添田さつき・平和節 / 土取利行(唄・演奏)

これは添田さつき(知道)の東京節と同調の新歌詞によるもので、第一次大戦後の日本の諷詠である。大戦後始末でパリで講和会議が開かれ五大国に数えられた日本は西園寺公望が全権で送られ、愛妾お花さんと料理方の灘万の主を同行、歌詞にはこれらの登場人物が唄いこまれている。会議は難航し、ドイツが講和条約に調印、席に中国の全権はなく、これに先立ち朝鮮には独立運動、三月万歳事件がおこる。また中国では排日運動が猛烈におこっていたが、日本は大陸におけるドイツ権益の肩代わりと太平洋諸島の委託統治をせしめ、内地はひたすらご機嫌の平和祝賀会。「平和節」はこれに加え大阪や京都など当時の都を材として唄い、最後の歌詞で戦争景気が庶民にとって何にも効してないことを唄っている。ここから米騒動の「解放節」が同調で作られ唄われて行く。