《『週刊金曜日』風速計》
 ◆ 「恩赦拒否」でよろしく
崔 善愛 (週刊金曜日編集委員)

 天皇の代替わりをみごとに政治利用した安倍劇場。演出され、かためられる「総意」。明るく旗をふり、教育勅語の世界へ。命を奪った天皇制のこわさ、忘れちゃったの?
 私はいま、30年前の「代替わり」で「恩赦を拒否」したことを思い起こしている。
 それは1989年、米国へのピアノ留学中、28歳だった。米国では、ナチスに抵抗し亡命した音楽家たちが、その深い憂いを秘め、音楽にのみ救いを見出そうとしていた。私もまた国家にはじかれた形で、そんな音楽家の群れに自覚なく引きこまれていた。
 ある日、北九州に住む父(故・崔昌華(チオエチヤンホア)牧師)から電話があった。
 「指紋押捺拒否裁判が『恩赦』になった。自分は恩赦拒否するつもりだ。ソネ(善愛)はどうする?」


 「恩赦?何それ?」
 指紋押捺を拒否したのは81年1月。
 法廷で、「ネズミが象を噛んでも、象がネズミを噛んでも、痛いのはネズミだけ。どちらにしても痛いなら、噛まれて自分を失うより、噛んで自分を取り戻したい」と被告席から訴えた。母は泣いていた。ピアニストになるはずの娘の人生がこわれてゆく音がしたのだろう。

 その後の2年間で、拒否者は1万人を超えてゆく。全国で拒否者は告発され有罪となるも、最高裁へ上告。そして89年、なんと昭和天皇死去に伴う免訴、恩赦とされた。
 このとき父は、「恩赦拒否」と書こうとした自分の手が震えたという。
 皇民化教育が終わってもなお、天皇を否定すれば命を脅かされる。からだにすりこまれた教育のおそろしさよ。

 この国は国策がゆきづまると天皇皇后がお出ましになる。
 戦争公害原発も、被災地で天皇に慰められることで、美しい物語に「浄化」され、国の責任を問うものはのは恩赦で「赦されて」終わったことにされる。
 ちまたでは、安倍政権より天皇皇后の方が平和憲法を大切にしているという声を聞く。それは現政権があまりにひどすぎるだけの話であって、安倍政権より天皇の方がいいという先に、自民党が掲げる天皇「元首」化への道を開くことにならないか。

 30年前の「恩赦拒否」。ちゃんと「拒否」できているのかわからない。だから再度、言っておこう。恩赦は拒否しましたから
 ついでに合祀も拒否します。みなさんもこのままじゃ、靖国神社に合祀されちゃうかも。

『週刊金曜日 1228号』(2019.4.12)