未だ法の支配を実現せず、

「立派な」弾圧国家 日本政府

 

 第二次世界大戦侵略国であり、国連憲章・敵国条項対象国である日本岸田自公内閣は、ただちに日本が批准済み8つの全人権条約に備わっている個人通報制度を批准すると閣議決定し法の支配を実現し三権分立を確立しなければ、即刻、 アジア地域選出の国連・人権理事国資格(5回目)をはく奪すべき緊急・重大事態です

 

 日本国民をだまし続けても、アセアン諸国をだまし続けることはできません。

 

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岸田首相はバイデンのイエスマン? じっと見つめるASEAN

岸田首相のASEANへの外交戦略が見えてこない(2021年10月27日、Brunei ASEAN Summit/AP/アフロ)

 

 それにしても最近の岸田文雄政権の外交姿勢、ことに東南アジア諸国連合(ASEAN)に対する外交姿勢に現われている唐突感は尋常ではない。岸田外交はこれまでの「日米同盟頼りの外交」からの転換を目指しているとの指摘も伝えられるが、なにゆえに突然、全力疾走気味に動き出したのか。しかも困ったことに、向かって行く先が判然としない。

 

  大統領としての初訪日に際し、ジョー・バイデン米大統領は入国(5月22日)も出国(24日)も成田でも羽田でもなく、ドナルド・トランプ前大統領と同じように〝日本の中の米国〟である米軍横田基地だった。訪日直前の5月21日には、給水などのため米原子力空母のエイブラハム・リンカーンが横須賀に寄港している。習近平政権に対し断固たる対決姿勢を示そうとしたに違いない。古典的な外交手段である砲艦外交である。

 

 

  だが、日本滞在中のバイデン大統領に対する岸田首相のイエスマン振り、その後の言動を追ってみるに、原子力空母の照準は北京の中南海ではなく、じつは岸田官邸に向けられていたのではないか。こう勘ぐりたくなってしまうほどである。

具体策なきASEANとの関係構築は信頼を失う

 5月23日、日米首脳会談に臨んだ岸田首相はバイデン米大統領が提唱するインド太平洋経済枠組み(IPEF)に支持を表明した。同日には、この枠組みの立ち上げに関する首脳級会合が岸田首相、バイデン大統領、ナレンドラ・モディ首相(インド)が対面で、他のインドネシア、マレーシア、タイなど10カ国の首脳・閣僚級の代表がオンラインで参加する形で開催され、バイデン米大統領によるIPEF立ち上げ宣言に次いで、参加13カ国による共同声明が発表された。  IPEFは2021年10月の東アジアサミットでバイデン米大統領が提案した環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に代わる経済組織として浮上したとされるが、「自由で開かれたインド太平洋」を掲げる日米豪印の4カ国による「クワッド」の経済面における補強・拡大版であり、経済面での安全保障であり、中国の経済的影響力拡大阻止に主眼が置かれていることは敢えて説明するまでもないはずだ。  岸田首相はIPEFを「この地域への米国の強いコミットメントを明確に示すもの」と捉え、IPEFに参加することで日本は「米国と緊密に連携し、ASEAN諸国をはじめとする地域のパートナーと手を携え新たな枠組み作りに協力していく」と、大見得を切った。まさにバイデン大統領にとっては満額回答に近い対応ぶりだろう。岸田官邸に向けた砲艦外交の成果か。  だが、ここで問題なのは岸田首相がどのような形でASEAN諸国との関係構築を構想しているのか、である。岸田首相は6月10日にシンガポールを訪問して「アジア安全保障会議」(シャングリラ・ダイアローグ)で基調講演を行い、「海上保安能力向上のために関係する20カ国で技術協力を進める方針」を打ち出すと共に、「『自由で開かれたインド太平洋』を推進する計画案を来春までに策定する」と表明している。  具体策なき提案では単なる打ち上げ花火に過ぎない。なぜ、敢えて準備不足を晒してまで多国間安全保障に関する国際公約を急いでブチ上げる必要があるのか。しかも現在の国際環境が「来春まで」継続するという保障がないにもかかわらず、である。

 

 バイデン政権の〝露払い〟を演ずるに急な余り、ASEAN諸国との信頼関係構築を後回しするなら、日本がASEAN諸国から「地域のパートナー」としての信頼を失う可能性すら考えられないわけではない。  かつて筆者は、岸田首相が率いる宏池会の元領袖である宮沢喜一元首相にタイを中心にしたASEAN事情を話したことがある。首相就任を前にした当時の彼の発言の端々から「ASEANは日本に随伴して当然」との考えが伺えた。まさか岸田首相が遠い昔の宮沢元首相が抱いていたASEAN観を踏襲しているとは思いたくはない。だが、であればこそ昨年の自民党総裁選の際に胸を張って高く掲げていた「岸田ノート」にどのようなASEAN像が記されているのか。大いなる関心を抱かざるを得ない。

