【9月10日 AFP】今年1月、ベルギーのデルフィーヌ・ボエル(Delphine Boel)さん(52)は、半生にわたる苦悩と厳しい法廷闘争を経て、求め続けていたものをついに勝ち取った──。前国王アルベール2世(King Albert II、86)の娘であるとの認知だ。
だが、その結果に芸術家のボエルさんは悲喜こもごもだと話す。自らの人生の痛みを伴う部分にもメディアのスポットライトが当たることになったためだ。
アルベール2世は1月、DNA検査の結果を受けてボエルさんの父親であることを初めて認め、2013年の国王退位から続いた父親認知訴訟に終止符が打たれた。
普段はあまり取材に対応しないボエルさんだが、ベルギーの海辺のリゾート地クノック(Knokke)で開催された自身の展覧会に合わせ、AFPの取材に応じた。
インタビューでは、「自分の存在がただ恥ずかしかった」「覚えておいてほしいのは、私が有名になれたのは芸術家としての才能ではなく、アルベール2世の『過去の秘密』のおかげであるということ。恥ずべき類いの名声だ」と話した。
■「恥」
母親のシビル・デ・セリス・ロンシャン(Sybille de Selys Longchamps)女性男爵と8歳の時から英ロンドン住まいのボエルさんは、ほぼ訛(なま)りのない完璧な英語を話し、自身を「アングロ・ベルギー人」とみなしているという。
幼いころから「良い鎮静薬」としてアートに携わり、1991年には名門のチェルシー美術学校(Chelsea School of Art、現チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ)を卒業した。
9月13日までクノックで開催されている展覧会では、本人の最も暗い時期の一つを垣間見ることができる。約5年前に当たるというこの「時期」、ボエルさんは苦しい裁判をこのまま続けるかどうかを常に自問していたと話す。
ボエルさんは自らの感情を大きなキャンバスに投影した。展示作品では、「恥」や「罪悪感」といった暗いメッセージを色とりどりの抽象的なイメージ、そして「愛」「希望」「強くあれ」などの肯定的なメッセージと対比させた。
ボエルさんの裁判闘争は、アルベール2世が息子のフィリップ(Philippe)王子(当時)に国王の座を譲った2013年、双方の和解の試みが失敗に終わったことを受けて始まった。
■子どもたちのために
アルベール2世による認知は「自分の人生を間違いなく変えた」とボエルさんは言う。
「何よりもまず、自分がより真剣に受け止められるようになったと感じること。自分の話に耳を傾けてもらえるようにもなった。これはとても大きい」
「そして、ベルギーの司法がとても健全であることも分かった」
裁判所がアルベール2世にDNA検査を命じ、それを拒否すると1日当たり5000ユーロ(約60万円)の罰金を科して初めて、前国王はその態度を変化させた。
1999年にあるジャーナリストが、当時国王だったアルベール2世とセリス・ロンシャン女性男爵との約20年に及ぶ不倫関係でできた子どもの存在を暴露したが、アルベール2世は父親ではないと否定し続けた。アルベール2世は、子ども時代のボエルさんと接触していたにもかかわらず、これを決して事実と認めなかったのだ。
ボエルさんは自身のアイデンティティーのために立ち上がり闘ったことを誇りに思っている。それは同時に、16歳と12歳の子どもたちのためでもあった。
「子どもたちは学校で、『母親はうそをついているだろう、頭は大丈夫なのか⁉』などと言われていた」
しかし、「誰ももうそのようなことをあの子たち向かって言うことはできない。それがとてもうれしい」と述べた。
そして同じような境遇にある人たちが「自分は誰なのか、自分のアイデンティティーは何なのか」と模索するうえで、自身の経験が励みになることを願うとボエルさんは話した。
(c)AFP/Marc BURLEIGH and Matthieu DEMEESTERE
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