◆ 労働裁判が働き手を素通りするとき。
   ~「日本型同一労働同一賃金」と貧困
 (ハーバー・ビジネス・オンライン)
   <文/竹信三恵子>

2020年、同一労働同一賃金、労働基本権、マタハラ問題と、働き手の根幹にかかわる労働事件をめぐる裁判所の判決が相次いだ。新型コロナの感染拡大で働き手の貧困化が深刻化する中、働き方を改善する判断が出るかどうかに期待が集まった。

 だが、それらは、働き手の現実を素通りし、靴の上から足をかくような乖離を感じさせた。裁判とはそういうもの、とも言えるかもしれない。だが、それらがなぜこれほど労働現場と離れてしまっているのか。コロナ禍で失業した働き手がこの1年で8万人近くにのぼったと報じられるいま、3回にわたって考えてみた。


 ◆ 非正規労働者には退職金も賞与も認められなかった

 2020年10月13日、メトロコマースと大阪医科薬科大学の労働契約法20条訴訟の最高裁判決が言い渡された。


 メトロコマースは契約社員が、大阪医科薬科大学は非正規職員が、正規との待遇格差是正を求めて起こした訴訟だったが、基本給は判断の対象にされず、非正規に初めて退職金(メトロ訴訟)と賞与(大阪医科薬科大)を認めた高裁判決も覆された。

 同月15日の郵政訴訟最高裁判決では、手当の格差是正を求めた原告の全面勝利となった。非正規職員に、年末年始勤務手当、扶養手当などを支給しないのは不合理である と認められたからだ。基本給や退職金は「仕事の対価」として会社の裁量権が強い一方、手当は働く上での経費的な性質が強く、裁量を主張しにくいことが明暗を分けた。


 ◆ 定年で痛感した「退職金ゼロ」の過酷

 正社員と同等にかかる費用に、非正社員ゆえに差が付けられるという不合理が正されたことは大きな前進だ。だが、これらの訴訟が注目されたのは、正規と同じ仕事を担い続けても貧困から抜け出せないような「仕事の対価のあり方」が、見過ごせないほど大きな歪みを生んでいたからではなかったのか。メトロコマース訴訟原告の一人、後呂良子さん(66)の体験は、その過酷さを浮かび上がらせる。

 後呂さんは、1年有期の契約を何度も更新し、正社員の平均勤続年数を上回る13年間、地下鉄売店の販売員として働き続けてきた。同じ売店販売員の正社員より所定内労働時間は15分長く、それでも月収は手取り13万円程度だった。その半分近くが家賃で消え、光熱費や食費などを払えばほとんど残らない。消費税が上がったときは食費を削るしかなく、栄養不足で仕事中に倒れたこともある。

 退職金はないのに契約更新の上限年齢は正社員と同じ65歳とされ、2020年3月に「定年」となって失職した。

 定期収入がなくなった退職後、前年分の収入を基準に社会保険料や住民税の請求がどっと来た。普通はここで退職金の出番となるが、それがない。たまたまコロナ禍で給付された10万円の特別定額給付金は、これらの支払いと家賃に消えた。低賃金で貯蓄できず、退職金もない。「その怖さを『定年』で痛感した」。

 ◆ 会社側の主観を優先

 高裁でいったんは認められた退職金は、なぜ最高裁では否定されたのか。

 高裁判決はメトロ訴訟で、退職金の「長年の勤務に対する功労報償の性格を有する部分」について、正社員の4分の1を支給するとした。だが最高裁判決は、「正社員としての職務を遂行し得る人材の確保やその定着を図るなどの目的」に注目した。

 大阪医科薬科大学でも、「正社員としての職務を遂行し得る人材の確保やその定着を図るなどの目的」に注目し、原告ら「アルバイト」と同じ短期雇用の契約社員には賞与を支給していた点については十分に説明しないまま、「不合理とまでは言えない」とした。

 仕事の実態より、目的という「会社側の主観」を優先したことになる。

 「正社員としての職務を遂行し得る人材」とされてしまえば、対象は正社員以外にあり得ず、「その確保・定着が目的」とされれば「やった仕事」は関係ない。非正社員がどんなに優れた功績を達成したとしても、支給対象にはならないわけだ。


 ◆ 基幹業務の同一性は無視

 また、今回は「小さな違い」を拡大し、「基本的な同一」は無視、という手法も特徴的だ。メトロ訴訟では、「代務業務」(休暇や欠勤で不在の働き手の補充)や「エリアマネージャー業務」は正社員だけの業務として非正社員とは職務内容が違うとされ、一方、「売店での販売」というもっとも基幹的な業務の同一性については考慮の外に置かれたからだ。

 配置転換の範囲についても、正社員は配置転換があるが非正社員は「勤務場所の変更」はあっても業務内容が変わらないから同一ではない、とされた。どこか「ご飯論法」を思い起こさせる言い回しだ。

 これらについてはさすがに、裁判官の一人から、「少数意見」が出た。売店業務に従事する正社員と非正社員の職務の内容や変更の範囲に「大きな相違はない」こと、退職金には「長年の勤務に対する功労報償の性格を有する部分」もあること、などから、高裁の4分の1支給は支持するという意見だった。

