男を料理
「奥様ランチ」というタイトルのメールが、このところ毎日のように届く。
内容は、食事(?)の勧誘。よくわからないが、一万円分食べ放題キャンペーン実施中、なんだそうである。
幼妻、若妻、マダム他、無料アポ取り 食べ放題
とか、不気味なことが書いてある。
これはカニバリズムの同好会であろうか。こんな猟奇なもんがスパムになって世間にばらまかれているかと思うと、とてもじゃないが、娘をヨメに出したくなくなる。
そもそも、なにゆえ、「奥様」限定なのか。お菓子やアイスクリームなんかで、「有精卵のみ使用しております」というのをウリにしてるのがあるけど、それと似たようなもんで、未婚より既婚のほうが肉の味がいいとでもいうんだろうか。気色の悪い。
だいたい、「奥様」である私のところに、こんなもんを何十通も送ってきて、一体どういうつもりなのか。献体でもしろってか。おぞましい。
どうせ肉にするなら、人工的に若干余ってる男のほうをつかまえてきてたらいい。小学校の校門前で子供相手に痴漢するやつとか(こないだそういうのが横浜に出た)、電車や会社でセクハラするやつとか、誘拐魔とか通り魔とか、乳幼児虐待するやつとか(これは女にもいる)、ついでにこういうバカなスパムばらまくやつとか、二束三文で買い叩いて、ロリータ印の缶詰にでもしてネットで売りさばいたら、二重三重に世の中のためになるだろう。
必殺仕置き人ならぬ、必殺缶詰製造業。
だれかやりませんかね。
子供たちのおきにいり
うちの三人の子供たちには、それぞれ、お気に入りがある。
九歳になるいちばん上の子は、ビーニーベイビーズという、アメリカ製のぬいぐるみが大好きで、なかでも、「sheets the ghost」という、文字通りシーツをかぶったオバケの人形を、この数年、溺愛している。旅行に出るときも、入院するときにも、必ず持って行く。
どんなお人形か見たい方は、googleなど゛て「sheets the ghost」と検索してみてください。画像がたくさん出てくるはず。ビーニーベイビーズのファンは、世界中にたくさんいるらしくて、サイトを作って自分の家の子を披露している人も多い。もちろん、みなさん大人である。
もうすぐ八歳になる二番目の自閉症息子は、ピングーが一番のお気に入り。毎日ビデオを見て、絵本を見る。ぬいぐるみやフィギュアもたくさん持っている。なぜ好きなのか、どんなところが好きなのかは、言葉を話せないから聞くことができないけれど、どれぐらい好きかは見ていれば分かる。ほとんど魂の分身のような扱いだからである。
三番目の子は、まだ乳児だけれど、好みはちゃんとある。
それは、「おにいちゃんが持っているものなら、全部ほしい」という好みである。
当然、おにいちゃんにとっては、たいへん迷惑な好みであって、毎日のように、物の取り合いで大げんかになる。でも、七歳とゼロ歳の勝負は、たいてい、ゼロ歳の勝利に終わる。おにいちゃんは、赤ん坊と本気で戦うと自分が叱られてしまうから、結局我慢してあきらめるのであった。
子供を託したくない先生
「子供を託したい先生」を語るのは、むずかしい。
理想はどこまでも高く積み上げることができるけれど、出会いは狭く限られている。
学区が決められ、通いなさいと言われた学校があり、そこに勤務する先生方がいるわけだけれど、私たちにはそこから先生を選ぶことすらできない。「子供を託したい先生」のイメージが膨らめば膨らむほど、「現実の先生」と折り合いをつけて、なんとか子供をうまく育て上げなくてはならないという、現実的な意欲が減退する。
だから、「子供を託したくない先生」を語ることのほうが、ずっと、たやすい。
障害児の親という立場から、いくつか例を挙げてみる。
まず、最悪なのが、「子供を殺す(死なせる)かもしれない先生」である。これはもう、どうしようもない。死んだら、子供はもう育たないからである。
次に、「子供を傷つける先生」である。身体的な怪我のたぐいはもちろん、心にも、深いトラウマを子供に与えるような先生が、残念ながら社会には存在する。ただでさえハンディを背負っている子供に、さらに傷をつくられては、たまらない。
「子供を見損なう先生」にも、子供は託せない。
供のなかに芽生えている可能性に気づいても、どうせ障害があるからと、可能性を低く見積もって教育の努力を怠ったり、守られ庇護されるだけで終わる人生を押しつけようとする先生には、できれば先生という仕事をやめていただきたいと思う。
このように、「子供を託したくない先生」の条件を並べていくと、どんどん気持ちが暗くなってくるという弊害がある。実際には、上のような「ひどい」先生などそういるものではない。
