最高裁は「表現そのものを処罰すること」の憲法適合性を判断せよ!
■□■ 11月2日(火)第7回最高裁要請行動を行いました ■□■
「オシドリ」 《撮影:佐久間市太郎(北海道白糠定、札幌南定、数学科教員)》
2010(平成22)年11月2日
最高裁判所 第一小法廷
櫻井 龍子 裁判長 殿
宮川 光治 裁判官 殿
金築 誠志 裁判官 殿
横田 尤孝 裁判官 殿
白木 勇 裁判官 殿
◎ 板橋高校卒業式事件について、口頭弁論を開いて、
公正な判断を示されれることを強く要請致します。
藤田先生を応援する会一同
板橋高校卒業式事件は、国旗国歌強制に対する生徒の意見表明権を黙殺し、元教員に刑事罰を科すことで、その後の学校現場での卒業式のあり方の議論に大きな萎縮効果を発揮することになった点で、民主主義社会における「表現の自由」をめぐる重大な事件です。
また、立件に当たっての証拠収集手続きにも重大な問題があり、原審までの裁判所の判断は、物的証拠とされたICレコーダを起こした記録からして、その証拠能力に対して強い疑いが生じていたにもかかわらず、その点について十分な吟味を行うことなく、また、卒業生、保護者、教員らの証言を全く無視する形で、有罪との判断を導いております。このような判断は、司法に対する国民の信頼を損なうものと言わざるを得ません。
以下において、本事件に対するこれまでの裁判所の判断の問題点等について、具体的に指摘させていただきます。
(1)「趣意書」、意見書、本人上申書、「要請行動」発言の検討・吟味を要求します。
報道によれば、「郵便不正事件」に関わって、大阪地検特捜部の主任検事が押収した証拠品のFDの内容を改竄した容疑で逮捕されました。その上司二人も逮捕され、最高検の取り調べを受けています。改ざんは「事件」を捏造し「被告」を有罪にする目的でなされました。このような日本の司法の根幹を揺るがす事態は「検察官個人の恣意」によるものにとどまるのでしょうか。もしも「検察のあり方」が生み出したものとすると、これまで検察の起訴の約99%を有罪としてきた裁判所のあり方も根底から問い直されなければならないものと考えます。
本件においても、「校長の許可」さえなく秘密裏に指導主事によって録音された「ICレコーダー」の内容において、異なった調書が作成されています。又、「事件」の発端になった都教委の「被害届」では「建造物侵入等」であったものが、検察の起訴状では「威力妨害」に変わっております。これは、藤田さんが「理由もなく騒いだ」ように見せる意図が感じられます。
この点からも、私たちは、最高裁が弁護団から提出された「趣意書」「趣意補充書」や、フォルホーフ教授の意見書、藤田さん本人の「上申書」、そして6回にわたる「要請行動」の発言内容などを徹底して検討・吟味されることをつよく望みます。
そして、最高裁が司法の良心にかけて、憲法を遵守する最高責任者として、公正・公平な判断を行い、藤田さんの無罪を確定されることを、つよく求めるものです。
(2)都教委―土屋都議―警察による「事件の合作」は許せません。
板橋高校卒業式が行われた2004年3月11日以降、警察による学校関係者への「執拗な」取り調べ等が行われました。
同時に、3月の都議会で、横山教育長(当時)は、土屋都議の質問に答える形で、藤田さんに対して法的措置を執る旨述べております。実際、藤田さんは、威力妨害罪で起訴され、有罪となっております。
何故、滞りなく終わった卒業式を「事件」に仕立てあげたのでしょうか。それは、板橋高校の卒業生が「国歌斉唱の発声」時、約9割の卒業生が起立しなかったことに、都教委は仰天し、それを「教員の教唆であると断定」し、他への影響を恐れたためとしか考えられません。
