=『リベルテ』から=
◆東京「君が代」裁判・五次訴訟 第4回ロ頭弁論報告と今後
原告 鈴木 毅
4月28日に五次訴訟の第4回口頭弁論が行われました。
今回は担当裁判官の異動があったことから、冒頭で加藤弁護士が新任裁判官に向けた説明をしたのち、準備書面の陳述、書証の確認が行われ、次いで原告2名と弁護士1名による意見陳述が行われました。
それらの概要について報告させていたたくほか、原告意見陳述については、それぞれの内容を要約したものを個別に紹介します。
【裁判官異動と冒頭の陳述】
五次訴訟は東京地裁民事36部に係属していますが、今回の弁論に先立って、3名の担当裁判官のうち2名に異動があり、裁判長は三木素子さんから小川理津子さんに交代しました。
裁判長が交代すると、新たな弁論期日を設定して「更新弁論」を行う場合がありますが、今回は更新弁論の開催は求めず、加藤弁護士が本訴訟の意義について口頭で説明することを求め、冒頭で以下のような内容を陳述しました。
加藤弁護士は、
「先行訴訟において『10・23通達』の違法性に関する判断が出ているが、前提事実の認定が正確ではない。」
「もともと都立高校ては、卒入学式において『日の丸・君が代』を扱う学校はなく、問題にもなっていなかった。」
「その後『日の丸・君が代』の実施が求められるようになったが、各学校で話し合ってやり方を決めていた。」
「しかし『10・23通達』が出てから職務命令で都教委が決めた形で実施するようになり、大量の処分か出るようになって現在に至っている。」
「処分を受けた原告らは、やむにやまれぬ思いて、不起立を選択してきている。このことについて原告の意見陳述などを聴いて、よく理解した上で通達の是非について判断してほしい。」
という趣旨のことを述べました。
【第4回口頭弁論における追加の主張】
これまて原告側は、訴状に続いて準備書面(1)~(5)と書証を提出して主張を陳述してきましたが、今回は、準備書面(6)と(7)および関係の書証を提出・陳述しました。
準備書面(6)は「国歌の起立斉唱の義務付けは国旗国歌法の立法趣旨に反すること」に関する主張の追加をするもので、
(7)は「10・23通達及び各校長の起立斉唱命令は、教基法16条1項か禁じる『不当な支配』に該当し違法であること」について追加の主張をするものです。
そして法廷では、準備書面(6)の主張に関して、白井弁護士が以下のような内容の意見陳述を行いました。
①国旗国歌法制定過程において、国旗国歌の尊重義務規定が政府当局によって慎重に除外された事実があった。
制定後の文部省通知や後年の政府関係者への取材などでも、尊重義務規定を排除する強い意思があったこと、10・23通達による東京都の大量処分に対し野中元官房長官が「不本意」と語ったことなどが示され、国旗国歌への尊重行為を命じる「10・23通達」は、国旗国歌法の立法趣旨とは合致しないことは明白。
②都教委の主張によれば、10・23通達による効果は、国旗国歌法制定時に慎重に除外された尊重義務規定を入れ込んだことと実質的に同じになることが期待されており、立法趣旨を下位規範である通達が打ち破るという倒錯が起きている。
③「10・23通達」による起立斉唱の義務づけは、国旗国歌法が根拠法とならないばかりか、国旗国歌法の立法趣旨からも許されない。
【今後の審理進行について】
次回弁論は予定通り7月14日(16時~709号法廷)に開催し、追加の主張と原告意見陳述を行うことなどが確認されましたが、次々回期日の日程調整も行い、9月12日(月)14時~631号法廷で弁論を行うことになりました。
次回弁論(7月14日)で原告側の主張は一通り終了し、9月までに被告側が反論を行い、その後の立証方針や再反論などについて、次々回弁論で協議することになる見込みです。
今回の弁論も入廷できなかった支援の方々が少なくなく、9月の弁論は大きな103号法廷での開催を求めましたが、空きがなく、631号法廷になりました。傍聴席が21席と少なく大変恐縮ですが、次回、次々回弁論も傍聴ご支援よろしくお願いいたします。
【第4回口頭弁論における原告意見陳述の内容紹介】
①原告・秋田清(元・大田桜台高校)
戒告処分、減給処分を受けたが、減給処分が最高裁で取り消された後、再処分を受けた。都教委は、再処分の理由を「原処分が取り消され、初めからなかったこととなったが、他方で請求人らの非違行為は認められたのであるから、職員の責任が確認される必要がある」というが、給料を回復しただけで、「初めからなかったこと」にはならない。
懲戒処分は一種の暴力で、殴られた痛みは残っているのに、改めて殴り直すなどということは許されない。
都教委は、処分目的を「公務員関係の秩序維持のために、制裁によって非違行為者の責任を自覚させる」という。
