それでも 東京8区の投票率は 61.03%
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「杉並区大改革」で女性議員比率が半数以上に…地方統一選挙で「杉並区」に何が起こっていたのか
快進撃の始まりは、石原伸晃氏が「落選」した2021年衆院選東京8区
’21年の衆院選、10期連続で議席を守ってきた「石原王国」東京8区で敗北した自民党の石原伸晃元幹事長。快進撃は、ここから始まった(PHOTO:共同通信)
「日本に絶望しかけたけど、杉並区は最後の希望」「杉並区が羨ましい」「杉並区に住みたい」
【画像】すごい…! 187票差での当選で当選した岸本聡子区長の「一人街宣」!
――そんな声がSNSで駆け巡ったのは、4月23日に行われた統一地方選挙’23の結果から。 朝日新聞デジタルや東京新聞の報道によると、今回の統一地方選挙で女性議員比率が半数以上(パリテ)を実現した都市は全国で9つ。千葉県白井市 55.6%(18人中10人)、兵庫県宝塚市 53.8%(26人中14人)、埼玉県三芳町 53.3%(15人中8人)に次ぐ第4位となる地域のひとつが、この杉並区だった。 なかでも杉並区は、直前の帰国まで長年欧州に住み、国際政策シンクタンク研究員として活動してきた岸本聡子氏が、昨年6月の区長選で、4選を目指した現職を187票差で制したことで全国的に注目を浴びた区でもある。 一見すると欧州帰りの革新的リーダーの誕生によって、区政が一気に変わったように見えるかもしれない。しかし、岸本区長の誕生は杉並区の快進撃の過程の一つだった。遡れば大きな第一歩は、立憲民主党・吉田晴美氏が自民党の石原伸晃氏を破った’21年の衆院選東京8区に始まっていた。そして、その選挙を支えていたのが、杉並区の市民たちだったのだ。 こうした活動を担った杉並区の数々の市民グループの一つ、「杉並の問題をみんなで考える会」の漆原淳俊氏に話を聞いた。
◆数々の社会問題に対する市民運動が行われてきた杉並区 「杉並区内にはたくさんの問題がありました。一つは、JR西荻窪駅前を走る道路の拡張計画が進んでいたこと。実は戦後すぐの焼け野原の1947年に計画ができた都市計画道路が、70年以上も着手されないまま’18年ごろになって突然動き始めたんです。 きっかけは、田中良・前区長が沿線住民の反対を押し切って東京都に工事の事業認可申請をし、認可も受けてしまったこと。 西荻には個性的な小さなお店がたくさんあるのに、道路を拡張するとそれらが壊されることになってしまう。魅力的な街並みも消えてしまう。
そもそも田中前区長が都市計画道路を進めようとしたのは、西荻窪駅南口の再開発をしたかったからだとも言われています。再開発でタワマン建設を進めるためには、まずは道幅を広げないと高い建物が作れませんから。この再開発を見越した地上げもすでに始まっています。背後には政治家や業者が絡む様々な利権がうごめいているのではないか、との指摘もあります」(漆原氏・以下同)
実は杉並区は、第五福竜丸の被災を契機に始まった組織的な原水爆禁止署名運動の発祥の地で、教科書問題などをはじめ、数々の社会問題に対する市民運動が行われてきた地域でもある。
そうした歴史に加え、田中前区長時代に「財政再建」名目で学校の統廃合や保育園の民営化、公園の廃止、児童館・高齢者施設の廃止などが進められる中、「これでは生活が成り立たない」「子供たちの遊び場や居場所をどうするのか」と地域の住民も声をあげ始めたのが、住民たちによる杉並区大改革の土台だった。
「’17年の総選挙のときも杉並の市民グループは各野党に野党共闘の実現を求めてきましたが、うまくいきませんでした。そこで’21年の衆議院議員総選挙では、事前に杉並市民グループで具体的な政策も作り各野党に提案。今度こそ野党共闘の実現をと呼びかけたんです」 しかし、杉並区のある東京8区では、吉田晴美氏を野党統一候補とする流れが進む中、れいわ代表の山本太郎氏が突然出馬を表明、それに吉田氏の支持者らが猛反発するというハプニングも起きた。
