◆ 最高裁の不当判決は何だったのか! (東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース)
再雇用拒否撤回を求める第二次原告団 泉健二

 提訴以来、八年十カ月を経た七月十九日に最高裁第一小法廷は判決を言い渡した。
 私たちは、二〇〇三年に都教委の一〇・二三通達(卒業式等で君が代斉唱を職員に命令するよう各学校長に求める通達)が、「君が代」を学校という場で歌わない、歌うことができない教職員を職場から追放するための一連のしくみの端緒として発出されたものととらえていた。
 都教委が通達→職務命令→処分(累積)→解雇・再雇用拒否という構想をあらかじめ想定していたことは当時の教育委員の発言からもあきらかであった。
 通達を無効化するための国歌斉唱義務不存在を求めた予防訴訟、職務命令違反による処分の撤回を求める処分取消し訴訟、そして私たちの再雇用拒否損害賠償請求訴訟等は、それぞれの段階で都教委の意図を挫くための法廷闘争であった。


 予防訴訟の地裁では、通達は憲法違反という判決を勝ち取り、処分取消し訴訟の高裁では、職務命令違反による処分は懲戒権の濫用であるとし、すべての懲戒処分を取り消すという判決を勝ち取り、再雇用拒否二次裁判では地裁および高裁において、都教委の再雇用拒否は違法であるばかりか憲法の保障する自由にかかわる問題を含んでいることを指摘し、都教委は裁量権の逸脱又は濫用という違法行為を行った、という判決を勝ち取った。
 それぞれが画期的な判決であった。
 最高裁はこのような地裁・高裁の判断と行政権力への付度とを天秤にかけつつ、時の流れの中で判断を下してきた。
 二〇一一年に君が代斉唱時の処分にかかわるいくつかの訴訟では、処分取消しの訴えを棄却(不受理)したものの、君が代斉唱の職務命令が「思想及び良心の間接的な制約になる」との最高裁の判断を下した。鵺のような判断ではあったにしろ、二〇一二年の処分取消し裁判では高裁判決を部分的にではあるが受け入れさせる根拠となった。

 再雇用拒否二次裁判の一審では、争点を①憲法19条における思想信条の自由②憲法14条における平等権③憲法23条26条および教育基本法における教育の自由と不当な支配④国際自由権規約18条における信念の自由の侵害等、そして⑤裁量権逸脱または濫用、に整理したのち、①~④忙は触れず、制度の趣旨から「恣意性を排した客観的かつ合理的な基準に従ってその選考が行われるものと期待することには十分な理由があった」ど期待権を認めた
 「思想信条等に従ってされた行為を理由に大きな不利益を課すことには取り分け慎重な考慮を要する」すなわち裁量の幅が制限される。にもかかわらず、再雇用を拒否したことには裁量権の逸脱または濫用があり、期待権を侵害しているので、違法であるとした。

 二審の高裁では重ねて前記二〇一二年の最高裁判決を引用しつつ、「職務命令違反の非違性が、客観的な意味において重大であるなどと評価することはできない」「本件不合格等に係る都教委の判断は、客観的合理性及び社会的相当性を欠く」と厳しく都教委を糾弾したのであった。

 ①から④に関する違憲・違法判断に踏み込まなかったことには大きな不満を覚える。しかし、違憲判断については類似裁判で「違憲とまでは言えない」という判断が定着しつつあったので、最高裁に敬意を払いつつ、自らの判断を貫き、行政と対峙する下級審裁判官の意地と解釈したい。
 それほど地裁・高裁の判決は再雇用制度の状況を詳細に調査し、原告一人一人の状況や信条をも確認したことが明らかに見て取れる。
 その上で都の上告申立てを予測しつつ最高裁の裁判官に、さあどうだ、と問いかけたのではないか。

 それに対して最高裁は「原審(高裁)の上記判断(都教委の客観的合理性及び社会的相当性の欠如)は、是認することはできない」とするたった一ぺージ半の形式的な文言を連ねている。都の上告受理申立て理由書の言葉のみを取り上げ、良し、と言っているだけである。
 高裁に問われていることになぜ反論しないのか。いまや最高裁判所は単に行政の守護神に成り下がっている。

東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース
『リベルテ』第52号(2018年7月31日)


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