
大内裕和中京大学教授(奥・中心の右側)と要請参加者
2012年1月10日
最高裁判所
第一小法廷 裁判官殿
〈最高裁判所への要請〉
中京大学教授 大内裕和
私は大学院で教育学を専攻し、これまで14年間大学で教育学を教えてきました。教育学を研究し、大学での教員養成にも携わっています。
昨年、最高裁は公立学校の卒業式の「君が代」斉唱時に教諭の起立を義務づける校長の職務命令に対して、合憲という判決を出しました。判決内容はいずれも、「君が代」起立斉唱の職務命令は、「思想及び良心の自由」を「間接的に制約する面がある」とはしたものの、「制約には必要性、合理性がある」と説明し、違憲であるとの訴えを否定しました。必要性や合理性の理由として、卒業式の際などの「規律斉唱行為は、一般的、客観的に見て慣例上の所作としての性質があり、外部からもそう認識される」と主張しています。
私はこの理由が憲法19条の「思想及び良心の自由」を制約するだけの「必要性、合理性」を持っているとは言えないと考えます。憲法が保障する権利の制約を安易に認めることは、立憲主義の原則を揺るがす危険性を持っていることを忘れてはなりません。
「間接的な制約」という表現も、「日の丸・君が代」についてこれまで行われてきた強制の実態を十分にとらえているとは思えません。数多くの教員に行われた戒告や減給、さらには停職といった厳しい処分、また東京都教育委員会による、職務命令違反を行った教員に対する「再発防止研修」の実態を注意深く見れば、職務命令は「思想及び良心の自由」の間接的な制約」ではなく、「直接的侵害」であることがわかります。
また間接的な制約を生じさせる「必要性、合理性」として、公立学校教員の「地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性」が挙げられています。しかし公務員には日本国憲法99条で、「天皇または摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を遵守し擁護する義務をおふ」という「憲法順守義務」が存在しています。
公務員の「憲法順守義務」よりも「職務命令に従う」ことが優先されるということになれば、公務員は憲法が定める「全体の奉仕者」ではなく、「公の秩序」や首長の権力に服従する存在へと変質させられることになります。
一連の「君が代」判決では、「歴史観に反する行為を強制するもので、憲法に違反しないかどうか厳格に検討すべきだ」という反対意見や多数の補足意見出されました。補足意見の中では、国旗や国歌を強制することへの疑問や、処分によって教育現場を委縮させることへの危惧も指摘されています。機小法廷に、この論点を十分に考慮した判決を出していただきたいと考えます。
また処分の不当性、裁量権の逸脱・濫用という論点も重要です。都立学校の教職員が懲戒処分を取り消しを求めた訴訟で、昨年3月10日の東京高裁判決は「懲戒処分は重すぎる」とし、教職員側の逆転勝利としました。
東京都において「日の丸・君が代」について職務命令が出され、処分が行われるようになったのは2003年の「10・23通達」以降のことです。それまでは、このような処分は一切行われていませんでした。また同様の処分は、これまで他の自治体では行われておりません。処分の不当性、裁量権の逸脱・濫用は明らかであり、これを認めなければ、最高裁判所が東京都における特定の教育行政のあり方、さらには特定の政治権力を指示するというメッセージを社会に発することになります。この点についても貴小法廷に、ぜひ歴史の審判に訴える判決を出していただきたいと思います。
<要請事項>
1、上記2件について憲法の原則に従った判決を出してください。
2、処分についての裁量権の逸脱・濫用に関して公正な判断を示していただきたい。