◆ 「毒砂」 (東京新聞【本音のコラム】)
見知らぬ女性から一冊の本が送られてきた。なにげなく読みだして止まらなくなった。
百四十ページほどの手記なのだが、著者は送り主の弟で、一年半前、死後数日たった遺体で発見されていた。
タイトルは「毒砂」。
著者の安西宏之さんは福島県庁に勤めていたが、原発事故後、定年を前に早期退職、自費で放射線測定器を購入、住んでいた郡山市内を憑(つ)かれたように測定して歩いた。
この本は弟の遺志を継いで昨年暮れ姉が自費で出版した悲痛な記録である。
安西さんは東西二十数キロ、南北二十数キロ、ほぼ市全域をひとりで歩いて測定していた。
それらは発表・報道される各地のモニタリングポストの値とは無関係に、局所的に線量の高いところが無数にあった。
さらに風のような放射線の移動ではなく、雨の跡等放射線量の高い、砂か苔(こけ)のような黒い物質を発見するようになった。
しかし、素人が調査を公表する責任、公表しても解決策がなく「住民の不安を煽(あお)るだけ」との批判への対処ができない。
基準以上の汚染地が多い。しかし、解決策がない。
このジレンマに苦しみ、夢に被曝者(ひばくしゃ)の顔があらわれ、眠れなくなった。
「毒砂の存在を隠して帰還を奨励するこの国や県の無責任は必ず誰かが糾弾しなければならない」
巻末に著者が測定した地点と測定値が、十六ページにわたって掲載されてある。
『東京新聞』(2019年2月5日【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
見知らぬ女性から一冊の本が送られてきた。なにげなく読みだして止まらなくなった。
百四十ページほどの手記なのだが、著者は送り主の弟で、一年半前、死後数日たった遺体で発見されていた。
タイトルは「毒砂」。
著者の安西宏之さんは福島県庁に勤めていたが、原発事故後、定年を前に早期退職、自費で放射線測定器を購入、住んでいた郡山市内を憑(つ)かれたように測定して歩いた。
この本は弟の遺志を継いで昨年暮れ姉が自費で出版した悲痛な記録である。
安西さんは東西二十数キロ、南北二十数キロ、ほぼ市全域をひとりで歩いて測定していた。
それらは発表・報道される各地のモニタリングポストの値とは無関係に、局所的に線量の高いところが無数にあった。
さらに風のような放射線の移動ではなく、雨の跡等放射線量の高い、砂か苔(こけ)のような黒い物質を発見するようになった。
しかし、素人が調査を公表する責任、公表しても解決策がなく「住民の不安を煽(あお)るだけ」との批判への対処ができない。
基準以上の汚染地が多い。しかし、解決策がない。
このジレンマに苦しみ、夢に被曝者(ひばくしゃ)の顔があらわれ、眠れなくなった。
「毒砂の存在を隠して帰還を奨励するこの国や県の無責任は必ず誰かが糾弾しなければならない」
巻末に著者が測定した地点と測定値が、十六ページにわたって掲載されてある。
『東京新聞』(2019年2月5日【本音のコラム】)
◆ 「毒砂」 (東京新聞【本音のコラム】)
見知らぬ女性から一冊の本が送られてきた。なにげなく読みだして止まらなくなった。
百四十ページほどの手記なのだが、著者は送り主の弟で、一年半前、死後数日たった遺体で発見されていた。
タイトルは「毒砂」。
著者の安西宏之さんは福島県庁に勤めていたが、原発事故後、定年を前に早期退職、自費で放射線測定器を購入、住んでいた郡山市内を憑(つ)かれたように測定して歩いた。
この本は弟の遺志を継いで昨年暮れ姉が自費で出版した悲痛な記録である。
安西さんは東西二十数キロ、南北二十数キロ、ほぼ市全域をひとりで歩いて測定していた。
それらは発表・報道される各地のモニタリングポストの値とは無関係に、局所的に線量の高いところが無数にあった。
さらに風のような放射線の移動ではなく、雨の跡等放射線量の高い、砂か苔(こけ)のような黒い物質を発見するようになった。
しかし、素人が調査を公表する責任、公表しても解決策がなく「住民の不安を煽(あお)るだけ」との批判への対処ができない。
基準以上の汚染地が多い。しかし、解決策がない。
このジレンマに苦しみ、夢に被曝者(ひばくしゃ)の顔があらわれ、眠れなくなった。
「毒砂の存在を隠して帰還を奨励するこの国や県の無責任は必ず誰かが糾弾しなければならない」
巻末に著者が測定した地点と測定値が、十六ページにわたって掲載されてある。
『東京新聞』(2019年2月5日【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)
見知らぬ女性から一冊の本が送られてきた。なにげなく読みだして止まらなくなった。
百四十ページほどの手記なのだが、著者は送り主の弟で、一年半前、死後数日たった遺体で発見されていた。
タイトルは「毒砂」。
著者の安西宏之さんは福島県庁に勤めていたが、原発事故後、定年を前に早期退職、自費で放射線測定器を購入、住んでいた郡山市内を憑(つ)かれたように測定して歩いた。
この本は弟の遺志を継いで昨年暮れ姉が自費で出版した悲痛な記録である。
安西さんは東西二十数キロ、南北二十数キロ、ほぼ市全域をひとりで歩いて測定していた。
それらは発表・報道される各地のモニタリングポストの値とは無関係に、局所的に線量の高いところが無数にあった。
さらに風のような放射線の移動ではなく、雨の跡等放射線量の高い、砂か苔(こけ)のような黒い物質を発見するようになった。
しかし、素人が調査を公表する責任、公表しても解決策がなく「住民の不安を煽(あお)るだけ」との批判への対処ができない。
基準以上の汚染地が多い。しかし、解決策がない。
このジレンマに苦しみ、夢に被曝者(ひばくしゃ)の顔があらわれ、眠れなくなった。
「毒砂の存在を隠して帰還を奨励するこの国や県の無責任は必ず誰かが糾弾しなければならない」
巻末に著者が測定した地点と測定値が、十六ページにわたって掲載されてある。
『東京新聞』(2019年2月5日【本音のコラム】)