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2023年3月10日 23:42(3月16日 16:15更新)北海道新聞

<終わりなきスリーマイル 原発事故の教訓>㊤ 情報改ざん、人為ミスも

 

44年前に事故が起きたスリーマイル島原発の2号機(中央左)。両側に四つの大きな冷却塔がそびえる(広田孝明撮影)

 

 

 

 

 1979年3月、米東部ペンシルベニア州のスリーマイル島原発で起きた「米史上最悪」の原発事故。44年がたち記憶の風化が進む中、一部の人は今も事故に目を向け続けている。11日で東京電力福島第1原発事故から12年になるのに合わせ、長期化が避けられない原発事故の実態に迫った。...

 

 

 

スリーマイル島原子力発電所事故

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

スリーマイル島原子力発電所。中央手前の二つのドームが原子炉建屋で、その左隣の白い建物が制御室を含むタービン建屋である。奥に見える二基の塔状構造物は放熱塔。

スリーマイル島原子力発電所事故(スリーマイルとうげんしりょくはつでんしょじこ、英: Three Mile Island accident)は、1979年3月28日、アメリカ合衆国東北部ペンシルベニア州のスリーマイル島原子力発電所で発生した重大な原子力事故。スリーマイル島(Three Mile Island)の頭文字をとってTMI事故とも略称される。

原子炉冷却材喪失事故(Loss Of Coolant Accident, LOCA)に分類され、想定された事故の規模を上回る過酷事故(Severe Accident)である。国際原子力事象評価尺度(INES)においてレベル5の事例である。

経緯

 

事故終息後の炉心の状態

事故が起きたスリーマイル島原子力発電所は州都ハリスバーグ郊外を流れるサスケハナ川の、周囲約3マイルの中州・スリーマイル島(Three Mile Island)に立地する原子力発電所である。この中洲には当該原発しかない。

スリーマイル島原子力発電所は2つの原子炉を有しており、そのうち2号炉はバブコック&ウィルコックス社(B&W社)が設計した加圧水型原子炉(PWR)で電気出力96万kWであった。事故当日、1号炉は燃料棒交換中で停止しており、2号炉は営業運転開始から3ヶ月を経過しており、定格出力の97%で営業運転中だった。

 

ハリスバーグでの反核運動

コアの部分的なメルトダウンは1979年3月28日午前4時00分37秒(現地のアメリカ東部標準時(EST))から始まった。

遡ること11時間、2次冷却水系の脱塩塔のイオン交換樹脂の交換作業が続けられていた。通常はイオン交換樹脂は圧縮空気で取り外せるのだが、難航したため、循環水系に圧縮空気を印加して、問題の樹脂を取り外した。この時に少量の水が、弁等を制御する計装用空気系に混入した。やがてこれが原因となり、午前4時00分頃、主給水ポンプ、復水ポンプが停止すると共に、タービントリップ(タービンの緊急停止)を引き起こした。

通常であれば、主給水ポンプが停止した場合、3機の予備給水ポンプが直ちに起動、原子炉二次冷却系の冷却水循環は継続される'はず'が、定期メンテナンスに伴い、予備ポンプからの給水ラインのバルブが閉じられていたため、非常給水はなされなかった。この、二次冷却系への非常給水ポンプからのラインを閉じた場合、原子炉自体も止めてメンテナンスを行うことが原子力規制委員会によるルールである。本件では二次冷却系用非常給水ラインを閉じたまま原子炉の運転を継続したことが、後に本件における最も重大な違反、事故要因とされた。

蒸気発生器への二次冷却系の主冷却ポンプが止まり、緊急給水ポンプによる給水も不可能なため、一次冷却系からの抜熱が不足、一次冷却系の圧力が上昇し、原子炉は自動的にスクラム動作(緊急時に制御棒を炉心に全部入れ、核反応を停止させる)を行い、8秒以内に制御棒挿入、核反応自体は停止したものの、崩壊熱自体の発生は続き、一次系は圧力上昇を続けたため、ソレノイド駆動のパイロットオペレーションリリーフバルブ(PORV)安全弁が自動作動し、一次冷却系の圧力を下げた。このPORVの信号方式について、後の事故検証にて致命的な欠陥が指摘されている。

通常、PORVはソレノイドに通電してパイロットを駆動しバルブが開き、通電を切ることでパイロットはオフとなる。2号炉に用いられたPORVはパイロットの位置を検知する手段が無く、制御盤もPORVのソレノイドへの通電の有無に基づき開閉を表示し、実際のパイロットの位置を反映していなかった。ところがこの時、PORV開動作時に機械的な故障が生じており、圧力が下がってソレノイドがオフとなっても弁が開いたままとなってしまい、蒸気の形で原子炉冷却材の放出が続いた。PORVは開いたままのため、原子炉内の圧力は低下する一方、圧力容器内の冷却水は激しく沸騰、いわゆる核沸騰を継続し、ボイド(蒸気泡)が水位計に流入、加圧器水位計が実際の液面より高い位置を示し、圧力容器内の正しい水位を示していなかった。一次系の圧力は低く、水位計も間違って十分な水位を示しているため、オペレーターは炉内で何が起こっているのかが正しく判断出来なかった。

