皆さま 高嶋伸欣です
◆ 14日放送のNスペ「沖縄戦全記録」の再放送は、本日(6月17日)深夜0:10からです。
私がこの番組でもっとも注目したのは
1)米軍は非戦闘員の沖縄県民を戦闘に巻き込まないようにする配慮を様々にしていたこと。
2)その米軍の配慮が、日本軍の「住民の服装で行動するように」との指示を米軍が把握したことで、ほとんど実行されなくなり、結果として米軍は住民も殺害の対象にすることになって、住民の被害を増大させてしまったことです。
1)については、これまでに何度も紹介していますが、米軍は沖縄戦での住民保護を主任務とする「軍政要員」を予め沖縄出身の移民の兵士を中心に養成していた、という太田昌秀氏の指摘(『沖縄―戦争と平和』社会新書9、1982年、日本社会党中央本部機関紙局)と一致しています。
さらに、この軍政要員が住民の隠れているガマの入り口で「怖がらずに出てきて下さい」などと呼び掛けたところ、中から「あんたは、移民した隣の家の息子ではないか。あんたが言うのであれば言葉を信じるよ。これからみんなで出て行くからね」などのやりとりがあって、住民が保護されたケースが各地で多発した、と村史や字(あざ)史の沖縄戦体験談に記されていることと一致します。
また、そのようにして住民の救出に当たった旧・軍政要員だった日系の兵士が昨年に沖縄に訪れ、助けた住民の人たちと再会したことが、県紙で報道されています。
2)については、手段を選ばない日本軍の悪あがきが、住民の被害を増大させたという沖縄戦の話題だけでは済まされない事柄という意味を持つことになりました。
兵士が軍服を着用しないで戦闘行為をすることは戦時国際法違反で、捕虜の待遇を受ける資格を失い、スパイとみなされます。当時の日本軍では、将校たちに国際法教育はされていたものの、兵卒たちにそうした知識は与えられていませんでした。兵士は捕虜になることが許されなかったのですから当然です。
ともあれ、軍服でなく住民の服装をするという国際法違反行為が話題になると、すぐに連想されるのが南京での日本軍による殺害は「便衣兵(民間人の服装に着替えた中国兵)を国際法違反のスパイとみなして処刑したのであるから、違法殺害はなかった」「つまり南京事件は存在しないのだ」という藤岡信勝・河村たかし氏たちの主張です。
彼らの主張に対し、「日本軍も同様の国際法違反行為をやって、その結果として住民被害を増大させたことの責任問題をどう位置づけるのか?」と、問い質す材料が浮上したことになります。
ちなみに、藤岡氏の自由社版歴史教科書では、沖縄戦を「日本軍はよく戦い、沖縄県民はよく協力した」とし、太田実海軍少将の「沖縄県民かく戦えり」という有名な決別電報を紹介しています。
この決別電報については、太田少将の長男の太田英雄氏が、県民をスパイ視していた上司の牛島中将に対する反論・あてこすりの意味を込めたものだ、という分析を明らかにしています(同氏著『父は沖縄で死んだ』高文研、1989年)。
太田少将は日本兵に住民の服装をするようにという日本軍の指示が国際法違反であることを認識していたはずです。その指示によって住民の被害増大になったとも認識した上での牛島司令官への反論電報とう意味がさらに加えられそうです。
さらに、軍服を住民の服に着替えたスパイとみなされた場合、戦闘中であれば、銃撃などで殺害されても違法とは言えません。沖縄戦の場合がそれです。
しかし、南京の場合のように戦闘中ではなく、捕虜にしてからはいきなりの殺害を国際法は認めていません。ハーグ陸戦規約では、必ず裁判をして罪状を確認をし、死刑の判決が出てからでなければ処刑をしてはいけない、と明記しています。南京ではこの手続きが全くされていません。
従って、南京での日本軍による捕虜の便衣兵に対する銃殺などの行為は、明らかに違法殺害ということになります。
にもかかわらず、自由社版歴史教科書では、藤岡氏の「事件自体が存在しない」という主張によって南京事件に全く言及してない記述を検定官は不問にしているのです。その不当性を追及する必要性があります。
このことを、今回のNスペは気づかせてくれたことにもなっていると、私は考えています。
こうした点に注目しながら再放送をご覧頂くのはいかがでしょうか。
以上 ご参考までに 転載・拡散は自由です。
