松本・中居両氏について
女性が「体を弄ばれ、心を傷つけられた」場合、ほとんどが、内にこもって表面化せず、当人は日頃の生活から離れ自分を責め続ける、こんな毎日がいつ終わるともなく延々と続く。この状態を被害者や被害者の支援者は「性犯罪は『魂の●人』」と言い表している。
ここでよくわからないのだが、なぜ性加害にたいしても『魂の●人』という人がほとんどいないのか、不思議でしょうがない。
日本は犯罪の発生件数が少ない世界でもまれな国なのだが、実際は事件が起きても刑事告発できる権利の持ち主が告発することなく終わらせるため、カウントされる実際に告発された件数だけが犯罪としてとりあげられ捜査される。さらに悪質でないとか、厳罰の対象でない場合、検察官が起訴猶予処分にして裁判にせずにそれでおしまいのケースもあるし、性犯罪被害者は事件の状況説明をすることの苦痛に耐えられず告発をあきらめることを選ぶしかないので、さらに件数が少なくなるのだけれど、この件では性犯罪ではなく性加害なので犯罪者扱いできないところがややこしい。
被害者は性被害、これは「性暴力からの被害」を意味するので、加害者が「暴力ではない」とか「犯罪ではない」と言い張っても、被害の状態を『魂の●人』とたとえることに不都合はない気がする。
昭和が終わり、平成を過ぎて、令和になっても変わらないのは人の世の暮らしにくさなのか、年号も時代も変わったのだから、もっといろいろな声を挙げてもいいだろうと想う。
昭和の感覚からいえば、すべてではないにしても、非を認め、謝罪し、賠償金を支払ったことで、中井氏は「事件を見つめ、向き合っている」姿勢が見えるだけまだましなのだか、性被害者に対して民事裁判で訴え、「お前が迷惑をかけたのだから謝れば許してやる」と言いたげな立場をとった松本氏には、当の女性のみならす彼女に共感している多数の人たちからすれば、もう久利生公平案件ではなく中村主水案件になっているのではないかな。昭和生まれがそろいもそろってなにやってんだか。そろそろ年金と終活の心配しなけりゃならない年齢なのに。