転載記事
袴田事件「死刑囚とDNA不一致」 検察側鑑定結果
袴田事件の第二次再審請求審で、犯行時の着衣とされた半袖シャツの右肩部分に付いた血痕が袴田巌死刑囚(76)の血かどうかをDNA型鑑定した静岡地検推薦の鑑定人が「本人と完全に一致するDNA型は認められなかった」と結論付けたことが16日、明らかになった。弁護団への取材で分かった。
13日に判明した弁護団推薦の鑑定人の鑑定結果は、血痕と本人の血のDNA型は「不一致」としており、二つの鑑定は矛盾しない結果となった。
血痕を「当時右肩にけがをしていた死刑囚本人の血」と認定した1980年の確定判決の一部に疑いが生じたことで、再審開始につながる可能性も出てきた。
静岡地裁は、昨年のDNA型鑑定の結果と合わせ、鑑定人尋問などで再審開始の条件となる「新規かつ明白な証拠」に当たるかどうかを検証する。
地検側鑑定人の鑑定書はシャツの血痕と死刑囚本人の血から「完全に一致するDNAは認められなかった」と指摘。一方、証拠の「五点の衣類」の一つである緑色パンツの血痕様の部分とも照合し、死刑囚本人のDNAである可能性は排除できないと言及した。
双方のDNA型を「不一致」と判断した弁護団側鑑定人の鑑定書は、血痕の劣化や、血痕部分への第三者の汗や唾液の混入があったとしても、不一致となるのは「偶然では極めて起こりにくい」と付け加えている。
鑑定は弁護団の要請を受け、地裁が委託して実施した。
静岡県庁で16日午後に会見した弁護団事務局長の小川秀世弁護士は「地検推薦の鑑定人の結果からも袴田さんの無実が明らかになった」と指摘した。
<袴田事件> 1966年6月30日、静岡県清水市(現静岡市)のみそ製造会社専務橋本藤雄さん方から出火、一家4人の遺体が発見された。県警は8月、強盗殺人容疑などで工場の従業員袴田巌死刑囚(76)を逮捕。袴田死刑囚は公判で無罪を主張したが、67年8月に工場のみそタンクから見つかった血の付いた衣類が有罪の証拠とされ、80年に死刑確定した。81年からの第1次再審請求は2008年に最高裁が特別抗告を棄却したが、姉秀子さんが同年に申し立てた第2次再審請求では検察側が新たな証拠を開示。11年には静岡地裁が衣類のDNA型鑑定を実施し弁護側鑑定人は付着した血痕のDNA型が被害者と一致しないと指摘した。