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2011年4月23日

宮城県のホームページには「調整中」などとあるだけだが・・・

女川原発の放射能を常時監視しているモニタリングステーション(無人)は、全部で11あります。
うち7局は県の施設、4局は東北電力の施設です(各局の位置と設備は注1を御覧ください)。
測定した空中の放射線量は、気象情報とともに直ちに女川町にある原子力センターに送られて、環境放射線データ表示盤に表示されます。
誰でも県のホームページで、その測定値をリアルタイムで見ることことができるようにもなっています。
ところが、原発の10キロ圏内にあるこれらすべての局のデータが、今回の地震・津波の直後に見れなくなってしまいました(バックアップホームページでも見れなくなった。停電で私は直後の実情を知らなかったが)。
原子力センターが津波でどうなったかについてはすでに紹介しました。
では、各地のモニタリングステーションそのものはどうなってしまったのでしょうか(県当局はバックアップホームページで「調整中」などと紹介しているだけですが――注2)。
以下は、これまでに直接確かめることのできた5局の実際です。
1.鮫浦(さめのうら)[石巻市、旧牡鹿町] ※53世帯が住んでいた集落(2008年3月末現在)。

上の写真は(→注4)、今回の津波の1週間ほどあとの3月19日に鮫ノ浦のありさまを撮ったものです。
津波で家々がすっかりなくなっています。
妻の母の遺体が鮫ノ浦にあがったと聞いて、安置所に運ぶために妻や妻の兄たちとこの浜に久しぶりにやってきたとき、浜のあまりの変わりように言葉がありませんでした。
あとになって、ここにも女川原発の放射能を監視するモニタリングステーションが設置されていたはずであることに気づき、当日撮った写真を見直してみました。
その結果見つけたのがこの写真です。
奥の小山の右端の手前(画面中央奥)にポツンと見えているのが、鮫浦のモニタリングステーションです。


これは、各モニタリングステーションが津波でどのような影響を受けたかを調べに行った4月19日に撮ったもの。
窓は破れて中の測定機などは海水に浸かり、屋根の一部なども壊れていました。
手前右手に倒れている白い箱状のものは、非常用電源。
2.谷川(やがわ)[石巻市、旧・牡鹿町] ここは60世帯が住む集落でした。

4月19日、津波後初めて鮫ノ浦を越えて谷川に向かいました。
谷川も鮫ノ浦同様に激烈な津波被害を受けていました。
まるで、原爆を落とされた爆心地のように。
上は、同日、その谷川浜の様子を撮った写真です。
右手の山のすぐ隣に見えているのがモニタリングステーションです。


元々あった場所から田んぼだったここまで何百メートルも流されてきていました。
横なぐりの雨のため、元々あった場所まで行くのはやめにしました。

3.小積(こづみ)[石巻市] ここには24世帯が住んでいました。

奥の斜面はこの集落の墓地。
その手前の平地には、ついこのほどまで家々が建ち並んでいました。
この写真に写っているありさまが小積浜の現実。
それなのに、4月9日以後現地に立ってその現実を何度目にしても、まるで幻影でも見ているようにしか感じられないのはどうしてでしょうか。
中央に見えるのはモニタリングステーションの非常用電源の残骸。
この目で女川原発の地震・津波被害の実際を確かめようと出かけた4月9日、初めてこの有様を見て、確かに愕然とはしたのですが・・・


モニタリングステーションのあった場所にはわずかにモーターが残っているだけでした。


モニタリングステーションの建物は、海岸からさらに二百メートルほど離れた道路わきにまで流されてきていました。

4.飯子浜(いいごはま)[女川町]

飯子浜には、漁業の盛んな女川の浜浜のまっただなかに原発を設置することに反対する多くの漁民の中心をになった人々が何人か住んでいました。
そのうちの一人が住んでいた海岸の道路沿いの家は、跡形もなくなっていました。
残った家々も、このようにほとんどが全壊状態でした。
中央奥の傾いた二階家の右にモニタリングステーションが見えます。


この飯子浜のモニタリングステーションも津波をかぶってだいぶ傷んでいました。
右隣は直角に折れまがった電柱。


飯子浜の前の海面には、海ぎわにあった牡蠣むき場の屋根と思われるものが浮いていました。
5.小屋取(こやどり)[女川町]

小屋取は女川原発に最も近い集落です。
後方中央の白い建物が原発(3・11後現在まで、放射能放出事故は起こさないで済んでいる)。
右手の木々の上にちょっと見えているのは、原発の排気塔。


この集落の家々も、高いところに建つ家以外は手ひどく津波にやられました。
上の写真は、海岸で目にした津波にもぎ倒された家。
家の前に立つのは、この日午前と午後の2回、各モニタリングステーションの現状を調べて回る際に車を運転してくれた娘の万里。


写真は、集落の手前の道路を数百メートル登ったところにある小屋取局(→注3)。
津波はここまでは達しなかったようで、外見上はどこにも変わったところがあるようには見えませんでした。
しかし、県原子力安全対策室の話では、空中の放射線量の時々刻々の測定結果や気象情報が無線で各局から女川の原子力センターだけでなく仙台の県庁にも届く仕組みになっていたにもかかわらず、津波が浜はまを襲った頃には、この局を含む全11局からの情報が県庁にも届かなくなったといいます。
< 注 記 >
注1.各モニタリングの位置と測定項目(『2010宮城県の原子力行政』)

※モニタリングポイントでは、3ヶ月ごとの積算放射線量を測定している。


注2.4月21日現在の宮城県のバックアップホームページ
(4月21日の図には誤表記があったので4月26日のものに変更)

※1局を除いて,他はすべて今も「調整中」となっている。
女川局だけは1ヶ月以上たって復旧し、4月18日にその測定値のバックアップシステムによる表示も再開された。
注3.前方で取材しているのは、NHK仙台の応援のため秋田市からやってきたNHKの記者(右端)とカメラマン。
NHK仙台は4月19日夕方6時半からのニュースで、この日モニタリングステーションを調べて回った石巻市民の会の様子を放送した。
注4.次の写真が3月19日に撮った写真だったので、鮫ノ浦の項の写真はこれに替えた。

きのう(=4月25日)まで3月19日に撮ったものとして載せてきた下の写真は、1ヵ月後の4月19日に撮ったものだった。
天候が違うし、何よりも、奥右手の大谷川や谷川に通じる道路はまだ3月19日には復旧していなかった。