再発防止研修で、私の質問や意見に、講師が「それを判断するのはあなたではない。司法判断で違憲違法が確定するまでは、職務命令には従わなくてはならない」と言ったことを思い出した。
私は新任の時、職員会議での私の意見が、ベテラン教師の意見と同じ重みで議論されるのに驚いた。学校では生徒にかかわる誰もが同じ責任を持って教育にあたるが、再発防止研修はその対極だった。
講師は「自分で判断せず、上からの命令に唯々諾々と従え」と言い、自らの良心に従った行動をセクハラや体罰と同列に扱われ、私は屈辱に震えた。
2004年に東京地裁に再発防止研修執行停止申立を行った際、裁判所は「繰り返し同一内容の研修を受けさせ、自己の非を認めさせようとするなど、公務員個人の内心の自由に踏み込み、著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであれば、そのような研修や研修命令は合理的に許容される範囲を超えるものとして違憲違法の問題を生じる可能性がある」と指摘した。
私は二度にわたる研修で、執拗に同一の内容を繰り返され、著しい精神的苦痛を感じた。都教委の裁判所軽視の姿勢がここにも表れている。
通達以後、学校現場は激しく変容した。2006年に職員会議での挙手採決禁止通知が出されて以来、会議自体の回数が減り、意思決定過程が不透明になった。
2013年に私が着任した学校では、次年度に私が新担任になることは確実だった。それまで私は、式典で警備など、国歌斉唱時に式場外の役割を割振られていたが、新担任はそうはいかない。入学式の「踏み絵」に始まる新たな三年間に耐えられるか、うつ病発症の不安ももたげた。
そんな折、親の介護問題が深刻化し、悩んだ末に早期退職を選択した。肩の荷を下ろすと同時に、敵前逃亡のような後ろめたさも覚えた。しかし、もし10・23通達がなく、以前の都立高校であったなら、教員は続けていられたはずだとも思う。
②原告・鈴木毅(八王子拓真高校)
1989年の学習指導要領改訂後、各学校は「日の丸」掲揚の徹底が求められ、私の勤務校では、校長が「掲揚は教職員の意向とは関係なくやる」と宣言して強行しようとした。そこで教員たちが、話し合いを続けるよう求めたところ、校長は「あなたたちは公務員か?」「公務員は法令に従う義務がある」と言い出し、挙句、「あなたたちは日本人か?」と言ってきた。この時校長に「あなたたちは日本人か?」言われたことは、私の頭の中にずっと残り、「日の丸・君が代」が話題となるたびに思い起こされたが、その後、この言葉こそ、実は「日の丸・君が代」強制問題の本質を象徴する言葉だったのだと確信を持つに至った。
「日の丸」「君が代」といった「日本」のシンボルを受け容れ、敬愛する者が「日本人」である。逆に「日本人」であれば、「日本」のシンボルを敬愛すべきである。このことを学校は生徒に教え込まなければならない。このことに疑義を挟む教員などはもってのほかで、排除されて当然だ、例外は許さない…という、全体主義にもつながる論理である。
私は、「日の丸・君が代」指導の問題は、公権力の側にある教師が生徒にシンボルへの隷従を強要する側に立つか否かが問われる問題として捉えるべきだと考えるようになった。
1990年以降、「日の丸」が全学校で掲揚されると、次は「君が代」斉唱が要求されたが、天皇を称賛する歌詞を持つ「君が代」は、個人の内心の自由の保障の観点からすると問題が多かったため、生徒や保護者に「強制ではない。内心の自由は保障される。」との事前説明を行うことを条件として、実施されるようになった。私も内心の自由に関する説明を生徒に伝え続けた。
しかし「10・23通達」が出されてから、全教職員に起立斉唱の職務命令が出ただけでなく、都教委は生徒・保護者に対する「内心の自由」に関する事前説明が禁止され、のちには、式の進行台本に「起立しない生徒には、起立を促す」という一文を書き込まされるようになった。これは「生徒に対する起立斉唱の強制」にほかならない。
公権カの末端の位置に立つ教員が、このような行為をすること、このような行為に加担することは、教師としての信念、憲法の理念に照らしても是認できない。
よって、式次第のうち、生徒の人権を侵すおそれのある「国歌斉唱」においては、私は「協力しない」「加担しない」という態度で臨むほかはなく、通達発出以降18年間に渡つて行われきた卒入学式に、卒業生の担任として式場内で「国歌斉唱」に臨んだ際は、起立せず、斉唱しなかったため、戒告処分を2回、減給処分を2回の計4回の懲戒処分を受けてきた。
『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース リベルテ 第66号』(2022年5月17日)