最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
■□■ 1月28日(金)第8回最高裁要請行動を行いました ■□■
◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<32>
「シマエナガ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
2ちゃんねるは、私への書き込みを読んだのを契機として
その後、今日まで何年も読み続けることになった。
問題のスレッドを見れば、2ちゃんねる脳がどんな書き込みをするかだいたい分るようになってきた。
自分の頭が2ちゃんねる脳になってしまったようだ。
石原慎太郎評価については、四男への利益貸与をきっかけとして激変し、「閣下」から「ば閣下」「老醜」となった。
「日の丸・君が代」問題では、一貫してこきおろし、罵倒、中傷が今も続いている。
日教組を敵対視する勢力の跳梁が、今も強いということであろう。
国政選挙での影響力から、自民党のネット工作部隊の中傷作戦の継続と思われる。
日教組が実態として、「日の丸・君が代」容認路線に転換してしまっているのにとの感は否めない。
先にも記したが、この掲示板は人の心に毒を投げ込み、晒し者にし、言葉のリンチを加え、人間の心の一種の排泄行為なのであろうが、その標的にされた者の苦悩は計り知れない。
私は携帯の番号を晒されたが、実際いたずら電話は数件であった。
情報の伝達のスピード、検索の提示、疑問点の調査など有益なる書き込みもそれらに交じって書き込まれてくる。
ネットうよの洪水の中で敢然として異論を提示し続ける孤独な書き込みの主も登場してくる。
それらを拾い読みすると、実に参考となる意見に出会うことにもなる。
「便所の落書き」にも異彩を放つものがあると多少似ているが、なにせ総量の異様な数の多さが最大の特徴であろう。
「お、おれ、この先公にならった、・・・・」というのがあった。
・・・・部分、まことにその通りで、間違いなく私の授業を受けた者か、その話を聞いた者であろう。
なつかしくなって、書き込もうかと思ったが、止めた。
パソコンの情報管理、セキュリテイーに対しては日々新たな攻撃が加えられ、防御とイタチごっこである。
まるで、防御会社が最新鋭の攻撃を繰り返しおこなっているのではないかとさえ思える。
ユーゴ紛争で、森の中から砲弾が撃ち込まれる。
どっちの勢力が撃っているいるのかさえもう判別不明。
武器を売り込む側にとっては、殺しあいの継続こそが最大の利益となるのであるから。
となると煽られ、憎しみを持ち込まれ、あるいは「愛国心」を注入され、特別手当、奨学金などでつられ殺しあう勢力、部隊、部族を冷ややかに見下しながら、金儲けにまい進する連中がいるということになる。
第一次、第二次大戦ほか、すべての紛争は、軍産共同体とそれを支配する国際的金融資本家によるシナリオであったのか。
殺し殺され傷つき悲惨な目に合った何億という人びとにとって、こんなやるせない、憤懣やる方ないことはないであろう。
旗振るものはその多くが騙され、利用されているのであろう。
善人は多く騙される。 善人の多くは地獄への道を掃き清める尖兵として使われる。
これが歴史の真相である。 ひどい話である。
このことに関しては何度も想起せざるをえないのが、「北送」の問題である。
まさかあの金日成が、人質作戦を敢行して日本にいる血縁を脅迫し金を巻き上げるようになろうとは1950年代末に誰が想像したであろうか。
しかし歴史の冷厳な事実を検証すれば、そんなことは日常茶飯事であったのだ。
ただ、自分が善人だけに言いかえれば史的判断力の薄っぺらさゆえに、悪辣なる連中の意図を見抜けなかったということである。
「まさか、あの方がそんなひどいことを」ということになる。
「史的判断力批判」なる大著が書かれるべきであろう。
アンドレ・ジードの「ソヴィエト紀行」を日本の誰がまともに読んで評価したのであろうか。
戸坂潤や宮本百合子や・・・皆一顧だにしないどころか、けなしてやまなかったのである。 悪書とされたのである。
さすれば、歴史の教訓は「悪書を読め」となるか。
まだスターリンが栄華を誇っていた時代に「動物農場」「1984年」は出版されている。
日本の誰がこの本を推奨・宣伝に努めたのであろうか。
日本と言う島国にいて少ない情報と言うか宣伝の中にからめとられて旗を振り突進するのは、猪突が怪我する行為であろう。
単なる怪我ならまあいいが、殺しあったり、心身の後遺症を負ったり悲惨なことが戦後だけでも数限りなくあったし今も続いている。
「あな、おそろしきことよ」である。
「中国の赤い星」は、高校生の洗脳には最高の本であった。
かくいう私も洗脳された。
愚かであったとは、今にして言える言葉である。
のち洗脳されたのは、「虎は、歯を磨かない」という毛沢東の言葉であった。
それを真に受けた私は、今では上歯すべて抜け落ちて、入れ歯を弄び人を不快にさせる身となってしまった。
毛沢東を「ケザワヒガシ」と読んだ秋田明大らの闘争は、他者の理論・思想に絡み取られていないだけに鮮烈であり歴史的偉業として今日も燦然として輝いている。
東大生は誰ひとり日大闘争にやってこなかったのに、彼らは遠路部隊を組んで東大駒場銀杏並木に出かけて行ったのだ。
「器械は嘘をつかなから・・・」とテレビドキュメンタリーで語っていた明大氏の自動車修理工場の繁盛を祈りたい。
「説得か、さもなくば破滅」と説いたノーマンは文字通り破滅してしまったが彼の言葉は生きていると信じたい。
「いかなる理由があろうとも、人が人を殺してはならない」という原点に人は立脚すべきであろう。
そう考えれば、「あれは戦争だ、仕方ない」とする過激両派は歴史的清算をして、その党の歴史を抹消しなければならない。
いつまでも過去の名前を掲げていては、運動する資格がない。
ある党派は石原の告訴・告発をおこなって、私の起訴の契機を作った。
2004年12月3日、検察は一方を受理し、もう一方を同日に起訴して公平を装った。
※ 『板橋高校卒業式事件・顛末記』の過去ログ一覧はこちら ↓
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