〝出たとこ勝負〟を繰り返す日本のASEAN外交

 いったいわが国歴代政権は、真っ当な形をした整合性を備えたASEAN外交を展開してきただろうか。中国と東南アジアの関係を文革当時から半世紀余に亘って見続けてきた筆者からすれば、福田赳夫(父)政権を除き、やはり「否」と言うしかない。  福田(父)政権は1977年に「福田ドクトリン」を打ち出し、ASEAN諸国とは対等なパートナーとして「心と心の触れあう信頼関係」を掲げ、「ASEAN諸国の平和と繁栄に寄与する」ことに努めた。ここで忘れてならないのは、当時の中国が置かれた内外環境である。  あの頃の中国は内政面では文革後遺症に苦しむ混乱期にあり、外交面では対外閉鎖を継続していた。それゆえに中国にはASEAN諸国に関心を払う余裕などなかった。だから、この地域に深い関わりを持つ域外国と言えば、現実的には日本(その背後の米国)しかなく、それゆえに「福田ドクトリン」は有効理に機能したことになる。 

 

 だが78年末に中国が内政の重点を政治から経済へと大転換させると共に対外開放に踏み切ったことで、中国とASEAN諸国との関係は激変してしまった。

 

  歴史的にも〝熱帯への進軍〟という体質を持つ中国が新しく強力なプレーヤーとして参入することで、東南アジアをめぐる国際社会の政治・経済ゲームは中国主導の新しいルールによって否応なく律せられることになったのだ。 

 

 にもかかわらず、歴代の日本政府が新しい国際環境に応じるような新しいASEAN政策を示したフシは見られなかった。極論するなら相も変わらずASEAN諸国を下位に置いたままであり、酷評するならASEAN外交は〝出たとこ勝負〟を繰り返すばかり。

 

 

ASEANへの「好感度」は中国に抜かされる

 たしかに80年代末から90年代初にかけ、カンボジア和平交渉に日本は大きな役割を果たした。わが国ASEAN外交における輝かしい成果だ。だが、その背後にはタイのチャーチャーイ政権(当時)を支え、国際的にも強力な交渉能力を持ったブレーン集団(「ピサヌローク邸グループ」)との緊密な連携があったことを忘れてはならない。当時の一連の多国間交渉の過程で得られた外交的実績は、その後の不作為のなかで〝立ち枯れ〟させてしまったようだ。

 

 

  民主党政権(2009~12年)が強力に打ち出したベトナムへの新幹線輸出交渉にしても、日本側の思いつきの域を出るものではなく、最初から失敗は約束されていたようなものであった。  ミャンマーでは11年にタン・シュエ独裁政権から改革派とされたテイン・セインに政権が移ると、政財界のみならずメディアまでもが「ミャンマーはアジアに残された最後の成長センター」との〝キャッチ・コピー〟に煽られミャンマー詣でに精を出した。だが、その後に誕生したアウンサン・スーチー政権が国政の舵取りに苦慮するようになると、民族と宗教がモザイク状に絡み合った国情に心を砕くことなく、「民主化」を唯一無二の価値観にした欧米の批判――民主化への「口先外交」――に唱和するばかり。ここでも〝出たとこ勝負〟から抜け出るものではなかった。

 

 長期で総合的な視点を欠いたままに短兵急な外交を繰り返すなら、日本とASEAN諸国の距離は開くことはあっても、接近することは難しいだろう。  その一端は、5月末に外務省が明らかにした「令和3年度海外対日世論調査」が物語る。それによれば、ASEAN諸国の一般の人にとって「今後重要なパートナーとなる国」のトップは中国(48%)であり、日本は2位(43%)に後退している。因みに19年に実施された前回調査では日本(51%)、中国(48%)であった。この結果に、日本のASEAN外交が示す経年劣化、長期に亘る不作為が反映されているように思える。

 

  ASEAN諸国との間の「心と心の触れあう信頼関係」の構築に日本の関心が薄れるのとは反比例するかのように、東南アジアは中国の裏庭化への道を歩んでいたのである。

 

 

さまざまな形で仕組みづくりを模索

 それまでの過剰なまでのイデオロギーを捨て、中国が実利的なASEAN外交を展開するようになったのは、天安門事件前後のことである。民主諸党派の1つである九三学社の提言を受けた当時の江沢民政権が、東南アジア大陸部と国境を接する最貧地域(雲南・四川・貴州・広西など)の経済開発を目指し、雲南省を橋頭堡に南方に向け国境を開放したのだ。この政策を李鵬、喬石、李瑞環など当時の共産党指導部が前向きに捉えたばかりか、以後の胡錦濤政権、さらに現在の習近平政権にまで継続されている。

 

  以来、中国は雲南省の省都である昆明をハブに、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムに広がる国境を跨いだ物流ネットワークの構築を進めてきた。このような一帯一路の原型とも言える国家プロジェクトと同時並行的に、さまざまなレベルで国境を越えた国際的な仕組み作りを進めていた。

 

