最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
■□■ 11月2日(火)第7回最高裁要請行動を行いました ■□■
◎ 上告趣意補充書(4)を提出しました!
「オシドリ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
10月20日、弁護団は上告趣意補充書(4)を最高裁に提出した。これは5月末に提出した補充書(2)、(3)を補強する目的をもつ。内容としては、前回提出の「フォルホーフ教授意見書」の中で引用されている主な判例6編それぞれの概略と意義をまとめ、全文和訳を添付したものである。
フォルホーフ教授はその「意見書」の中で、藤田さんの卒業式開始前の言動に対する刑法の適用は、日本も批准している国連自由権規約第19条、および規約の解釈適用として採用されることの多い欧州人権条約第10条に基づいて判断すれば、明らかな「表現の自由」の侵害にあたるので藤田さんは無罪と明言し、社会全体に対する「委縮効果」に警鐘を鳴らしている。
ご存知のように、日本における表現の自由の権利は、憲法に保障されているにもかかわらず、「公共の福祉」というあいまいな理由による権利侵害が後を絶たず、人権委員会からも再三強い改善勧告を受けている。これまで日本の裁判所は批准した国際人権規約をほとんど無視してきたが、堀越事件高裁判決等に見られるように、最近やっと変化の兆しが表れている。上告して2年。今こそ、最高裁には自由権規約や人権条約における国際基準の解釈適用に関して、より具体的に理解してもらわなければならない。
そのためには、「フォルホーフ意見書」中の引用判例をできるだけ多く和訳・提出してしっかり裁判官に読んでもらおう、という弁護団方針がきまった。早速事務局メンバー2名と「応援する会」の会員3名の、元・現英語科教員5名が分担して和訳に取り組んだ。6月から7月の暑い最中、皆さん本当によく頑張ってくれた。もちろん、弁護団の先生方も私たちの粗訳を専門家の立場から添削し、正式な提出書類として完成させるために多大な労力と時間を費やすことになった。
和訳提出の内訳は、
国連人権委員会裁定として
①「Coleman 対オーストラリア」、
②「Marques deMorales 対アンゴラ」、
③「L. Svetik 対ベラルーシ」の3例、
欧州人権裁判所判例として
④「Harshman等対英国」、
⑤「Steel 等対英国」、及び⑥「S.Kuznetzov対ロシア」の3例、計6事例。
⑤は3つの異なる事件を扱っているが、6事例の中では唯一、「条約違反には当たらない」と判示されたケース2件を含んでいる。この事例により、どのような場合に表現の自由が制限されうるのか、その基準をかなり具体的に知ることができる。
最後のロシアの事例は、5月末に「フォルホーフ意見書」と同時に和訳を提出ずみであった。この判決文には、フォルホーフ教授も意見書の最後の締めくくりに引用したという、実に印象深い文章が含まれている。以前通信に同封されたビラ等でお読みになった方も多いと思うが、再度引用したい。
「集会や表現が暴力を鼓舞したり民主主義の原則を拒絶する場合を除いては、ある一定の考えや使われている言葉が当局にとってどんなに衝撃的で受け入れがたいものであっても、この自由への介入は民主主義を害するものであり、しばしば危険に陥れることさえある」
公権力に都合の悪い政治的意見表明に係る場合はとくに、どの国においても、ほんの些細な手続き違反や公共の秩序撹乱、または公人の名誉棄損などの口実で、当局が表現の自由を制限しようとする傾向が強い。上記事例からもそれはよくわかる。
しかし、そのような場合でも、最後まで諦めずに国際監視機関に訴え、民主的社会の最も重要な基盤の一つとされる表現の自由を確保しようと奮闘する人々と、それに応えようとする国際機関の存在がある。
藤田さんの呼びかけは、思想・良心の自由と教育の自由を守るための、表現の自由の権利行使であったことを、世界に向けて、最後まで主張していきたい。
注)自由権規約第19条(3)は、次の3つの条件のすべてが満たされた場合に、制約または制裁を許容している。
1.制約または制裁は法律により定めなければならない。
2.制約の目的は、他人の権利又は信用の尊重、国家的安全保障、社会秩序、公衆衛生、もしくは公衆道徳の保護のいずれかでなければならない。
3.制約または制裁は正当な目的の達成に必要なものでなければならない。
(上告趣意補充書(2)、p.9)
『藤田先生を応援する会通信』第44号(2010/11/10)より
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫
http://wind.ap.teacup.com/people/4635.html