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2024年03月21日 (木)NHK 清永 聡  解説委員

『大川原化工機えん罪事件』 司法の責任は

不正輸出の疑いで逮捕され1年近く勾留された後、無実と分かった「大川原化工機えん罪事件」。
勾留中がんが見つかり死亡した男性の遺族が起こした裁判で、東京地方裁判所は21日、「拘置所の医師に違法な行為はなかった」などとする判決を言い渡しました。
今回はこの「えん罪事件」と男性の死亡、そして身柄の拘束を続けた司法の責任について解説します。

【経緯と今回の裁判は】

 

今回取り上げるのは、横浜市の化学機械メーカー「大川原化工機」の社長など3人が受けた「えん罪事件」です。
4年前の2020年3月、3人は軍事転用の可能な機械を不正に輸出した疑いで警視庁公安部に逮捕され、東京地検に起訴されました。
しかし、裁判が始まる前の翌年7月に起訴が取り消されます。機械は規制の対象になるものではなく、無実だったことが判明しました。
去年12月にはメーカーの社長らが国や都を訴えた民事裁判で、東京地裁が検察と警視庁の捜査の違法性を認めて、賠償を命じました。双方が控訴して裁判は続いています。

【拘置所の医療対応はどうだったのか】

 

 

今回の裁判は、この間の対応をめぐるものです。
3人は身柄の拘束が続きました。その1人、相談役だった相嶋静夫さんは勾留中に胃がんが見つかり、翌年2月に死亡しました。
このため遺族が「十分な医療を受けられなかったためがんの発見が遅れ、死期が早まった」と国を訴えているのです。

3人が勾留されていた東京拘置所。
医務部があり、医師や看護師がいます。病気の際には検査や治療が行われます。さらに必要があれば外部の医療機関に移すなどの対応も取られています。

 

 

訴えによれば、相嶋さんは7月10日に拘置所の血液検査で貧血と分かります。
8月28日には胃の痛みを訴え、9月25日には重度の貧血に陥ります。
拘置所は胃薬を投与し、輸血をします。しかし、精密検査や根本治療はありません。
10月1日に内視鏡検査で、胃に腫瘍が見つかります。
弁護団は1日と6日の2度、拘置所に外部病院での治療を求めますが、必要な治療はこの間、行われていないといいます。
そして、7日には本人にがんが告知されました。

【『専門医にかかりたい』】

 

 

亡くなった相嶋さんが、告知を受けた日に拘置所に宛てた「治療願」が残されています。そこには「専門医にかかりたい」と訴えています。
それでも、願いはすぐには叶えられません。

弁護団はさらに8日、19日、21日と3回も外部病院での治療を求めます。
結局、横浜市内の医療機関へ移って治療を開始したのは、11月6日でした。
すでに手術は難しく、相嶋さんは翌年2月に亡くなりました。

 

 

遺族は「7月の血液検査の結果、または9月4日の胃痛の継続を受けて必要な検査をして胃がんを発見し、外部の病院へ移せばもっと早く治療できたはずだ」などと主張していました。

【判決は『診療行為には合理性』】

 

 

刑事施設の医療について法律は「社会一般の医療の水準に照らし、適切な医療上の措置を講じる」などとしています。(刑事収容施設法56条、一部)。
21日の判決で東京地裁の男澤聡子裁判長は「拘置所の医師は輸血や内視鏡検査などを行っているほか、外部病院へ移す調整も始めていた。診療行為には合理性がある。医師に違法な行為はなかった」などとして、遺族の訴えをすべて退けました。

【どうしてこんなに長く拘束されたのか】
今回、医療の争点とは別に、根本的な問題があることに気がつくでしょうか?
それは身柄の拘束がもっと早く解かれていれば、早く治療を受けることはできたはずということです。
「保釈」という仕組みがあります。
起訴された後、身柄の拘束を解くもので、裁判官が判断します。どうして早く保釈され自由に治療を受けられなかったのでしょう。

【裁判官たちは保釈を認めず】

 

 

先ほどの時系列の表。もう一度見ましょう。今度は保釈に注目してみます。
弁護団は相嶋さんらの保釈を何度も求めていました。
2020年4月、6月、8月、9月。
9月の時には「治療の必要性」も訴えましたが、裁判官はこれをすべて退けます。さらに胃がんと分かった10月に5回目の保釈を申請しますが、これも裁判官は認めません。

結局、11月に入院したのですが、この際も保釈は認めず、一時的な「執行停止」という手続きでした。
この執行停止は病気の治療などの際によく用いられる手続きですが、治療中も弁護団は保釈の申請を繰り返しました。その数は合計8回に及びます。
結局、最後は執行停止中だったため保釈申請は取り下げ、その後亡くなります。

【「おそれ」か「相当の理由」か】
なぜ、これほどまで保釈を認めないのか。
弁護団によれば、退けられた理由は多くが「罪証隠滅の“おそれ”」でした。
つまり「証拠を隠すおそれがある」というわけです。
ただ、この事件の焦点は機械の構造で供述内容ではありません。しかも重病の相嶋さんに、果たしてどんな証拠隠しが“具体的”にできるのでしょう。

