界被曝事故が起きた際も、JCOという施設が何をしてい
今の日本は、当時に比べても更に人材がいない。
原子力災害が何処で、何時起きるか、恐ろしい状況を変えるために
◎ 当時、東海村村長で、独断で住民避難を決行した村上達也さんは、「明治以来、欧米の科学文明に驚いて殖産興業を進めてきたが、い
同感である。