現実の先生には、いろいろな資質の方がいる。我が子と相性のいい方もいれば、どうもそりが合わないという方もいるけれど、ほとんどの先生方は、試行錯誤しながらも、子供とともに学びながら暮らしておられるのだと思う。
障害児の親としての、私の仕事は、そうした先生方と信頼関係を結び合いながら、子供の将来を少しでも実りあるものにするために、協力して教育に当たることである。そういう親の気持ちを受け止めて、ともにがんばってくださる先生に出会えることが、なによりも望ましいことであると、今は思っている。
落ち込んでいる子にガンバレ・・・か
「がんばれ」っていう言葉は、難しい。
あまりにも疲れるか、傷つくかして、がんばる力が残ってない人に、「がんばれ」とは言えない。
「いまは休んで」と言いたくなる。
あるいは、黙って静かに話を聞いたり、そばにいるだけにしておきたとこともある。
落ち込んで、不登校になったりしている子のなかには、うつ病など、精神的な疾患の兆候が出ている場合もあるという。うつ病に「がんばれ」は禁句、というのは、教育の場では、どの程度理解されているのだろうと、心許ない気持ちになる。がんばれがんばれと、問答無用で追い込まれた結果、取り返しのつかない道を選ぶ子はいないのだろうか。
「がんばれ」を言う前に、その子の状況を、丁寧に把握したい。
育児でホラー・・・
こないだ、鈴木光司の「らせん」を読んだ。
「リング」を読まずに、いきなり続編の「らせん」から読んだのだけど、話が分からないようなことはなく、それなりに読めた。
作者は育児本も出している人だそうだけれど、お話のなかに出産・育児に関する濃密な描写が何度か出てきて、それがリアルであればあるほど、お話のグロテスクさが強調されるという関係になっているため、育児中の人が気晴らしに読むにはあまり向かない小説かもしれない。正直、私もちょっと、引きました。
出産ホラーというと、他に思い出すのは、「ローズマリーの赤ちゃん」という映画。おかしなカルトの連中に利用され、悪魔の赤ん坊を出産させられてしまう主婦の物語である。近年、「ローズマリーの息子」という続編小説が出版された。すさまじい話の展開と、「ここまで引っ張って、このオチかい」とツッコミたくなるようなラストが魅力の作品。映画化の話もあるらしいけれど、見たいような、見たくないような・・・。
かわいい
一番下の子は、生後六ヶ月。
とにかく、かわいい。
ただひたすら、かわいい。
ちかごろは、自我がどんどん育っていて、
好きなものとキライなものがはっきりしてきた。
おねえちゃん大好き。お兄ちゃんも好き。
おっぱいも大好き。
だっこも、はいはいもすき。
お父さんのくしゃみは、びっくりするから、嫌い。
お正月ごろには、かたことぐらい出ているだろうか。
自閉っ子のお兄ちゃんは、まだ言葉がでてないけど、
一緒に話せるようになると、いいな。
手相
よく、息子の手相を見る。
すごく、いい相をいっぱい持っている。
手相見見せたら、きっといいこといっぱい言われるんだろうと思う。
頭よさそうで、お金持ちになりそうで、出世しそうで・・・・。
見せたことないけど。
重度の自閉症の息子が、それ全部叶えたら、すごいんだけどな。
今日の自閉っ子
冬生まれの息子は暑いのに弱い。
クーラーのきいた部屋で、カーテン閉めて、照明も消して、お気に入りの長座布団の間にはさまって、大好きなビデオを眺めているのが、夏の息子の至福のひととき。
余計な温度や余計な光をシャットアウトすると、心地よくすごせるらしい。
人生、心地いいばかりじゃやっていけないけど、今日はたくさんお勉強もがんばったし、至福の時間がちょっと長めでも、まあいいかと思ってみている。
これから
家族で電車に乗って、旅行にいく。
自閉っ子の長男は、大の電車嫌いで、駅嫌い。ホームのアナウンスが苦手で、パニックを起こすのだ。
「これから旅行にいくよ。電車に、のるよ」
と教えたら、にこにこして、
「れんしゃ、のる」
と言っていたけど、意味がわかっていたかどうか。
新幹線に乗ってしまえば落ち着くから、親としては、それまでが勝負どころ。
今日の自閉っ子
台風がいっちゃって以来、お天気がとてもいいこともあり、我が家の自閉くんも、機嫌よく過ごせている。
けれども、疲れてくると、家中のカーテンを閉め切って、電気も消して、真っ暗にしようとする。
自閉の子には、強い視覚刺激の苦手な子が結構いる。いっぱい刺激をうけて、神経がピリピリになると、暗い、静かな環境をつくることで、安心しようとするのである。
外はまだカンカン照りだけれど、うちのリビングは薄暗がり。
それでもまだ暗さが足りないらしくて、頭から長座布団をかぶって、目をつむっている。
サングラスが使えると、ずいぶんラクになるのかもしれないけれど、皮膚感覚も過敏で、顔に触るものがあるのも苦手だから、メガネ関係はまだまだ無理。