人権無視の空港倍増計画
  早朝から深夜に及ぶ離着陸は禁止を 
  成田空港の闘いは続いている
  沈思実行(164)
 

  鎌田 慧

 久しぶりに、成田空港周辺をまわった。PARK(アジア太平洋資料センター)の講座の一環としてである。高いフェンスが張りめぐらされ、三重のところもある。開港からすでに46年もたった。
 それでもいまだ「厳戒空港」なんだ、と驚かされた。
 手狭になった羽田空港に代わる、新国際空港建設は当初「富里」案だった。
 が、反対運動が激しく、政府は断念。1966年「成田・三里塚地区」に緊急着陸した。
 あまりにも急旋回の決定だったので、自民党支持の農民たちも猛然と反発した。
 1971年に農婦の住宅と農地の強制代執行があった。機動隊がデモ隊にガス銃の水平打ち、東山薫さんが死亡した。そのあと、1978年に決死の管制塔占拠闘争があって、開港は2ヶ月間延期された、成田は「暫定開港」だったが、羽田の国際便が復活、増強された。これにたいして、成田はいま「機能増強」を掲げ、2本目の2500メートル滑走路を1000メートルも延伸させ、さらに第3滑走路を建設する方針だ。
そのために面積を倍に拡大しようとしている。

 用地確保のため、わたしもよく通った「労農合宿所」(横堀農業研修センター)の撤去、明け渡しを求めて提訴、ほかの土地や共有地の持ち分の売却も要求している。三里塚闘争はいまだ進行中なのだ。

 いまでも空港周辺の騒音が激しい。これから発着回数を30万回から50万回にふやす方針である。
 さらに運行時間を朝5時から深夜24時30分に延長する。すると、周辺住民は4時間半しか、静謐な時間をもてなくなる。
 深夜便を飛ばせないのは、内陸空港の欠陥だったが、ついに翌日までの飛行の強行となるのだ。

 人間は昼に働いて、夜は寝る、これは真理だ。
 が、住民が深夜労働者にされる。
 それでも労働者には深夜手当が支給される。
 しかし、同意を得ない、人権侵害として、住民は屈従を強いられる

 周辺住民は千葉地裁へ「夜間飛行差し止め請求」を提訴した。
 農民を追い出し、農業をつぶす内陸空港は時代遅れである。
 早朝から深夜に及ぶ離着陸は、禁止すべきだ。

     (2023年9月27日「週刊新社会」第1324号より転載)