  たとえば胡錦濤政権(02~12年)を見ても、北部湾(「トンキン湾」)一帯の総合開発を目指した「泛北部湾経済合作論壇」と「泛北部湾区域経済合作市長論壇」、中国の企業家と華人企業家を結びつける「中国僑商投資企業協会」、ASEAN主要国に加え中国各地、香港、マカオなど10を超える国と地域から30人ほどの有力企業家が参集する「華商円卓会議」、ASEANの有力華人企業家が構成する「東盟華商会」、メコン川流域の国際協力を掲げる「大湄公河次区域経済合作経済走廊招商引資項目推介会」などである。

 

  習近平政権は昆明を起点にラオスの首都であるヴィエンチャンを繋ぐ「昆万鉄路」を建設し、新型コロナ禍にもかかわらず、昨年12月には予定を早めて完成させた。カンボジア最大の国際港を擁するシハヌーク・ビルは中国人の街と化しつつある。欧米からの批判を無視するかのように習近平政権は新型コロナ外交を推し進めている。ラオスとカンボジアは中国の衛星国と化し、ミャンマーもまた軍事政権下で一歩も二歩も中国に近づいている。もっともアウンサン・スーチー前政権でも中国との結びつきは模索されていた。

 

中国に従順であるわけではないASEAN諸国の側面

 このような動きに対し、日本ではASEAN諸国が中国に牛耳られてしまうと危惧する声も聞かれる。だが、じつはASEAN諸国はヤワではない。  たとえばタイ。中国に対し位負けするような素振りも見せない。自らの持つ地政学上の優位を中国の鼻先にチラつかせながら、大国である中国を時に翻弄する。昆万鉄路はヴィエンチャン郊外でメコン川を越えタイ国内を南下させバンコクに結びつけ、さらにマレー半島を南下させマレーシア国内を縦断しシンガポールに到達させてこそ国際鉄路としての役割を果たせる。であればこそ中国としては昆万鉄路のタイ国内への延伸は至上命題となる。  加えるに習近平政権の外交戦略の柱である一帯一路を確固としたものにするためにも、東南アジア大陸部に位置するタイを無視はできない。そのこと熟知するからこそ、タイは焦ることなく中国との交渉に臨んできた。  だが、だからといってタイは中国の面子を潰すようなことはしない。

 

 アンダマン海とシャム湾(=タイランド湾)を結ぶクラ地峡における運河建設、中国の宇宙開発拠点――南タイを舞台に中国が構想する巨大プロジェクト計画を頭から否定するようなことはしない。中国訪問を重ねタイ中友好の象徴的存在であったシリントーン王女に加え、最近ではワチュラロンコン国王も中国訪問に前向きな姿勢を示しているとの報道もあるほどだ。  さらに6月1日、プラユット・チャンオチャ首相はラオスのパンカム・ヴァパヴァン首相をバンコクに迎え、両国の戦略的協力関係を確認すると同時に、東北タイにおける鉄道建設・整備によって両国の鉄道ネットワークの新機軸に据えることを表明している。タイ側が目指すのはラオスを経由した中国との鉄道ネットワークであることは明らかだ。

日本はASEAN各国の国情把握と関係構築を

 このようにタイの例に見られるまでもなく、他のASEAN諸国もまた自らが置かれた地政学上の優位性を最大限に引き出すことで、中国との関係構築を模索していると考えるべきだろう。やはり「過去50年間,東南アジアにおける安全保障のモノサシとなってきた多くの協定は,中国共産主義者の拡大に対する防波堤として立案されてきた。これまで米国を地域の安全保障の要とみなしてきた東南アジア諸国は,今や北京との関係強化の必要性を主張するようになってきた」(Donald Greenlees, “ASEAN Hails the Benefits of Friendship with China”, International Herald Tribune, Nov. 1, 2006)という基本構造を、無視することは出来そうにない。  ここで、ミャンマーで長期独裁政権(1992~2011年)を担ったタン・シュエ将軍(前掲)が思い浮かぶ。一連の親中姿勢を欧米から強く批判されるや、彼は「中国が好きだから仲よくしているのではない」と言い放ったと言うのだ。(べネディクト・ロジャーズ『ビルマの独裁者 タンシュエ 知られざる軍事政権の全貌』白水社 2011年)

 

  この思いは、おそらくASEAN諸国の指導者に共通するものではないか。誰もが「中国が好きだから仲よくしているのではない」だろう。  岸田首相は「アジアで唯一のG7構成国」を強調する。ならば、ASEAN諸国の個々の国情を十分に勘案したうえで、IPEFが除外するミャンマー、ラオス、カンボジアを含む大きな外交的な塊としてのASEANとの関係構築に向かうべきだ。中国包囲策を軸とするバイデン政権の当面の中国政策に傾斜する余り、わが国はASEAN諸国を反中・親中によって腑分けすべきではない。中国とも、もちろん米国とも違った形のASEAN外交を進めることこそが、ASEANの独自性を高めることにつながり、延いては日本にとっての大きな外交資産になるはずだ。  ――こう考えるからこそ、やはり「岸田ノート」の〝開示〟を願いたいところではある。

 

樋泉克夫