そんな中、最終的に山本太郎氏も出馬を撤回、共産党も立候補を取り下げ、野党候補の一本化が「奇跡的にまとまった」という。
◆これまでと明らかに違う「風」が吹き始めた…
これまでと明らかに違う風が吹いてきたのは、選挙期間中に開催された集会や街頭宣伝の場に女性作家やライター、著名人が多数駆け付けるなど、女性の姿が一段と目立つようになったこと。
そして山本太郎氏の騒動も受け、「与党対野党共闘」のシンボルとして全国的な注目候補となった吉田氏は石原伸晃氏を破り、約30年間続いてきた「石原王国」に風穴を開けた。投票率も東京8区は61.03%で、都内25の選挙区中トップとなり、前回比も5.61ポイント上昇に。
次の挑戦は、’22年の杉並区長選だ。
ただし、相手は区長を3期務めてきて、4期目を狙う現職区長の田中良氏だ。そこで市民グループも、各野党と市民が一緒になって選挙戦に取り組む市民組織を作ったという。 「昨年1月30日に『住民思いの杉並区長をつくる会』を立ち上げました。 リアルの参加者とオンライン参加者約200人による発足集会では、都市計画道路建設や児童館廃止などに反対してきた住民たちからの報告がありましたが、そのほとんどは人前で話すのも、選挙活動に参加するのも初めての女性たちでした。会場の運営や司会役も女性が中心。この女性たちがその後の選挙戦の中心メンバーとなりました。 会の名称も、初めて集会に来た女性の堤案だったんですよ。我々もいくつか案を準備していましたが、民主的に決めようと会場のみんなの挙手で決まりました。 『~~市民の会』などの『市民という言葉は偉そうで怖い』とか、『わかりやすい言葉が良い』という意見は、我々の世代では思いつかないことでした」
ただし、問題は、肝心の候補者がまだ見つかっていなかったこと。
「新しい区長はぜひ女性にという方針で、何人かの女性に打診しましたが、3月末のタイムリミットが迫る中、候補者が見つからず……たまたま我々の仲間の1人が私の友達にも声をかけてみようかと挙げてくれたのが、当時ベルギーに住んでいた岸本聡子さんでした。 岸本さんは、欧州のミュニシパリズム(地域の主権を大切にする新しい政治運動)を見て来た人で、自治体から政治を変え、国の政治を変えて、民主主義を自治体から取り戻していこうという市民運動をよく知っていて、私たちが求める候補者に最適の方でした」
◆一人街宣、対話集会…187票差での当選 ただし、一番の問題は知名度がまったくないこと。そこで、ボランティアによる「一人街宣」も始まった。
「対立候補は顔も名前も売れていて、区の広報誌も使って宣伝するわけですから、候補者が一人であちこち回っても知れていますよね。 そこで、ある女性が、『この日に区長が〇〇駅に立つなら、私は地元の駅で岸本聡子さんのポスターを持ちます』と言い、そのうち、ポスターを自分の体に張り付けて駅に立つスタンディングがだんだん進化していき、ビラやポスターのバリエーションも増えていった。 ある集会で『杉並区内の全19駅でやりませんか』という提案が出ると、集会に来ていた人の中ですぐ全駅分の担当が埋まったんです。さらに、毎日やるのは大変だから、地元の人にも声掛けてといった具合に広がっていきました。 参加者が増えたのは、吉田晴美選挙の経験や結果で、自分たちが声をあげたら政治は変えられるんだという思いがあったからだと思います。しかも、今度の区長選は、あまりにもひどい区長だからなんとか変えなきゃいけない。自然発生的に一人街宣が広がったんです」 ただし、岸本氏自身の街宣も最初の頃は聞いてくれる人が少なかったそうだ。 そのうち、「マイクはこう持った方が良いよ」とアドバイスされたり、自民党の女性区議から「黒や紺色の服装はダメ。明るい爽やかな色に変えなさい」と言われて明るい色のスーツに変えたり、様々な意見を取り入れるうち、候補者が一方的に喋るスタイルから、一般の方に意見や質問を言ってもらう「対話集会」に変わっていったのだという。