◆ 14日放送のNスペ「沖縄戦全記録」の再放送は、本日(6月17日)深夜0:10からです。
私がこの番組でもっとも注目したのは
1)米軍は非戦闘員の沖縄県民を戦闘に巻き込まないようにする配慮を様々にしていたこと。
2)その米軍の配慮が、日本軍の「住民の服装で行動するように」との指示を米軍が把握したことで、ほとんど実行されなくなり、結果として米軍は住民も殺害の対象にすることになって、住民の被害を増大させてしまったことです。
1)については、これまでに何度も紹介していますが、米軍は沖縄戦での住民保護を主任務とする「軍政要員」を予め沖縄出身の移民の兵士を中心に養成していた、という太田昌秀氏の指摘(『沖縄―戦争と平和』社会新書9、1982年、日本社会党中央本部機関紙局)と一致しています。
さらに、この軍政要員が住民の隠れているガマの入り口で「怖がらずに出てきて下さい」などと呼び掛けたところ、中から「あんたは、移民した隣の家の息子ではないか。あんたが言うのであれば言葉を信じるよ。これからみんなで出て行くからね」などのやりとりがあって、住民が保護されたケースが各地で多発した、と村史や字(あざ)史の沖縄戦体験談に記されていることと一致します。
また、そのようにして住民の救出に当たった旧・軍政要員だった日系の兵士が昨年に沖縄に訪れ、助けた住民の人たちと再会したことが、県紙で報道されています。
2)については、手段を選ばない日本軍の悪あがきが、住民の被害を増大させたという沖縄戦の話題だけでは済まされない事柄という意味を持つことになりました。
兵士が軍服を着用しないで戦闘行為をすることは戦時国際法違反で、捕虜の待遇を受ける資格を失い、スパイとみなされます。当時の日本軍では、将校たちに国際法教育はされていたものの、兵卒たちにそうした知識は与えられていませんでした。兵士は捕虜になることが許されなかったのですから当然です。
ともあれ、軍服でなく住民の服装をするという国際法違反行為が話題になると、すぐに連想されるのが南京での日本軍による殺害は「便衣兵(民間人の服装に着替えた中国兵)を国際法違反のスパイとみなして処刑したのであるから、違法殺害はなかった」「つまり南京事件は存在しないのだ」という藤岡信勝・河村たかし氏たちの主張です。
彼らの主張に対し、「日本軍も同様の国際法違反行為をやって、その結果として住民被害を増大させたことの責任問題をどう位置づけるのか?」と、問い質す材料が浮上したことになります。
ちなみに、藤岡氏の自由社版歴史教科書では、沖縄戦を「日本軍はよく戦い、沖縄県民はよく協力した」とし、太田実海軍少将の「沖縄県民かく戦えり」という有名な決別電報を紹介しています。
この決別電報については、太田少将の長男の太田英雄氏が、県民をスパイ視していた上司の牛島中将に対する反論・あてこすりの意味を込めたものだ、という分析を明らかにしています(同氏著『父は沖縄で死んだ』高文研、1989年)。
太田少将は日本兵に住民の服装をするようにという日本軍の指示が国際法違反であることを認識していたはずです。その指示によって住民の被害増大になったとも認識した上での牛島司令官への反論電報とう意味がさらに加えられそうです。
さらに、軍服を住民の服に着替えたスパイとみなされた場合、戦闘中であれば、銃撃などで殺害されても違法とは言えません。沖縄戦の場合がそれです。
しかし、南京の場合のように戦闘中ではなく、捕虜にしてからはいきなりの殺害を国際法は認めていません。ハーグ陸戦規約では、必ず裁判をして罪状を確認をし、死刑の判決が出てからでなければ処刑をしてはいけない、と明記しています。南京ではこの手続きが全くされていません。
従って、南京での日本軍による捕虜の便衣兵に対する銃殺などの行為は、明らかに違法殺害ということになります。
にもかかわらず、自由社版歴史教科書では、藤岡氏の「事件自体が存在しない」という主張によって南京事件に全く言及してない記述を検定官は不問にしているのです。その不当性を追及する必要性があります。
このことを、今回のNスペは気づかせてくれたことにもなっていると、私は考えています。
こうした点に注目しながら再放送をご覧頂くのはいかがでしょうか。
以上 ご参考までに 転載・拡散は自由です。