◇ グループZAZAのブログを開設しました
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924
大阪府人事委員会不服申立当該7名によるブログです。
はじめまして、私たちは今春の大阪公立学校卒業式・入学式で「君が代」斉唱時に「不起立」であったことにより、戒告処分を受けました。現在、大阪府人事委員会に不服申立を行っています。思想性や立場や生き方もそれぞれ異なる7名ですが、公教育の場において「君が代」斉唱を強制させるわけにはいかないと言う点で一致しています。人事委員会へ申立を通して、公教育のあり方を問うていきたいと思いますので、どうか、よろしくお願いします。
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/2bd470e38116a4c35b4f20a16e809a75
教え子からのメール
◇ NHK「“君が代条例”の波紋」(2012.8.15)を観て
日の丸・君が代に焦点を当てているから多くが「日の丸・君が代ぐらい、いいやん。」ってなるのかもしれない。
日の丸・君が代を離れたところに問題があるのだと思う。
私は、単に「日の丸・君が代問題」としては見てない。
これは教育に対する「強制の持ち込み」だとずっと見ている。
私も思想や考えを「強制」されて、しんどくなった一人だ。
自分の考えを殺されて、自分に合わない考えを押し付けられて自分が自分でないような感覚で生きていた時期がある。
考えの強制は人を殺すことができる。
人は性格も気質も生まれ育った環境も違うのだから「一般的」はすべてに当てはまらない。
子どもが幸せに健康に生きることを手助けするのが大人の役割だと思う。
その見守り方はもちろん子ども一人一人によって違う。
幸せを願われなかった子はどうなるか、・・・・・・自殺まで考える子も多い。
私は何人もの不登校児、いじめっ子、いじめられっこ、自傷する子、鬱、情緒不安定、薬物依存、各種依存症・・・の子とも話したことがある。
その時はいつも「その人の存在を認められ、受容され、考えを尊重され、一人の独立した個人として尊重されていれば、こんなに悲しい想いをしなくても、こんなに自分を痛めつけなくて済んだ子もかなり多いのでは」と悲しくなる。
「愛国心」というが、「愛する」ということを強制されて誰が愛することができるだろうか。
自分を尊重されず、愛されてもいないのに愛することを強制されて、どうして愛することができる?
感謝を強制されて真の意味で人に感謝できますか?
まずは、子に強制ではない、子を愛してあげて、子に感謝して、、そうすると自然に「愛する」ということを真の意味での「愛する」を学んでいく。
教育は強制ではない。
押し付けではない。
押し付けとしつけも違う。
強制は子の心を殺すことができる。いとも簡単に。
私は、身をもって、経験をもって、強制では人は育たない、と主張したい。
教育への強制の導入。
それの道具に日の丸・君が代が使われたに過ぎないのでは?使いやすいから。
先生には、広い視野で私を尊重してくださり、大変感謝しています^^
思考停止教育の道具に「君が代・日の丸」が使われているように思います。
「日の丸・君が代」は使いやすいから。
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/ba302f428c13293d9c6f9a588017a766
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924
大阪府人事委員会不服申立当該7名によるブログです。
はじめまして、私たちは今春の大阪公立学校卒業式・入学式で「君が代」斉唱時に「不起立」であったことにより、戒告処分を受けました。現在、大阪府人事委員会に不服申立を行っています。思想性や立場や生き方もそれぞれ異なる7名ですが、公教育の場において「君が代」斉唱を強制させるわけにはいかないと言う点で一致しています。人事委員会へ申立を通して、公教育のあり方を問うていきたいと思いますので、どうか、よろしくお願いします。
http://blog.goo.ne.jp/zaza0924/e/2bd470e38116a4c35b4f20a16e809a75
教え子からのメール
◇ NHK「“君が代条例”の波紋」(2012.8.15)を観て
日の丸・君が代に焦点を当てているから多くが「日の丸・君が代ぐらい、いいやん。」ってなるのかもしれない。
日の丸・君が代を離れたところに問題があるのだと思う。
私は、単に「日の丸・君が代問題」としては見てない。
これは教育に対する「強制の持ち込み」だとずっと見ている。
私も思想や考えを「強制」されて、しんどくなった一人だ。
自分の考えを殺されて、自分に合わない考えを押し付けられて自分が自分でないような感覚で生きていた時期がある。
考えの強制は人を殺すことができる。
人は性格も気質も生まれ育った環境も違うのだから「一般的」はすべてに当てはまらない。
子どもが幸せに健康に生きることを手助けするのが大人の役割だと思う。
その見守り方はもちろん子ども一人一人によって違う。
幸せを願われなかった子はどうなるか、・・・・・・自殺まで考える子も多い。
私は何人もの不登校児、いじめっ子、いじめられっこ、自傷する子、鬱、情緒不安定、薬物依存、各種依存症・・・の子とも話したことがある。
その時はいつも「その人の存在を認められ、受容され、考えを尊重され、一人の独立した個人として尊重されていれば、こんなに悲しい想いをしなくても、こんなに自分を痛めつけなくて済んだ子もかなり多いのでは」と悲しくなる。
「愛国心」というが、「愛する」ということを強制されて誰が愛することができるだろうか。
自分を尊重されず、愛されてもいないのに愛することを強制されて、どうして愛することができる?
感謝を強制されて真の意味で人に感謝できますか?
まずは、子に強制ではない、子を愛してあげて、子に感謝して、、そうすると自然に「愛する」ということを真の意味での「愛する」を学んでいく。
教育は強制ではない。
押し付けではない。
押し付けとしつけも違う。
強制は子の心を殺すことができる。いとも簡単に。
私は、身をもって、経験をもって、強制では人は育たない、と主張したい。
教育への強制の導入。
それの道具に日の丸・君が代が使われたに過ぎないのでは?使いやすいから。
先生には、広い視野で私を尊重してくださり、大変感謝しています^^
思考停止教育の道具に「君が代・日の丸」が使われているように思います。
「日の丸・君が代」は使いやすいから。
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パワー・トゥ・ザ・ピープル!! パート2