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  ★ 立川、葛飾に続く「言論表現の自由」圧殺を許すな! ★
  最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
  ■□■ 第8回最高裁要請行動 1月28日(金)10:15最高裁東門集合 ■□■

 ◎ 板橋高校卒業式事件・顛末記<25>


「オシドリとカモ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》

 2005年、春、公判が始まった。

 憲法には次のように書いてある。
 憲法第37条 すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
 ② 刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与えられ、又、公費で自己のために強制的手続きにより証人を求める権利を有する。
 ③ 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、国でこれを附する。
 法廷は、公開であった。
 地裁の一番大きな法廷で、入り口で傍聴者は金属探知機の検査を受けた。


 公判廷で、被告・Fは、一言も発せず、証人に何も聞かず、問い詰めず、黙秘して座っていた。
 なぜなら、それが弁護団の確固とした方針であったから。
 証人を求めることもしなかった。
 つつましやかに恭順の意を示さずに、徹底して発言し証人を多数召喚し問い詰めたいとの思いは日々募ってその相克に悩んで眠られない夜が多くあった。
 知事・石原、 教育委員・米長、 都議・土屋、 教育長・横山、 指導部長・近藤、 課長・賀澤、 指導主事・金子、佐々木、鯨岡、後藤、岡田らを徹底して追求したかったし、すべきであったであろう。
 ある時、ほかの事件の弁護士にあって聞いたら、「われわれは徹底して、被告本人に尋問させる。本人が一番状況を知っているからだ」と言っていた。
 目の前で平然と偽証する何人もの検察側証人の横顔を見つめながら、黙然として座して時を過ごすというのは一種の拷問であり、修行に近かった。

 最初、裁判所から封書が来る。
 来るのはいいんだが、送付の度に郵便配達人が玄関先に立ち、「特別送達!」と大声を発するのにはまいった。
 国家の発する「封書」とはまことにおそろしいものである。
 「特別送達!」である。
 今回のは、「特別移送!」でないだけがはるかにましか。
 予想される確定判決、罰金20万円を拒否したら、警察官が玄関口に立って、「特別移送!」と大音声を発するのであろうか。
 1日、5000円に換算されるというから、69歳の無職の身にとっては、3食付きのふとん付きのいいアルバイトである。
 封筒張りらしいが40日間、「おお、行ってこいよ!」と慫慂する友人らしき人が後を絶たない現状である。

 過去の歴史で、また現在の多くの国でこの「特別移送」が行われている。
 ある朝、突然移送隊がやってきて、本人であったり家族もろともであったりして消えうせる。
 1959年ころから、北へのいわゆる「帰還」ないし「北送」については、時々の中断を経て関心を継続させてきた。

 J高校にいた時、ほかの学校の教員S氏に頼まれて、朝鮮の婦人に日本語を教えていた。
 「町で、げっきょくっていっぱいあるけど。げっきょくって何よ」とある日言う。
 「月極め」 「月極」のことであった。
 彼女は、飲食店で働き釣銭の計算で苦労して胃を切っていた。
 九九を知らないということはある場合には胃を切ることになる。
 娘が、平壌にいるという。「あれ送れ、これ送れとうるさいよー」と言っていた。

 社会科室には教員Yの持ち込んだ「千里馬」の美しいパンフレットがあった。
 J高には、朝鮮問題研究会「ウリの会」があった。 韓国・朝鮮籍の生徒が多数いたからである。
 会で焼肉屋に行き、しこたま飲んで吐きそうになり頭もふわふわになり、大いに迷惑をかけたことが今でも悔やまれる。
 そこで、指紋押捺問題が惹起された。
 王子署にみなで折衝に行ったりした。

 ある日、会員の生徒のひとりが準備室に来てこう言った。
 「先生! おれは天皇が朝鮮人だと知って、なんも怖いものなくなったよ」と。
 「日本」という国家が成立するまえの古代、日本海を一環する居住空間において、何人も何もあったもんじゃないだろう。
 日本の天皇が権威の根幹とする「万世一系」について、かって大宅壮一が喝破していた言葉がある。
 もちろん戦後のことだが、「犬だって、猫だって、万世一系だあ!」と。
 この大宅壮一の名言は他にも数多あるようだ。
 文化大革命を見て来ての発言では、「ありゃー、ジャリ革命だあ」というのがあったと思う。

 指紋押捺と並んで当時、本名を名乗るという問題があった。
 AさんとH君とFさんが出席簿を本名に変えた。それに振り仮名をふって、出席簿を教室に置いておいた。
 ある時、教員のAさんがその通り呼んだら、猛然たる反撃を加えられたと担任だった私に言いに来たことがあった。
 本人の中で、そう呼ばれることにまだ釈然としない気持ちがあったのであろう。

 かって、植民地として苦吟し、「朝鮮民族は、6歳にして思想家である」と言われた韓国・朝鮮と日本の問題は、永久の課題として今も我々の眼前にあり続けている。
 「凍土の共和国」という本が1984年ころ出版され、目を覚まされた。
 以前に、1962年ころ、関貴星氏が命がけで、「楽園の夢破れて」という歴史的名著を出していたが、出版社が「全貌社」であったせいか世間はこれを無視し問題にもしなかった。
 いずれにしろ、この「北送」の問題は、日本の戦後史における最大の「人間と思想と残虐」の問題として今日もあり続けている。


※ 顛末記の過去ログは、
 顛末記(24) http://wind.ap.teacup.com/people/4657.html

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