いわおさん 秀子さん 無罪判決おめでとうございます(=^・^=)
こころからおめでとうございます💦
2007年、巌さんの事件を教えていただき支援させていただくことになったYさんはすでに他界されてしまいました。
巌さんのファイティングポーズに学びはげまされ、 捜査機関の証拠ねつ造を許さず冤罪なくす戦いを続けます
検察は控訴してはならない!
日本の司法が起したこの残酷・残虐な国家犯罪を二度と繰り返させない闘いを
逮捕から58年、無実を訴え闘い続けてきた袴田巖さんに、
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事件 NHK
【速報中】袴田巌さん再審で無罪判決“捜査機関が証拠ねつ造”
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58年前、静岡県で一家4人が殺害された事件で死刑が確定した袴田巌さんの再審=やり直しの裁判で、静岡地方裁判所は捜査機関によって証拠がねつ造されたと指摘し「袴田さんを犯人とは認められない」として無罪を言い渡しました。
目次
無罪が言い渡されたのは袴田巌さん(88)です。
58年前の1966年に今の静岡市清水区でみそ製造会社の専務一家4人が殺害された事件で、死刑が確定した袴田さんの再審は、去年10月から開かれ、あわせて15回の審理が行われました。
最大の争点は事件の発生から1年2か月後に現場近くのみそタンクから見つかり、有罪の決め手とされた「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかでした。
26日の判決で静岡地方裁判所の國井恒志裁判長は「1年以上みそに漬けられた場合に血痕に赤みが残るとは認められず、事件から相当な期間がたった後、捜査機関によって血痕を付けるなど加工され、タンクの中に隠されたものだ」と指摘しました。
その上で「5点の衣類」や過去の裁判で自白の任意性を認めていた1通の調書など、3つの証拠を捜査機関がねつ造したと判断し「袴田さんを犯人とは認められない」として無罪を言い渡しました。
袴田さんは1980年に死刑が確定したあとも無実を訴え続け、10年前の2014年には再審を認める決定が出されました。
しかし、検察の不服申し立てを受けて決定が取り消されるなど司法の判断に翻弄され続け、去年3月にようやく再審開始が決まりました。
そして事件の発生から60年近くがたった26日、長く求め続けた無罪判決が言い渡されました。
死刑が確定した事件の再審で無罪判決が言い渡されたのは35年ぶりで、戦後5件目となります。
【判決の内容を詳しく】
「5点の衣類」ズボンの切れ端の布も“ねつ造”判断
警察が袴田さんの実家を捜索した際に見つかったとされる「5点の衣類」のズボンの切れ端にあたる布について、判決では「捜査機関によってねつ造されたもので証拠とすることはできない」と判断しました。
自白の任意性を認めた調書「ねつ造したものと認められる」
判決では過去の裁判で自白の任意性を認めていた1通の調書について「黙秘権を実質的に侵害し、虚偽の自白を誘発するおそれが極めて高い状況で、捜査機関の連携によって肉体的、精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取り調べによって獲得された。犯行時の着衣などに関する虚偽の内容も含み、実質的にねつ造したものと認められる」と指摘し、証拠から排除すると判断しました。
「5点の衣類」の血痕“赤み残るとは認められない”
再審で最大の争点となった「5点の衣類」に付いていた血痕に赤みが残っていたことが不自然かどうかについて、判決では「1年以上みそ漬けされた場合に血痕に赤みが残るとは認められない。事件から相当期間経過した後、発見に近い時期に、犯行とは無関係に捜査機関によって血痕をつけるなど加工され、タンクの中に隠されたものだ」と判断しました。
判決冒頭で「証拠に3つのねつ造」認定
判決の理由を説明する冒頭で裁判長は「証拠に3つのねつ造があると認められる。袴田さんを犯人であるとは認められないと判断した」と述べ、有罪の決め手とされた「5点の衣類」や過去の裁判で自白の任意性を認めていた1通の調書などを、捜査機関がねつ造したと判断しました。