 政府の「働き方改革」は「同一労働同一賃金」を約束し、労契法20条をベースに「パートタイム有期雇用労働法」が4月から施行された。ここでは、違いの度合いに応じた「均衡待遇」に努めることがうたわれている。少数意見はここに配慮したともみられる。

 大阪医科薬科大学判決でも同様の読み替えが目立ち、加えて郵政訴訟では認められた有給の病気休暇も、「(原告の働き方は)長期雇用を前提とした勤務を予定しているものとはいい難い」として認められなかった。無給の病休をもらっても働き手はゆっくり療養できない。この制度を活用するには有給が極めて大切だが、そうした働き手の差し迫った必要性は顧みられなかった。 


 ◆ 「非正規は世帯主に扶養されている女性」という架空の想定

 今回の判決の大きな問題点は、日本の労働市場の問題点の解決をさらに遅らせてしまいかねないことだ。

 原告敗訴については、コロナ禍の下で企業の紛争増加に配慮したのではとの見方もあり、判決でも、事情によっては不合理ということもありうると断っている。非正規への退職金や賞与はなくていいとしたものではないことは確かだ。

 だが、会社の主観の重視の手法は、働き手の実態を覆い隠す機能を果たし、どんなに頑張っても待遇改善がない「身分としての非正規」を固定化しかねない。

 日本の非正規の極端な待遇の低さは、「非正規は世帯主の夫に扶養されている女性」だから、低賃金でもセーフティネットが弱くても困らない、という架空の想定から来ている。だが実際には、非正規女性のうち「配偶者」は57.5%にすぎず(2014年、総務省『統計Today No.97』)、「配偶者」だとしても、男性の賃金水準の低下の中、その収入が家計を支える度合いは大幅に増している。

 また、メトロ訴訟の法廷で会社側は「契約社員はセカンドキャリア」と主張し、原告らを「侮辱の上塗り」と激怒させた。原告らは、その仕事で生活を支え、販売業務の基幹労働力となってきたにもかかわらず、低賃金でも困らない引退後の働き手とされたからだ。

 本来の同一労働同一賃金には、このような特定の労働者への偏見を突き崩し、仕事の価値に見合った評価を獲得できる「差別是正装置」が必要だ。


 ◆ ILO型職務評価システムと産業別労組

 欧米では、企業横断型の産業別労組を通じ、どの労働者でも同じ仕事は同じ値段でなければ売らないという抵抗線を張ることで、賃金の切り崩しを防いだ。

 また米国では1960年代に高揚した公民権運動などを背景に「女性やマイノリティの仕事は安くていい」とする賃金差別を防ぐため、第三者機関が職務を分析してその度合いを点数化することで異なる仕事の価値も比較できる「同一価値労働同一賃金」の手法が生み出された。それが欧州にも広がり、ILO推奨の職務分析評価として国際基準にもなっている。こうした点数化の仕組みがあれば、度合いの違いに沿った均衡待遇が容易になる。

 今回の判決での均衡待遇無視について、メトロ訴訟で被告側意見書を書いた大内伸哉・神戸大教授は、(1)労契法20条には仕事を定量化する規定がないため、度合いに応じて待遇を決める均衡待遇は難しく、(2)そんな中で、「均衡待遇の実現は司法でなく当事者が交渉で決めていくべきだとするのが最高裁のメッセージだ」(2020年11月12日付「日本経済新聞」)として、判決を評価している。

 だがここでは、非正社員は「当事者交渉」が難しいからこそ司法救済を求める、という基本的な事実が忘れられている。非正規は短期雇用であるため、交渉を求めたり労組を結成したりすると次の契約を打ち切られてしまうハンディがある。司法はそんな中で、最後の砦なのだ。

 とすれば、必要なことは、むしろILO型の国際的職務分析の導入を目指すことではないのか。日本でも2001年、男女賃金差別訴訟で専門家による客観的職務分析をもとに職務が異なる男女を比較し、原告女性が勝利した「京ガス事件」地裁判決の例もあり、不可能ではない。

 また、欧米の例からもわかるように、同一労働同一賃金は個別企業の枠を超えた産業別労組による横断的な賃金決定方式の方が実現しやすい。「当事者交渉」を進めたいなら、そうした労組の結成を後押しする手もある。ところがいま、そうした産別労組の労働基本権を抑圧するかのような判断が司法によって出されつつある。

 次回はその典型例としての「関西生コン事件」大阪・京都地裁判決の問題点について考えて行きたい。


 ※ 竹信三恵子 たけのぶみえこ●ジャーナリスト
・和光大学名誉教授。東京生まれ。1976年、朝日新聞社に入社。水戸支局、東京本社経済部、シンガポール特派員、学芸部次長、編集委員兼論説委員(労働担当)、和光大学現代人間学部教授などを経て2019年4月から現職。著書に「ルポ雇用劣化不況」(岩波新書 日本労働ペンクラブ賞)、「女性を活用する国、しない国」(岩波ブックレット)、「ミボージン日記」(岩波書店)、「ルポ賃金差別」(ちくま新書)、「しあわせに働ける社会へ」(岩波ジュニア新書)、「家事労働ハラスメント~生きづらさの根にあるもの」(岩波新書)、「正社員消滅」(朝日新書)、「企業ファースト化する日本~虚妄の働き方改革を問う」(岩波書店)など。2009年貧困ジャーナリズム大賞受賞。


『ハーバー・ビジネス・オンライン』(2021.01.02)
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