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ライシャワー事件が精神疾患者の入院管理政策を加速させた 「患者狩り」を招いた社会の病院依存

 知的・精神障碍者の家族にとって病院は特別な存在だ。看護師らによる患者への虐待が発覚した2019年の神出病院事件の背景には、隔離や排除を求める社会の風潮と、根深い差別意識、そして切実なる家族の病院依存がある。神戸新聞取材班による「黴の生えた病棟で ルポ 神出病院虐待事件」(毎日新聞出版)から一部を抜粋し、日本の精神医療の歴史的問題を報告する。 

 

 ※神戸市の病院で2019年に起きた虐待事件の実態や、精神医療体制の問題、渦中にあった病院が果たしてきた再生について4回に分けて報告します。今回はその3回目に当たります。 

 

 

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 知的・精神障害者とともに暮らす当事者家族の抱える苦悩は、その立場になってみなければ実感するのは難しい。そして同様に、その隣人たちにとって切実な問題でもある。

  一緒に外に出たくても、社会に受け入れてもらえない。世話をしたいが、見守る人がいない。施設を探したいが、簡単には見つからない。いわゆる「家族依存」に陥ってしまいかねない危機感の行き着く先に、精神科病院がある。

 

  それは、「病院依存」と言えるかもしれない。入院を断られれば、家族以外に支えになってくれる人はどれだけいるだろう。そんな不安は、神出病院に入院している患者の家族たちにとっても少なからずある。

 

  さらに複数の専門家たちに取材をする中で、事件の背景には日本独特の精神医療観もあるのではないかと、おぼろげながらに見えてきた。

 

  そこで、精神医療の歴史に詳しい精神科医の岩尾俊一郎に聞くと、こんな答えが返ってきた。 「知的障害者や精神障害者への差別は、近代社会の成立とともに、この150年で急速にでき上がったものです」

 

   ■「入院管理」はライシャワー事件で加速 

 

 終戦から5年後の1950(昭和25)年、国は現在の精神保健福祉法につながる「精神衛生法」を施行する。私宅監置はついに全面的に禁止され、その代わりに2つの強制入院制度が盛り込まれた。

 

  1つは、家族の同意があれば入院できる「同意入院」(現在は「医療保護入院」)

 

もう一つは、本人が自分を傷つけたり、他人に害を及ぼしたり(自傷他害)する恐れがある場合に、家族の同意がなくても行政の権限で入院させることができる「措置入院」だ。

 

 障害者を隔離するために民間の力を頼るという、明治に生まれた「代用精神病院」の考え方はそのまま引き継がれ、民間の精神科病院に補助金を出す動きはいっそう強まることになる。

 

 例えば、57(昭和32)年の「精神科特例」は、医師や看護職の配置基準を他科の病院に比べて大幅に緩和した。60(昭和35)年には医療金融公庫(現在は独立行政法人福祉医療機構)をつくり、民間の精神科病院をつくる際に超低金利で融資が受けられるようにした。それによって精神科病床は、毎年1万~1万5千床というハイペースで増えていった。 

 

 

 しかし、国が精神障害者の処遇を「入院管理」へ大きく舵を切っていく中で、決定的な事件が起きる。岩尾が日本の精神医療史の転機として挙げる「ライシャワー事件」だ。

 

  東京オリンピックが半年後に迫った64(昭和39)年3月24日、東京のアメリカ大使館前で、エドウィン・ライシャワー米駐日大使が、精神疾患だった当時19歳の少年に脚を刺されて重傷を負ったのだ。日本生まれの親日派として人気を集めた大使だっただけに、世論は大きく動揺した。 「事件は国辱だ」 「日本は文明国のリストから追放されるのでは」

 

  事件は強制入院に拍車をかけ、その風潮は「患者狩り」と呼ばれた。

  翌65(昭和40)年には精神衛生法が一部改正され、緊急を要する場合には措置入院の手続きを取らなくても医師1人の診療で強制的に入院させられる「緊急措置入院」の制度が創設された。さらに、精神疾患の疑いのある人を見つけた警察官が保健所に通報するよう義務づける制度を強化し、警察官が保護した場合に限らず、職務質問や捜査をしている時も含めて監視の目を強化した。

 

  その結果、次々と患者が民間病院に送り込まれる。岩尾が悲しげに語った。

「感染症や新型コロナと同じでしょうね。人が恐怖を感じたものを排除するキャンペーンが張られると、全部捨て去って一気呵成に進めてしまう。それで当事者たちがどう感じるか、どういうことになるのか。本当は検証しなければいけないものがたくさんあるはずです。人間の特性なのか、日本人の特性なのかわかりませんが、150年かけてつくった隔離収容政策が障害者を不幸にしたことは間違いありません」 

 

  ■約150年前からつながる価値観 

 

 明治・大正期にできた精神病者監護法も、精神病院法も、根本的には精神障害者を「社会の異分子」で野放しにしてはいけない存在と捉えた。戦争に突入する中で、さらに障害者は「劣った存在」として捉えられ、「社会の負担」であるから「隔離」や「排除」をしてもいいとされてきた。つまり、歴史の中で差別感情はゆっくりと確実に醸成されていった。

 

  戦後に制定された「精神衛生法」(現在の「精神保健福祉法」)も、家族依存を脱して病院で処遇することを目指したとはいえ、その実態はやはり「管理」だった。  その根幹となる強制入院制度は、ライシャワー事件を機に「患者狩り」となって加速した。  精神障害者を外の世界に出すな――。事件で剝き出しにされた世論を追い風に、家族や国に代わって管理の役目を引き受けるようになったのが、民間の精神科病院だったと言えるだろう。さかのぼれば、国は明治期から民間に頼り、戦後は限られた医療者と資金で病院を立ち上げられるようにし、危険とみなした人はすぐに入院できるようにして病院経営者たちの背中を押してきた。

 

  神出病院の虐待事件が発覚した当時のA院長は、患者の家族たちに「行くところがない人を預かっている。ご意見は?」と発言した。かつての価値観がそのまま今につながって表出したと言えるかもしれない。

 

  その医療観こそが長年繰り返し起きてきた患者虐待事件の温床になっているのではないか。 (敬称略)

神戸新聞取材班