おっさんのライフサイズ(リターンズ)

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手のひらが世界中つながるウィンドゥ 指先で掴むのはどの未来?

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『サードプレイス』…最近、覚えたてほやほやの言葉(笑)。アメリカのレイ・オルデンバーグさんが約30年前に論じた、日常空間概念。家(ファーストプレイス)、職場(セカンドプレイス)から離れた、居心地の良い場所のこと。

 

コロナウイルスが蔓延、流行しだした3月以降、外へ出たり、仕事帰りに寄り道することは殆どなくなった。「そろそろいいかな…」とか思ったりはするけど、やっぱり怖いんで。まぁ今はどっちにしても仕事の日は、家と勤務先の往復に終始。

 

でも、数年前までは仕事帰り、タマにふらっと立ち寄る場所があった。小さな店構えで、一人で「ボーッ」としたり、気が向けばマスターとしゃべったり…それが気付けばストレス発散になり、日々の…それこそ当時の自分にとって、そこは大事な『サードプレイス』だった。

 

しかし3年前の秋に突然、予告なく閉店してしまった。「閉店」の張り紙の戸の前で偶然会った常連さん(名前も知らない)も困惑していて、店でもらった名刺に書かれていたマスターの携帯電話(初めて掛けた)も鳴らしてみたけど、繋がることはなかった。

 

自分にとって、『日常』の一部がなくなった。何とも言えない喪失感が襲った。

 

その当時の自分にとって、あの店の何が良かったんだろう…って、今回初めて客観的に考えているんだけど、閉店以来、そこで知り合った常連さんとは誰とも会っていない…というか、会話したことはあっても名前も知らないその方たちと、他の店でわざわざ会ってまで飲みたいとも思わない。もしマスターが別の場所で、同じような店を開いていたとしても、そこが自分に合うかどうか分からない。

 

あのいつもの場所(ホントにその場所はいつも、自分のためのように空いていた)に座って、自分勝手に微睡んだりしゃべったりしていたあの空間で、気持ちの整理や切り替えをし、安心しきっていたんだろう。今は懐古的な想いで振り返ることができるけど、当時の自分は職場環境が変わり、それもあって今ひとつ上手くいっていなかったから、その空間に、どこか依存していたんだろう…たぶん。

 

自分の思う『サードプレイス』っていうのは、誰かのためじゃなく、独りよがりでいいんじゃないかと思うし、誰もが持つべき空間だと思う。ひとまず自分にはここが(別次元ですが)、とっておきで最高の『サードプレイス』に…なるでしょう、きっと。

以前、gooブログにて同タイトルで10年近く、こそこそつらつら(そしてだらだらと)書いておりましたhttps://blog.goo.ne.jp/pwf1976 …最後の更新は3年半前ですが。

 

まぁそこで、面白かったことやしょーもないこと、嬉しかったことや哀しかったことを綴っておりました。今読み返せば…普遍的につまらなく、そしてびっくりするくらい青臭い文章で。

 

でも「あの頃の自分はこんな風に考えてたんだ」というのを思い出すと同時に、それなりに自分の『芯』っていうのが、どこか今の自分よりしっかりしていて。きっと今の自分より、心や色んな物事の整理が付いていたんだろうなぁ。今や40も半ば。

 

身の回りの環境も少しづつ変わっていった。あんなに小さかった子供も今や高校生と小学校高学年。両親も健在でどちらも元気だけど、徐々に年老いていて。そういや嫁の容姿は、それ程昔と変わらないなぁ。自分は…大病とかはしていないけど、色々あって二年前に転職しました。

 

きっと歳のせいなんだろう(と信じたい)けど、徐々に頭の回転が鈍くなり、元来ボキャブラリーが少ない自分が目に見えて苦労するようになってきたし、転職先でうまくいっていないわけではないんだけど、自分の中の『芯』をもう一度見つめ直すために。

 

また、日々のルーティーンから脱却するための『サードプレイス』って意味で、ここで物事の整理も兼ねて(どーせならページも変えて)、こそこそつらつら(だらだら)と。出来るものならやってみたい!って目標(それなりというか、かなり高い)もできたので。まずはその訓練も兼ねて等身大に、マイペースに。

 

…さて、何を書こう?