不平不満や文句は外に出したほうがいいと思う。
言ったり書いたりすると、何も解決していなくてもスッキリしたり心が晴れた感じになる。前向きになれる。
心に溜め込んでいるとマイナス思考になりがちだし嬉しい楽しいの感情が触れにくくなる。無表情になって自己肯定感が低くなる気がする。
不平不満や文句は外に出したほうがいい。
でも、今は外に吐き出すその方法が難しい。
私は母の愚痴を延々と聞かされることが多い。本人はスッキリしていいけど聞かされたこちらは嫌な気持ちになる。
それにその愚痴、私が誰かに話すかもって思わないの?といつも思う。
あと文句や批判をしまくる母の人格も嫌に思う。
……人に愚痴を話さなくなった。母に感じたような事を、話す誰かに私が思われるのは嫌だ。愚痴を話せるほど信頼関係のある人なのだ。それならこのご飯美味しいね、あれ楽しかったねって、その人とは楽しい話をしたい。
次は書くことについて。
このブログを書くのも精神衛生上良いと思っている。自分の思いを文字に起こすのは気持ちが整理される。目視する事で再認識したり別の視点に気付いたりできる。
でも、全ての本音は書けない。
身バレするかもしれない、旦那さんや娘が将来見る可能性もあるかもしれない、という意識のもと吐き出されたものだから。
私だと分かっても良い範囲の本音しかネット上には書けないのは仕方のないことだと思う。
……と、ここまで来て出た結論が今回のタイトルとなった思い。
誰かの愚痴を言いたくなったら、もう紙に書くしかないかもしれない。
本当に吐き出したいのはきっと、人には言えない見せられないもの。私のえげつない悪態暴言や自己中心的な思考かもしれない。私の中に起こる他の人から見たら私の醜い部分。
そういう感情や思考はあっていいと思う。人間だもの、あって当然。
今は知られたくないし、知られたあとのリスクも問題。
だから、誰にも目も耳にも触れられることのない紙に吐き出すしかないのかもしれないという結論。
防犯のテレビでやっていた。大事なIDやパスワードは結局紙に書いておくのが一番良いと。その紙を手にとって見ない限り知られることはないから、と。
知られてはいけないし知られたくない私の醜い部分。抱えきれなくなったら紙に吐き出そうと思う。
……と考えに至ったら次はその道具に関心が向きました。
最初に浮かんだのは、「鍵付きノート」。特別感があるし私しか見ることが出来ないから守りたいアレコレはクリアできそう。
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