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オバ記者が明かす国会裏話 失業中に貼り紙を見て政界に飛び込んだ私設秘書
大臣の辞任が相次いでいる岸田内閣。衆議院議員会館でアルバイトをする『女性セブン』の名物ライター“オバ記者”こと野原広子が、国会の裏側を綴る。
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それにしてもひどいって、岸田内閣のことよ。 次から次に大臣を更迭して、岸田文雄首相(65才)が「私自身、任命責任を重く受け止めております」とお詫びしたけれど、「重く受け止めた」あと、どうするのよ? 発足当時60%以上あった支持率がいまや30%ちょいまで下がっちゃったじゃないの。 「まあ、政治とはそんなものよ」という声もあるけど、60才を過ぎてから永田町の隅っこに身を置くようになった私が気になるのは、大臣辞任にまつわる雑用なの。 あれは新大臣が任命された3か月前のこと。
衆議院議員会館の廊下には、朝から夕方まで宅配便の配達人がものすごい勢いで行き来していたんだわ。聞くところ彼らは、大臣・副大臣・政務官に選ばれた議員たちの事務所にお祝いの胡蝶蘭と祝電をひっきりなしに届けているのよ。
祝電といっても紙一枚ではなくて、立派な黒塗りの箱に入っていて、それだけでも豪華だけど、問題は胡蝶蘭の方。なんと、子供の背ほどの高さの箱入りだよ。秘書がその箱から鉢を取り出して事務所に並べると、夕方には足の踏み場もないほど。
その後、支援している団体や支援者がのべつまくなしに祝辞を述べにやってくる。スタッフはその対応に追われ、落ち着くまで優に3か月はかかる。最近ようやく日常の議員活動に戻ったというのに、辞任ということになったら、枯れずに残っている胡蝶蘭はどうするのよ、と下働きの私が気になるのはそっち。まさか、贈り主の名前が入った胡蝶蘭の鉢をそのまま飾っておくわけにはいかないでしょうよ。私のようなアルバイトが結構な重さのある鉢を腰をかがめて、一夜のうちにゴミ置き場に移動させているんだって。
あれは衆議院議員会館でアルバイトを始めたばかりのときのこと。 ある会合で横に座った40代のママさん秘書・Mさんが、「国会議員の秘書ほど世間に誤解されている仕事もないと思うわ」って言ったんだよね。 「どういうこと?」と聞くと、「政治家の女性秘書というと世間のイメージは“ピンヒール”じゃない?
“スーツを着こなした、できる女”って感じで。もちろんそんな人もいるけど、それは公設秘書といって、衆議院や参議院に公務員として雇われている人たち。私みたいに議員から直接雇われている私設秘書は、ピンヒールというよりゴミ袋のイメージよね。会議の後片付けにゴミ袋を持ち歩いていることが多いもの」と言うの。
聞けばMさんは、私設秘書になって11年経つ。「どんなきっかけで秘書になったんですか?」と問うと、失業しているときにたまたま近くの議員事務所で「短期アルバイト募集」の貼り紙を見たんだって。面白そう、それくらい軽い気持ちで事務所に入ったら、すぐに選挙になった。お茶出しにおつかい、遊説先でのマイクの準備など、選挙戦の渦に巻き込まれて無我夢中。 「その代議士が選挙に落ちたんですよ。
初めて身近で選挙にかかわった私は、選挙事務所を畳みながら、悔しくて涙が止まらなかったの。もしあのとき、当選していたら約束通り3か月の短期アルバイトで終わったと思う。落選した悔しさで、政治の世界から足抜けできなくなっちゃった」だって。
なんかわかる気がする。私も途中、母親の介護のために実家・茨城に帰ったりして永田町から離れた時期があったけれどまた戻ってきたし、ここでの4年間はあっという間だったもんなぁ。 中学生のとき、「かごに乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋をつくる人」という格言を教えてくれたのは社会科の先生だ。さしずめ、永田町の「草鞋をつくる人」が私設秘書だとすると、「かごに乗る人」が大臣だよね。
その元大臣と飲みの席で何度か話したことがあるんだわ。
彼は政治家になったときから実現したい政策があって、そのために着実に大臣への階段を上っていったのだそう。そしてとうとう大臣の席に座った。
その彼が酔いにまかせて、「もう大臣はやりたくないよ」と言ったからビックリした。理由は1つ。SP(セキュリティーポリス)が警護につくことなんだって。彼がため息交じりに言う。 「あなたね、24時間、警護がついている暮らしって想像したこと、ある? トイレに入っているのを外で待っている人がいつもいるって耐えがたいよ。家に帰ってからちょっとコンビニに行きたいときでも単独行動は厳禁。呼んでくれって言うし」 その立場にならないとわからないことがあるんだなと思ったね。
話は戻って岸田さんだけど、就任当時、彼が首相公邸に住むことを選んだのがニュースになったことがある。公邸のお隣は首相官邸だから、まさに職住近接よ。想像しただけでも気が休まる暇がなさそうで、その1点だけでも、「一国の長になる覚悟を見た」とあの頃の私は周りに吹聴していた。でも、いまの内閣のていたらくを見るにつけ、自分の目がどれだけ曇っていたのかを思い知るようで悔しくてね。 あっ、こうしてまた深みにハマっていく? くわばら、くわばら。
【プロフィール】 「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2022年12月15日号