姉 ひで子さんは主文のあと深くお辞儀
袴田さんの姉のひで子さんは落ち着いた様子で弁護士の隣に座り、開廷すると裁判長から「主文だけでも証言台でお聞きください」と促され、証言台の前に座り、無罪の主文を聞きました。主文を2回繰り返し伝えられるとひで子さんは裁判長に向かって深くお辞儀をしました。
そして、ひで子さんは自分の席に戻る際、弁護士と握手し、涙を浮かべていました。
【支援した人たちは】
支援活動続ける山崎俊樹さん
およそ30年にわたって袴田さんの支援活動を続けている山崎俊樹さんは、静岡地方裁判所の前で判決を待ちました。そして、袴田さんに無罪が言い渡されたと聞くとほかの支援者らとともに万歳をしました。取材に対して「素直に嬉しいです。58年かかってようやく願いが叶いました。袴田さんには『やっと袴田さんの願いを裁判所が認めたよ』と伝えたいです。検察官には控訴しないでほしいです」と述べました。また、血痕の付いた衣類をみそに漬ける実験を重ねてきたことについて「実験を重要な証拠として裁判所が評価してくれて今回の無罪判決につながったことは、何とも言いようがなく嬉しいです」と話していました。
家族ぐるみで親交 渡邉昭子さん
袴田さんと家族ぐるみでの親交があった静岡市清水区の渡邉昭子さん(90)は、裁判所の前で無罪の一報を聞き、拍手をして喜びながら目に涙を浮かべていました。渡邉さんは「無罪と聞いてうれしく、胸がいっぱいです。袴田さんは遊園地や海に一緒に行ったときに子どもを優しくかわいがってくれていました。袴田さんに会ったら『よかったね』『がんばったね』と伝えたいです」と話していました。
袴田さんを長年、支援してきた日本国民救援会中央本部の瑞慶覧淳副会長は「判決が出るまでは少し不安があったので、無罪判決は本当にうれしいです。一方で喜びと同時に、何でこんなに時間がかかったのかという思いもあります。袴田さんには『お疲れ様』という気持ちと時間がかかって申し訳ないという気持ちがあります。検察官には控訴を断念してほしいです」と話していました。
10年前に静岡地方裁判所の裁判長として袴田さんの再審と釈放を認める決定を出した元裁判官の村山浩昭さんは、静岡地裁の前で支援者らと「ありがとうございました」と声をかけ合いながら喜びをわかちあいました。村山さんは「私は再審開始を決めたので、無罪になってほしいと、強く願っていました。それが10年半たってようやく叶ってほっとしています。巌さんには『無罪になって自由になったんですよ』とお伝えしたいです。今までの精神症状が緩和されて、あの事件は終わったんだと伝えられたら、最高だなと思います」と述べました。
その上で「検察は絶対に控訴してはいけない。今後、必ず再審に関する法律を変えていくと改めて決意しました。巌さんとひで子さんのご年齢を考えると、これ以上、解決を長引かすことは絶対にあってはならない」と話していました。
袴田さんはふだんと変わりない様子で自宅で過ごす
袴田さんの姉のひで子さんによりますと袴田さんは26日、午前中に起きて朝食をとったということです。
袴田さんは自宅でくろいでいる様子で、ひで子さんが「静岡に行ってくる、晩に帰ってくるよ」と声をかけると「はい」とこたえたということです。
支援者によりますと、ひで子さんが家を出た後は、テレビの前で寝たり、昼食をとったりして過ごし、ふだんと変わりない様子だったということです。
そして判決の言い渡しの直前、午後2時前にはお茶を飲むなどして、過ごしていたということです。
無罪判決が言い渡されたあとの午後2時15分ごろ、静岡県浜松市の自宅を出て支援者の車に乗り込み、日課のドライブに出かけました。袴田さんは階段を下りる際、一部、自動で昇降するリフトを使っていました。
支援者によりますと袴田さんはふだんと変わらない様子で、浜松市内の寺など行き慣れた場所を車で巡る予定だということです。
袴田巌さん 再審で無罪判決 事件発生から58年 静岡地裁 裁判長“証拠に3つのねつ造 犯人とは認められない” | NHK | 事件