一方、オペレーター達は原子炉通常運転時は冷却水過剰による燃料棒表面での核沸騰停止(これによる熱交換性能低下)は絶対避けるよう教育されていた。上記の誤った情報から炉内は冷却水過剰気味と考え、核沸騰停止に近いと考え、緊急給水ポンプを停止してしまった(この緊急給水ポンプはPORVの作動、すなわち冷却水放出とともに自動作動していた)。緊急給水も止まった炉内では崩壊熱により、核沸騰から膜沸騰となりコアに十分な冷却水が接することが無くなりコア表面温度は非常に高温となった。

なお、故障原因を突き止めたのは先入観の無い交代チームに引き継いでからとなった。彼らはPORVとプレッシャーライズドリリーフタンクとを結ぶパイプの温度が高く、PORVから一次冷却水(蒸気)が放出し続けていることを把握した。

PORVからの冷却水の連続的な放出により、プレッシャーライズドリリーフタンクから水が溢れだし、午前4時11分にはコンテインメントビルの貯水タンクが一杯となり警報が発報した。この発報、PORV配管の温度異常、コンテインメントビルの温度異常から原子炉からの冷却水放出は明らかなのだが当初は無視された。

午前4時15分プレッシャーライズドタンクのダイヤフラムが破裂、放射性物質がコンテインメントビル内に放出されはじめ、放射性物質を含む冷却水は別の建屋にもポンプで搬送されはじめ、午前4時39分まで移送は続いた。

メルトダウンへ

故障したPORV(一次冷却系の電磁リリーフバルブ)から冷却水(蒸気)の放出が続いた為、午前5時20分頃、4機の一次系冷却水ポンプは水量不足により停止した。ポンプ停止後も炉内は対流による冷却水循環は続いたと考えられているが、肝心のコア部では大量の蒸気により冷却水循環が阻まれ、やがて残された冷却水の多くが蒸気に変わっていった。

午前6時直後、PORVからの蒸気放出継続により、ついに炉心コア頂部が露出、強大な熱により水蒸気と燃料棒を被覆していたジルカロイが反応(一種の加水分解反応)、二酸化ジルコニウムへと反応するとともに、水素発生と、更なる反応熱も生じ、燃料棒被覆の一層の溶解、燃料ペレットへのダメージ、原子炉冷却水への放射性同位体放出へとつながった。発生した水素はその日の午後に生じた小規模爆発の原因となった考えられている。

午前6時にシフト交代があり、このチームが先ほど述べたPORV近辺の温度異常に気付き、PORVのバックアップバルブ(ブロックバルと呼ばれていた)を閉じたが、すでに120,000Lの一次系冷却水がPORV経由で放出されてしまった。

午前6時45分に至り、放射性物質の漏えいを知らせる警報も発報したが、すでにトラブル発生から165分も経過した後であった。

炉心上部3分の2が蒸気中にむき出しとなり、崩壊熱によって燃料棒が破損した。このため周辺住民の大規模避難が行われた。運転員による給水回復措置が取られ、事故は終息した。

結局、炉心溶融(メルトダウン)で、燃料の45%、62トンが溶融し、うち20トンが原子炉圧力容器の底に溜まった[注釈 1]。給水回復による急激な冷却によって、炉心溶解が予想より深刻化したとされている。

当時の現場の環境

  • 一次冷却系用のPORV(パイロットオペレーションリリーフバルブ、ソレノイド駆動の非常時圧力リリーフバルブ)の動作状況指示方式の欠陥(ソレノイドに通電しているか、通電していないか、でリリーフバルブの開閉を表示していたが、これは実際のパイロットの位置は反映されていなかった。
  • この不適切設計と、PORV動作終了後、ソレノイドがオフとなったものの、バルブが故障、実際にはPORVは開いたまま、水蒸気が放出されているにも関わらず、制御盤ではバルブが閉状態を示すランプが点灯していた。
  • PORVの構造、制御盤での動作状況は何を示すか(PORV開閉では無く、正しくはソレノイドはの通電のオン、オフ)についての詳しい教育不足により、制御盤の表示を盲目的に信じ、PORV故障の把握に時間を要した(異常に気付いたのはシフト交代したメンバーがPORVのテールパイプ温度異常に気づけたため)
  • 炉内の液面位置を正しく計測する装置がなく、沸騰による水泡から水位を読み取ったため、炉内状況を正しく把握出来なかった。
  • PORVテールパイプ温度表示器は分かりづらい位置にあり、当初不具合原因の改名時の参考とされなかった。
  • オペレーターは原子炉通常運転時、コアでの高効率熱交換の為、核沸騰を維持する事を徹底教育されていた。

PORVによる圧力解放時、緊急給水ポンプも作動したが、PORV動作停止後、前記のとおり誤ったPORV情報から、リリーフ弁は閉じていると信じ、炉内圧力は低く、水位も十分有ると考え、炉内は冷却水過剰による圧力低下が生じはじめていると考え、核沸騰維持のためとして、緊急給水ポンプを停止してしまった。

