「公務員の処分量定に関する公開質問状」記者会見発言要旨①
於:参議院議員会館B103(2020年6月30日)
司会 伏見忠 発言及び代読 岡田明、佐藤芙和子、根津公子、木村葉子、奥野泰孝
◆ 東京都で黒川氏と同様の事例が発覚した場合、懲戒処分が妥当と思われる
呼びかけ人 岡田 明(東京都立高校教員地歴公民科58歳)
本日は、授業があるため出席できず、失礼いたします。私は2009年3月の卒業式に際して、自分の良心と信仰から国歌斉唱時に起立できませんでした。式典を乱すわけでもなく、しずかに約40秒座っていただけですが、東京都は私を「戒告」(懲戒処分)としました。
私の不起立は憲法19条(思想・良心の自由)、20条(信教の自由)の保障する人権の範囲内であると考えますが、東京都は憲法の縛りさえ躊躇せず飛び越えて「戒告」を出しました。
東京都は「服務事故」に非常に厳しく対処する自治体でした。じっさい、私たち東京都の教育公務員は年間を通して職場で服務事故防止の研修をみっちりと受けています。
教育庁人事部職員課服務係からは毎週のように「服務事故」についてのメールが届き、服務事故の事例が周知されています。
このたび、国家公務員である黒川氏の常習的賭けマージャン及び利害関係のある業者からのタクシー代受領という事件が発覚しました。
私は、自分が処分された経験と職場で学んできた服務事故研修の知識から推測するに、これは東京都だったら懲戒処分に当たると思いました。
そこで都知事に「東京都で黒川氏と同様の事例が発覚した場合、懲戒処分が妥当と考えるが、どうか?」を確認したいと思い、呼びかけ人になりました。
さて、もし東京都が私の推測通り「懲戒処分が妥当」と回答した場合、同じ行為をしても国家公務員では訓告、地方公務員では懲戒処分となり、整合性がつかなくなります。今回の総理大臣による黒川処分は「甘かった」ということになります。総理大臣どうお答えになりますか?
またもし東京都も「訓告が相当」とするならば、そもそも憲法に根拠をもち、刑法に触れるわけでもなかった私の不起立が「戒告」となったことは極めて異常な対応だったということになります。
服務事故への対応は情実や特定の意図によらず、公正、公平、適法に行われるべきだと考えます。
いま、首相および都知事にきちんと回答をいただくことは、私のみならずすべての国家・地方公務員への義務であり、公務員が自らの本分を認識し、その責務を果たしていくために極めて重要な意味をもつと思います。
https://wind.ap.teacup.com/people/15116.html
=「公務員の処分量定に関する公開質問状」記者会見発言要旨②=
◆ 音楽教員のピースリボンと、東京検事長の賭け麻雀が同じ「訓告」?
呼びかけ人 佐藤美和子(元東京都公立小学校教員音楽専科)
東京都公立小学校の音楽教員を40数年勤め終えて、昨年退職しました。
2000年卒業式で「ピースリボン」に似た手作りリボンの着用を、「式の間も校長の国旗掲揚に反対の意思表示をした職務専念義務違反」とされて「訓告」を受けました。
この「訓告」と「君が代」不伴奏の報復等に対して「ピースリボン」裁判で訴え、損害賠償を求めました。
卒業式では指揮やピアノ演奏の職務に集中していたのに、リボン着用によって「精神的」職務専念義務違反とされたことは、内面を覗き見て本人の陳述に反し断定するという戦時中と見間違う出来事で、これを看過できず提訴に至りました。
そもそも「訓告」は処分ではなく、履歴上も給与上の損害もありません。教員の「君が代」不起立等に対する減給以上の多くは処分取り消しの判決を得ましたが、「訓告」は撤回を求めることすらできませんでした。
けれども「訓告」を受けたリボンは、卒業式の朝突然に日の丸が掲揚されて動揺する子どもたちに、「決して強制はされない。皆の自由は憲法に保障されている」と授業で伝えた責任を果たそうとするものでした。
このリボンを着けてむしろ職務に専念できたと思います。どんなに損害が無くても「訓告」には当たらないはずです。
また、牧師の父と祖父を持つキリスト者の私がかつて天皇を神と讃えた「君が代」を弾かないことと、子どもたちにも選択の自由を伝えることは、私が私として生きるために決して譲れないことでした。
自分として生きる良心と、子どもたちに対する教員の責任としてのリボンを、他人が「訓告」すべきではありません。
片や、誰の目にも軽すぎる前検事長の刑法に抵触する行為の「訓告」と、同列同罪にすることに黙っていられず、質問状を呼びかけました。
「訓告」についてもう一点、お話しなければなりません。
教員の「君が代」不起立不伴奏にはご存じの通り、厳重処分が科せられました。次の話し手の根津さんは、不起立を貫くために免職を覚悟しなくてはなりませんでした。
私が「訓告」よりも重い処分を受けなかったのは、根津さん達が座っている時に私は立っていたからです。
「君が代」を弾かない音楽教員を続けることを優先させて、「君が代」斉唱時に私は立ってきました。それにより最前線の根津さんを独りにして、苦しめてきました。根津さんが最も厳しい攻撃を受ける後ろで、私は歩き続けることができました。
何の不利益も無い「訓告」を心の痛み無しに語ることはできません。それが軽すぎる「訓告」なのです。
前検事長は軽すぎる「訓告」に心の痛みを覚え、質問状提出先3者には真摯な応答をするように切望します。
https://wind.ap.teacup.com/people/15118.html
=「公務員の処分量定に関する公開質問状」記者会見発言要旨③=
◆ 政権に都合のいい者は刑法に触れる行為をしても処分ではない「訓告」で済ますのか?
呼びかけ人 根津公子(元東京都特別支援学校教員)
私の受けた「君が代」不起立処分との比較で述べます。
私は「君が代」不起立で延べ6回の懲戒処分を、しかも2007年からは免職一歩手前の停職6月処分を3回受けてきました。
都の処分量定は停職6月処分の次は免職と規定しています。ですから、定年退職をするまで毎年、免職を覚悟して「起立」の職務命令を拒否してきました。
裁判では、停職6月処分1件が取り消されましたが、これを除く金銭的損失は約2000万円です。
子どもたちに「日の丸」「君が代」の意味や歴史は教えずに、「日の丸に正対し君が代を斉唱せよ」と指示することは教育に反する行為であり、上命下服を教え込むことと私は考えます。
「日の丸・君が代」を実施するならば学校は、「日の丸・君が代」の意味や歴史を、事実をもとに教えるべきで、その学びと思考の中から、子どもたちが起立する、しないを選択できるようにすべきです。
私は教員として、教育に反する行為に加担することはできず、「君が代」起立を拒否したのです。教育について真面目に考えてのことです。
政権を批判する者には重罪ともいえる懲戒処分を科し、政権に都合のいい者は刑法に触れる行為をしても処分ではない訓告で済ます。どう考えても公正・公平性が担保されていません。
https://wind.ap.teacup.com/people/15119.html