《月刊救援から》
 ◆ 東京オリンピック紛砕 トーチの火を消せ!


 七月四日は日曜日で休日だった。わたしはたまの休日なので、昼過ぎくらいまで寝ていた。最近は坐骨神経痛に悩まされており、栃木県の温泉に行く予定を立てていた。
 車を走らせていると、日立市の平和通りが通行止めとなっていたので、近くにいた警察官に聞くと「さっき日立ての聖火トーチリレーか終わったよ」とのこと。わたしは元からオリンピックには反対だったので、その一言で心に火かつきました。
 警察官はご丁寧にも「次は水戸の千波湖で夕方にやるよ」と教えてくれたのて、温泉行きを止めて水戸へと向かった。自分か寝こけている間に地元で聖火リレーがあったとは。わたしの怒りは頂点に達しました。

 このコロナ禍、何もかも無視してオリンピックを開催するとは何事か。
 しかも今年は二〇二一年なのに、お題目は「東京オリンピック2020」。これには笑ってしまった人も多いだろう。わたしは水戸でオリンピック抗議行動をすることに決めた。


 千波湖まで行く途中のスーパーに100円ショップが入っていたので、子どもさんが遊ぶ水鉄砲ミネラルウォーターを買い、トーチの火を消す準備をして会場へ向かった。

 会場へ行く際にあちらこちらて警察官が立っていたので「最終リレーはどの辺ですかつ」と聞いたら、ご丁寧にも場所や時間を満面の笑みで教えてくれた。
 わたしがこれから何をするのか分かってなといない。おかしくて堪らなかった。
 聖火リレーの最終箇所へ着いたのは夜の八時少し前。周りの人たちは訳も分からずお祝いムードなのもおかしかった。

 暫くして最終ランナーが、誇らしげにトーチを掲げて走ってきた。
 わたしは「東京オリンピック反対!トーチの火を消せ!中止だ中止!」と叫びながらトーチにミネラルウォーターを二回ほど浴びせた。

 その途端、女子警察官が「何やってるの?」と高圧的な態度で掴みかかってきた。わたしは黙秘。
 あっという間に警察官の有象無象が集まり、わたしは水戸署に連行された。

 署内では無理やりDNAと指紋採取。その後も取り調べに近いことかあったと記憶している。
 日付が変わって夜中に、笠間署へ連行された。水戸署は男性か多く収監されており、女子は笠間署だとのこと。
 居室は三畳の畳様のもの。着くなり看守が「もうすぐ朝食だけと夜のお弁当食べる?」と聞いてきたので、すかさず実食。
 留置所内の弁当は不味いと聞いていましたか、笠間署のものも冷えた弁当、臭い飯だった。

 わたしは単に水欽砲を使用しただけなのて、二日くらいで出られるたろうと思っていた。たが水戸署はこの件を重くとらえたようで、結局一七日も拘束されてしまった。
 その間わたしか留置所内で体験したことを記す。

 朝は七時に起床.床上げをする。
 その後は居室を箒で掃き、雑巾で拭かされる。
 そして臭い飯とお茶、味噌汁を採る。
 差し入れして戴いた本を読もうと思ったら、看守が大きな太い声で点呼をする。
 わたしは四八番と呼ばれ、返事が小さいと鬼のような形相で怒鳴りつけてくる。
 その後は一人ずつ居室から出され、後ろ向きにされ壁に手をつき、全身の内見。あんなに屈辱的なことはなかった。

 所内では一週間に二度風呂に入り、数日毎に運動の時間と称して、天井が鉄格子のような狭い部屋に行くことが出来るが、全員が運動出来るようなスペースなどは無い。
 わたしは爪切りに一度だけ出た。

 看守からの嫌がらせは沢山あった。
 元からあった落書きをわたしのせいにしようとしたり、目を見て話せと睨まれたり、貸し出しのパンツを老人向けのものにするなど、いい加減わたしも頭にきてしまった。
 看守を呼び出し「へえ?この部屋にはPCも無いんてすか(笑」等と嫌味を言ってやりました。

 その間、弁護士先生が三日にあけず面会に来てくださり、わたしの行動を応援してくれる方々の話なと、本当に沢山励まして戴いた。
 友人や家族からの手紙や差し入れの本や服に、とれほと感謝したか分からない。

 途中から弁護士先生に「完黙」ということを教えて戴いたので、何を聞かれても貝のように黙った。それまでは完黙のことが分からず、自分の主張を熱く語っていた。
 完黙が始まると、調書を取る係の刑事が疲弊してきているのが分かった。
 お前ら権力の犬に話す言葉なんて、わたしには一言もないんだよ。

 七月二一日解放された。
 わたしはこれからも、おかしいことにはおかしいと声を大にして言い続けるたろう。東京オリンピックには真っ向から反対する。(かよこ)

『月刊救援 631号』(2021年11月10日)

 

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