聖書を読み始めて○ヶ月。 ようやく読み方がわかってきたという感じ

自分の感覚で読んでいればよいのかと思っていたけれど
そうでもないんだなぁ~と
聖書を「正しく」読む為には 信じる ことが大前提です。あたりまえか。。
「祈り」に対してもそう 祈るには 信じることが前提であると思う。
必ずそうなる と信じること が祈り。それがイメージできるくらい。
自己啓発等でもよくあるけれど 成功をイメージするとか
そのイメージはやはり必要なのだなぁと思う。
別に無理やりビジュアル化する必要はないけれど
本当に信じられれば それは可能なことだから。
目に見えないものは信じられない 実際にそこになければ信じられないのは
普通のことで
そこに対して 確信など持てるはずもないのだけど
信じる と決めることに意味があり、それだけに自分の意志が働けばよいのだなぁと なんとなくわかってきました。
信じる と決めたら、もうそれを続けるかやめるかを 迷う必要はないので
信じて継続していくために 必要なことだけを考えればいいのです。
悩む視点を ちゃんと認識できていれば横道にもそれないな~。
何を信じるのか なぜそれが必要なのか も大事だけど。
自分の欲 物質的にも精神的にも それを満たす為に動いていては
それが満たされることは永遠にないのだなぁ と思います。
何をやっても虚無感をおぼえるのは 自分の為に動いているから。
決める は 自分の意志で
その後は 自分の力で進むのではないということを 知ることなのかな。
自分をすてて 生きるとは 本当に背負うべきものとは~
批判をおそれずに 進めますように