ときには岸本氏が地面に座って、住民たちの意見にじっくり耳を傾ける場面も。 「岸本さんの対話集会がSNSなどで拡散されるようになり、注目度が高まりました。立憲では枝野幸男さんや蓮舫さん、共産党は小池晃さん、れいわも山本太郎さんが応援に駆けつけるなど、区長選とは思えない盛り上がりになりました。 岸本さんの公約も、我々市民グループが作った原案を岸本さんに見せて調整し、さらに対話集会でいろんな人の意見を聴いて取り入れ、ブラッシュアップしていった形です。3回ぐらい変えて最終形になりました」 結果、187票差で岸本氏が当選。1票の大きさを感じると共に「女性の力」を感じる選挙となった。
区長だけ変わっても変わらない…女性たちが名乗りをあげた区議選
ただし、岸本区長誕生以降も、議会の質疑では前区長派議員から個人攻撃されたり、嘘の内容を質問されたりする状況が続いたと漆原氏は振り返る。
「そもそも前区長時代に既に決まっていた児童館の廃止は、予算も計上されていて撤回できない事例もあった。都市計画道路もようやく見直しする方針を決めたばかりで、廃止はまだ先の話。それなのに前区長派議員からは『廃止しなければ区長の公約違反じゃないか』と攻撃されるわけです。 区長を代えてもこのように足を引っ張られるなら、議会を変えなきゃダメだという思いが有権者の中に広がっていき、区長選を一緒に戦った女性たちが名乗りをあげたのが区議選でした」 そこから住民たちによる様々な挑戦が始まった。
「投票率を上げよう」「そして議会を変えよう」これがみんなの共通目標だった。
「投票率を上げる呼びかけと、裏にどの議員がどの条例に賛成したかが分かる一覧をつけたチラシを7000枚分印刷していろんな場所で配った二人の女性がいました。
ある男性は『杉並ドラフト会議』と名付けたサイトを作りました。候補者69人の経歴や各候補者へのアンケート結果などをもとに、有権者がジェンダー問題や環境問題など自分の考えに合う項目をクリックしていくと、投票したい候補者が自動的に絞られていく画期的なシステムです。
岸本区長も、3月19日に行った区議会報告の街頭宣伝の場で、議員選に向けて一人街宣をすると宣言したんですね。自分が当選したときに応援してくれた人たちを、今度は自分が応援する番だ、と。希望者を募ったところ、新人候補を中心に19人から要請がありました。 立憲も共産もれいわも社民も緑の党も生活者ネットも無所属も、それぞれ党派を超えて候補者みんなが一緒に集まり、駅前で共同街宣を繰り返したのも今度の区議選が初めてです。吉田晴美選挙以来の市民と野党の共闘の蓄積があったからこそ実現できたのですが、これまで誰も見たことがない光景だったのでマスコミからも注目されました」 「政治の新しい風景。杉並では政治はもう変わり始めていることを私たちは実感しました」 結果、投票率は4.19%アップ。先述の通りパリテが実現し、「投票率を上げれば政治が変わる」をさらに実感できる結果となった。今後どこに向かうのかと聞くと、漆原氏はこう語った。
「住民との対話を生かした政治がどう進んでいくのか、行政側が一方的に進めてきた都市計画道路や再開発を具体的にどう見直すことができるのか。見直しが実現できるよう我々も見守らなきゃいけない。
政治を変えるのは簡単なことじゃない。
でも、少なくとも区長が変われば、区政が変わるということは、すでにパートナーシップ制度が実現し、いまは給食費無償化、気候区民会議、区民参加型予算などの実施に向けて一歩ずつ進んでいることからもわかります。
今回、議会の構成メンバーも変わったので、岸本区政はさらに前に進むことができるのではないでしょうか。
政治は遠いものじゃなくて、自分たちが動けば、1人が声を上げれば必ず変わるもの。足元から地域へ、さらに国へと広がっていくものだと思っています」 取材・文:田幸和歌子