 

 

先ほど私は裁判官が「罪証隠滅の“おそれ”」を理由に保釈を認めなかったと言いました。
しかし法律にはこう書かれています。「罪証を隠滅すると疑うに足りる相当の理由」(刑訴法89条 一部)。
ここに記されている言葉は「おそれ」ではなく「相当の理由」です。この2つ、私たちにはニュアンスが大きく違うように見えます。

実は、戦後法律が改正されるまで、旧刑訴法は勾留の理由について「罪証隠滅の虞(おそれ)」などと書かれていました。
戦後の改正でこれを「相当の理由」と改めたのです。
「おそれ」だと漠然として様々な場合が含まれるため、「相当な理由」でできるだけ厳格にしたとみられます。専門家によれば、人権保障を強化しようとした、立法者の考えがうかがえるということです。

しかし、現実はどうか。
専門家によれば、今も「罪証隠滅のおそれ」で身柄の拘束を続けることが少なくないといいます。理由ははっきりしませんが、戦前からの表現であり「ルーズな運用」と批判する専門家もいます。
もともと、裁判官が強制捜査や身柄の拘束に関与するのは、捜査へのチェックという役割があったはずです。
相嶋さんは、がんと診断されても保釈が認められず、外の病院での治療もなかなか始まらず、事実上死を待つしかできなかった。どれほど、つらかったことでしょう。

【罪を認めないと出られない“人質司法”】

これは期間別の保釈の割合です。
自白した人の保釈率は、否認した人より遙かに高くなっていることが分かります。裏返せば、「罪を認めないとなかなか保釈されない」。
これを弁護士や刑事法学者の間では「人質司法」と呼ばれます。
元裁判官で、えん罪防止を目指す「イノセンス・プロジェクト・ジャパン」の石塚章夫理事長は「『人質司法』解消のためには、罪証隠滅のより具体的な行為を理由にするよう法律を改正するか、裁判官が今の解釈の姿勢を改め厳格に運用する必要がある」と指摘します。

相嶋さんの長男は、判決前に会見でこう話しました。

「裁判官は、あなたたちの家族が同じことをされたら、どう思うか」。

えん罪だった人たちの身柄の拘束を続けた上、死亡まで保釈を認めることができなかった裁判官たちは、遺族の問いかけにどう答えるのでしょうか。
なお、何度も保釈を認めなかったことについて、東京地裁はNHKの取材に「裁判官の判断に関するので答えは差し控える」としています。

【刑事司法の課題に向き合う時】
「大川原化工機えん罪事件」が浮き彫りにしたのは、刑事司法に関わる数々の課題でした。
しかし、答えを差し控えるという裁判所こそ、不当な身柄拘束を長引かせた最大の責任を負っているのではないか。
この問題を自覚し、真剣に向き合う時にきていると思います。


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清永 聡  解説委員

 

東京地方裁判所民事第30部 部統括 ・裁判長裁判官

男澤聡子裁判官(47期)の経歴

生年月日 S42.1.1
出身大学 不明
定年退官発令予定日 R14.1.1
R2.9.15 ~ 東京地裁30民部総括(医事部)
R2.4.1 ~ R2.9.14 東京地裁26民部総括
H29.8.1 ~ R2.3.31 東京地裁26民判事
H29.4.1 ~ H29.7.31 東京高裁9民判事
H26.4.1 ~ H29.3.31 仙台高裁2民判事
H23.4.1 ~ H26.3.31 さいたま地裁6民判事
H20.4.1 ~ H23.3.31 東京家裁判事
H17.4.12 ~ H20.3.31 静岡地家裁判事
H17.4.1 ~ H17.4.11 静岡地家裁判事補
H14.4.1 ~ H17.3.31 最高裁行政局付
H12.4.1 ~ H14.3.31 東京地裁判事補
H9.4.1 ~ H12.3.31 宇都宮地家裁判事補
H7.4.12 ~ H9.3.31 東京地裁判事補

*0 「男沢聡子」と表記されることがあります。
*1 以下の記事も参照してください。
・ 部の事務を総括する裁判官の名簿(昭和37年度以降)
・ 地方裁判所の専門部及び集中部
*2 47期の男澤聡子裁判官及び48期の桃崎剛裁判官は,他の裁判官と一緒に以下の寄稿をしています。
・ 東京地裁医療集中部20年を迎えて その到達点と課題(1)(判例タイムズ2022年6月号
・ 東京地裁医療集中部20年を迎えて その到達点と課題(2)(判例タイムズ2022年8月号
*3 東京地裁令和6年3月21日判決(裁判長は47期の男澤聡子)は,噴霧乾燥機を不正に輸出したとして起訴され、その後取り消された機械メーカー「大川原化工機」(横浜市)を巡り,元顧問の男性(当時72歳)が死亡したのは勾留中の拘置所の対応に問題があったためだとして,遺族が国に合計1000万円の損害賠償を求めた訴訟において,遺族である原告の請求を棄却しました(Yahooニュースの「元顧問の死亡、賠償認めず 起訴取り消しの大川原化工機 「拘置所対応に違法なし」・東京地裁」参照)。