◎ 未完の大作『板橋高校卒業式事件』
    藤田勝久〈再掲〉26未完
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「エゾリス」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 ★ 取材報告書(続)

 ここで驚くべきことに、3月16日の教育長答弁の事実認識・及び課長・指導部長の事実説明の根拠がないことに気がつく。

 「校長などの制止にかかわらずビラを配布し」(教育長議会答弁)----これがこの取材報告書にはない。
 「異常な卒業式だと大声で騒ぎ」(同)----これもない。
 「五分開式を遅らせた」(指導部長教育委員会報告、課長・取材報告記載事項)----このこともまったく触れられていない。

 後に被害届を出す根拠となった事項が、11日の校長の状況説明においてはまったくないのである
 当日、まだ事態についての打ち合わせがなされていない。
 つまりは、威力業務妨害罪なるオドロオドロシイ罪状に相当するとした事項は、後の捏造ということにほかならない。


 当初は、校長の頭の何処にも警察に訴えるという発想はなかったと思われる。このことは現場の人間から洩れ聞こえてきた。
 すべては、都議・土屋及び教育長・横山によるシナリオ作りの元で捏造されていったのである。

 その意味では校長もまた哀れといえば哀れである。
 「告訴」の主体は校長であると言われてそのように答え、すべて「上司」、と思考する都教委の課長らの指示のもとオウムとなった。
 公判廷にまで引っ張り出される。
 校長はそのことを分っているのであろうか。

 今回の「職務命令」にしても、都教委はすべての責任を回避してすべては校長の判断で出したものとする。出さなかった校長への処分はなかったのだ。
 見せしめが効かないと言う教育委員の追及に対して指導部長、教育長は防戦これ努めた。ことの論理を理解した一教育委員は「呼び出して課長の前で謝らせろ」とのたまった。恥をかかせて責任までとらせようというのである。卑怯といえば卑怯、卑劣といえば卑劣そのものである。
 法的な責務から逃亡するのである。「出せ」と命令しといて、お前等の自主的判断で「出したのだ」とするのである。これが卑怯、卑劣なるファシストの常套手段である。米長の言う「私は校長さんたちのために尽くす」、という言葉の実態はこれである。

 かって在職中、人事考課なる勤務評定が教育の場に無法にも入ってきた。その解説の一問一答を見ていて呆気に取られかつなるほどとひどく得心した一節があった。

 校長の評価によって不服あるものから訴訟が提起された場合、すべて校長の責任において処理すること。またそのためには保険の制度もあると書かれていた。

 校長は、都教委によって使い捨ての将棋の駒なのだ。
 そう考えると何故に将棋指しが都の教育委員をやっているのかとの不可解さも一挙に氷解するというものだ。
 管理職などになるものではない。みんなこの間の状況を見て分ってきたようだ。

 管理職への登竜門、主幹の受験率がついに一倍を切ってしまった。全員合格だ。
 校長は都に尻引っぱたかれて、気に食わない人間にまで甘言を弄して受験をすすめる始末。
 自分で自分の首を絞めているのは今や都教委そのものである。

 (未完にて終わり)
 
 今、教育が民主主義が危ない!!
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