西村事件の 最新記事 Tansa (2024年)消えた核科学者
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夫の死の真相を追及する27年の闘 (85)
夫はなぜ死んだのか。国策の犠牲になったのではないのか。
1996年以来、真相を明らかにしようと今も闘っている人がいる。動燃(現・日本原子力研究開発機構)の総務部次長だった西村成生さんの妻、西村トシ子さんだ。私は2012年にトシ子さんに出会い、成生さんの怪死事件について取材を続けている。
事件の発端は、福井県敦賀市にある動燃の高速増殖炉「もんじゅ」が、1995年12月にナトリウム漏れ事故を起こしたことにある。高速増殖炉は、消費するより多くの燃料を運転しながら生み出す。「夢の原子炉」といわれ、1960年代から日本政府が力を入れていた。ナトリウム漏れ事故から約20年後の2016年に廃炉が決定したものの、当時はもんじゅが日本のエネルギー自給の低さを打開する切り札だと政府は期待していた。
問題を深刻にしたのは、事故自体よりも、現場を撮影したビデオを動燃が隠蔽したことが発覚したことだった。動燃への批判が高まる中、成生さんは隠蔽の経緯に関する社内調査を担わされる。
成生さんらの社内チームが調査した結果、動燃の組織的な隠蔽が明らかになった。ところが、記者会見で成生さんは虚偽の説明をする。記者会見が終わって数時間後の1996年1月13日未明、成生さん東京都内のホテルの駐車場で遺体となって発見された。49歳だった。
警察は飛び降り自殺と断定した。動燃のマークが入った便箋にしたためられた遺書が、3通あった。大石博理事長、理事長の秘書役で成生さんの同僚、そしてトシ子さんへのものだ。
しかしトシ子さんは、これらの遺書に強い違和感を覚えた。例えば、妻である自分への遺書の分量は大石理事長の3分の1ほど。実にあっさりしていた。一部を抜粋する。
「何にもしてあげられなかったと思いますが、最後の最後に子供達をよろしくお願いし、お別れとします」
「元気で。熊本のご両親には余りショックを与えない様願います」
「は?これだけ?」。妻の自分に何の相談もないまま「お別れとします」とこの世を去るとはどういうことなのか。我が子を思うなら、「子供達」と一括りにせず、それぞれの名前を書くのが普通ではないか。次男は翌日に成人式を控えていた。長男は2週間前の正月を家族で過ごした際、結婚を考えている相手がいることを報告した。2人にそれぞれメッセージはないのか。
遺書に誤字が多いことも不自然だった。例えば、大石理事長への遺書では「体質論に反展」という記述があった。「発展」の漢字を間違えている。夫は几帳面な性格で普段から誤字がある文章を書くような人ではない。本当にこの遺書は夫が書いたのだろうか ?
葬儀も違和感しかなかった。動燃トップの大石博理事長や財界人だけではなく、橋本龍太郎内閣の梶山静六官房長官や中川秀直科学技術庁長官ら大物政治家まで参列したからだ。夫は総務部の次長だ。こんな大がかりな葬儀をするのはおかしい。警察は「自殺」と断定しているなら、なおさらだ。トシ子さんは直感する。
「夫は自殺ではなく、国策の捨て石として犠牲になったのではないか」
それ以来、トシ子さんは動燃の後身組織などを相手取り様々な法的観点から訴訟を起こしてきた。資料を収集しては分析し、自ら現場に足を運んで聞き込みもした。国策を担う組織や行政機関の壁は厚く、裁判でなかなか勝つことができない。
今は、成生さんに関する捜査資料を入手するため、警視庁を管轄する東京都を相手取って訴訟を起こしている。
11月10日は東京地裁で今年4回目の法廷が開かれた。この日の審理が終わった後、私は事件資料を改めて分析し気づいた点をトシ子さんに伝えた。「あ、ほんとだ。私もなんでだろうと不思議に思っていたのよ」とトシ子さん。すぐにメモをとっていた。
まだまだ、あきらめていない。
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もんじゅ西村裁判 Ⅳ、Ⅴ 日程 お知らせ
2024年4月、裁判は2件 下記①②が進行しています。
其々、被告と訴訟名が異なります、傍聴宜しくお願い致します。
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① もんじゅ西村裁判Ⅳ
日 時:2024年4月16日(火)10:50~
場 所: 東京地裁 803号 法廷
訴訟名: 個人情報審査請求取消(行政訴訟)
被 告: 東京都
原 告: 西 村
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② もんじゅ西村裁判Ⅴ
日 時:2024年4月19日(金)10:00~
場 所: 東京地裁 530号 法廷
訴訟名: 損害賠償請求
(原子力機構と田島が機構内の西村の事務机内の全書類、
ロッカー内の全遺品を紛失した事への損害)
被 告: 日本原子力研究開発機構(JAEA)と田島良明元秘書役
原 告: 西 村
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<参考資料>
1.①もんじゅ西村裁判Ⅳ
訴訟名:個人情報審査請求取消 (行政訴訟)
個人情報審査請求とは⇒西村成生の死因に関する個人情報
物 件 作成日 作成者
捜査報告書 H8.01 16 荒井 泰雄(元中央署警部補)他2名
実況見分調書 H8.01.13 高野 清吉
写真撮影報告書 H8.01.13 落合 聡
死体取扱報告書 H8.01.13 荒井 泰雄
②もんじゅ西村裁判Ⅴ
西村不審死の経緯
1995.12.08 高速増殖炉もんじゅ事故発生
1995.12.22 JAEA大石博理事長が西村等に特命「もんじゅ事故の事故隠し内
1996.1.12 JAEAは科技庁で3回記者会見
「もんじゅ事故の事故隠し内部調査の中間報告」、
1回目(安藤理事、広報室長)、2回目(理事長、広報室長)
3回目 (安藤理事、広報室長、西村)
1996.1.13 6:00 JAEA大畑宏之理事がセンターホテル東京の敷地内で、西村の俯せの遺体を発見通報、
中央署とJAEAは「西村は飛び降り自殺した」と記者会見で発表
しかし、西村の遺体損傷はホテルの8階非常階段(高さ30M)か
何の為に?
遺族はJAEA理事長に西村の死亡の説明を求めたが未だに一切な
JAEAの杜撰な職務管理、無責任体制、核物質管理に対しても懸
西村の変死(他殺)事件の遺品(内部調査の書類等)の返還を求め
紛失し、返還をしないので損害賠償訴訟を行っている。
ホームページ https://blog.goo.ne.jp/nisimur
https://4nso9mei.seesaa.net/
キーワード: もんじゅ・西村裁判 日本の黒い霧
2.西村事件の 最新記事 Tansa (2024年)消えた核科学者
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夫の死の真相を追及する27年の闘 (85)
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「アトム会」メンバーの怪死 (35)
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妻の直感 (36)
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動燃の闇 (37)
3.デジタル鹿砦社の記事。(2022年版)
しかもそれに、よって厳しい動燃批判は一挙に沈静化し、再び動燃はもんじゅ稼働を推し進めていった。
もんじゅが、ほぼ稼働せず、廃炉が決まったのは、西村氏の死から20年後の2016年だった。
その日、トシ子さんは、仏壇に置かれた夫の遺影にこう話しかけた
「もんじゅのために死ぬことはなかった」──
《関係者証言録公開》もんじゅ職員不審死事件 ──
夫の「死」の真相を追及する西村トシ子さんの闘い【全6回】
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もんじゅ・西村裁判の会