  • コントロールパネル上の2つある出口弁の片方の表示ランプ上に別のスイッチに掛かっていた注意札が覆いかぶさった状態で見えにくくなっていた。
  • 異常状態を表示する警告灯や警報音送出装置が多数設置されていた。しかし、そのことが逆に現場に混乱と疲弊を生じさせる結果となった。事故当時、137個もの警報灯が点灯する「クリスマス・ツリー現象」が生じ、また警報音も30秒間に85回も鳴り響く状況であり、後に運転員が「パネル板を外して窓の外へほうり出したくなった」と証言するほどであった。このことが作業員の精神的疲労の蓄積と冷静な思考を阻害させる要因になってしまい、現場の混乱度を高めてしまうこととなった。

 

 

 

 

 

 

2019.03.28 : NHKNEWS

スリーマイル島原発事故から40年 事故の教訓考える集会

 

1979年、アメリカのスリーマイル島原子力発電所でアメリカ史上最悪の原発事故が起きて、28日で40年となります。現地では、事故の教訓について考える集会が開かれました。

1979年3月28日、アメリカ東部、ペンシルベニア州にあるスリーマイル島原発の2号機で、核燃料が溶け落ちるメルトダウンが起き、放射性物質を含む水蒸気が外部に漏れ出して、14万4000人の住民が避難しました。

2号機の原子炉は今も解体されずに残されています。

事故から40年となるのに合わせて、27日、原発の近くにある大学が、事故の教訓について考える集会を開きました。

この中で、参加した住民グループのメンバーの女性は「当時は混乱の中、家族で避難した。政府の担当者から何が起きているのか十分な説明もなく、不安が募った」などと語ったうえで、住民が行政の対応などを監視することが重要だと指摘しました。

また、日本から参加した、福島市在住のフリージャーナリスト、藍原寛子さんは、福島第一原発の事故では、今も原発の周辺に住んでいた多くの住民が避難していることなどを紹介し、日本とアメリカの原発事故の経験者どうしが情報を共有して対応を考えるべきだと訴えました。

参加したアメリカ人の男性は「事故を起こした原子炉から放射性物質が漏れ出さないか、今も不安です。事故はまだ終わっていないと感じています」と話していました。

このあと、参加者は、スリーマイル島原発の事故が起きた午前4時前に合わせて、原発の前でろうそくをともし、事故がもたらした影響などに思いをはせました。

事故起こした原子炉や冷却塔 今も当時のまま

 

スリーマイル島原発でメルトダウン事故を起こした2号機では、溶け落ちた核燃料が周りの構造物と混ざり合った燃料デブリが合わせておよそ130トンあり、原子炉から取り出す作業を終えたのは事故から11年後でした。

事故を起こした原子炉や冷却塔は、今も当時のままの形で残されています。

一方で、同じ敷地内で隣接する1号機は、事故のあとも運転を続け、2034年まで運転の免許が出されていますが、採算性が悪化しているとして、運営している会社はことし9月に運転を停止する方針を示しています。

ところが、最近になって、地元のペンシルベニア州議会の複数の議員が、温室効果ガスを出さないエネルギーだとして、原発を推進する法案の提出を検討しており、1号機の運転停止にも影響が出る可能性が指摘されています。

2号機は、1号機の運転が停止したあとに1号機とともに解体される予定ですが、解体の具体的なスケジュールは決まっていません。

福島第一原発の廃炉 スリーマイル島原発を参考

スリーマイル島原発2号機は、世界で唯一、事故で溶け落ちた核燃料が周りの構造物と混ざり合ってできた燃料デブリを取り出した経験を持つ原発です。

同じように核燃料が溶け落ちた福島第一原発の廃炉に向けた工程は、当初、スリーマイル島原発の廃炉を参考に策定されました。

スリーマイルでは、燃料デブリはほとんどが原子炉の中にとどまっていましたが、建屋の中の放射線量を下げたり、原子炉の内部を調査したりするのに時間がかかり、取り出しが始まったのは事故から6年後で、全体のおよそ99%にあたる130トン余りを取り出し、作業が終了したのは事故から11年後でした。

一方、福島第一原発では、3基の原子炉でメルトダウンしていることや、燃料デブリが原子炉にとどまらず格納容器まで広がるなどさらに深刻な状況にあることも考慮し、燃料の取り出しの開始は事故から10年後とスリーマイルよりも時間がかかるとしています。

また、最終的に廃炉を完了する時期については、スリーマイル島原発では、隣接する1号機の運転が続いていることも踏まえ、運転の終了後に残る建屋や施設を解体するとしています。

これに対し、福島第一原発では、廃炉の終了までの目標を事故後30年から40年としていますが、取り出した燃料デブリやさまざまな廃棄物の処分方法などは決まっておらず、東京電力は何をもって廃炉の終了とするのか定義することは困難だとしています。