卒業生の不起立の真因は分からない。在校時代の校長や教頭への反発かも知れないし、「日の丸・君が代」強制への異議申し立てかも知れない。さらには、「見知らぬ」土屋都議が学校関係者をさしおいて、厳粛な式開始早々に「立ちなさい、立て」と大声を出し、カメラのシャッターを切るなどした不見識な行為への抗議であったかもしれません。しかし高校生は卒業生は自分でものを考え判断する主体的な青年なのです。
生徒の「意見表明権」を頭ごなしに否定した土屋都議の行為こそ、『子どもの権利条約』12条「意見表明権」違反であり、威力業務妨害罪に問われなければならないものでした。
ところが、教育に関与する都教委が、この冷厳な事実を見ようとせず、「大人の教唆による不起立」と考え、それ故に、前年の「10.23通達への反乱」と捉え、自らの権威の失墜を覆い隠し、続く卒業式への威嚇―萎縮を策したとしか考えられません。
(3)都立高校と教育の自主性を破壊する「日の丸・君が代」の強制
何故このような都教委の対応が行われたのか、都立高校の歴史と現状について若干述べて、裁判所に理解していただきたいと思います。
「10・23通達」の出た2003年ごろは、たしかにその数十年前の都立高校とはいささか趣を異にした状況もありました。全日制では「伝統校」「中堅校」「困難校」などと呼ばれる格差もありました。しかし、全日制・定時制を問わず、殆どの都立高校では、生徒の自主性が尊重され、職員会議を中心とした教職員の活発な議論があり、学校は総じて自由の気に満ちていました。卒業式も「最後の授業」として、生徒の意見を聞いて卒業学年担任団を中心に計画され、卒業生・保護者・教職員が一体となって、厳粛ななかにも晴れ晴れとした明るさのなかで、行われていました。
その姿を一変させたのが、「君が代・日の丸」強制、指導主事による教職員監視、「思想・良心の自由」にかかわる発言の禁止、さらには「生徒への起立強制」などの都教委の強制です。晴れやかな明るさは、荒涼たる沈黙に変質したのです。都教委は、石原知事の意を受け、権力を笠に着て、生徒・教職員そして学校の自由を奪っているのです。
これは教育ではありません。
(4)「表現の自由」「思想・良心の自由」そして「教育の自由」を深く考慮し、公平な判断を要請します。
原審は、「表現の自由」「思想・良心の自由」そして「教育の自由」を深く考慮することなく、校長の「管理権」「財産権」などを「業務」の一環として拡大解釈し、藤田さんの行為を「妨害する行為」として「単純化」しています。
しかし人権の世界標準は、「自由権」こそ固有で不可侵な権利であり、もしもそれを公権力が制約するには明白な立法措置が必要であるとしています。藤田さんのように穏やかな表現による呼びかけは制約の「緊急の社会的必要性」に到底該当しません。
さらに私たちは、欧州人権裁判所の次のような判決中の文言に注目しています。
「集会や表現が暴力を鼓舞したり民主主義の原則を拒絶する場合を除いては、ある一定の考えや使われている言葉が当局にとってどんなに衝撃的で受け入れがたいものであっても、この自由への介入は民主主義を害するものであり、しばしば危険に陥れることさえあることをくり返し述べる。」(欧州人権裁判所 セルゲイ・クズネツオフ対ロシア事件判決、2008年10月23日)
藤田さんの発言や行為は、もちろん「衝撃的でも受け入れがたいもの」ではありません。保護者への呼びかけは、「表現の自由」に基づき、保護者の「思想・良心の自由」を守ろうとする発言であり、その後の藤田さんの対応は、その自由を押し止めようとした校長・教頭などへの「表現の自由」を守るー民主主義の維持のための対応であることは明白です。
藤田さんの発言と行為を「威力妨害」とすることは、事実に違背するばかりでなく、「表現の自由」「民主主義の維持」の観点からも明確な誤りであると、私たちは考えます。
以上から、私たちは、最高裁判所が、真実を追究し、口頭弁論を開いて、公正な判断をされることをつよく要請いたします。
≪パワー・トゥ・ザ・ピープル!!
今、教育が民主主義が危ない!!
東京都の「藤田先生を応援する会有志」による、民主主義を守るためのHP≫