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luca

子を産み育て
少しづつ仕事をし

子供との時間はかけがえなくて
それは例えるなら
産まれてはじめて恋をした相手に
湯水の様に湧いてくる愛しいという感情に溺れ
毎日がお花畑で過ごしている時の様な
一種盲目で中毒性のある感情。

油断して客観視出来なくなると
親バカという名札を
おでこに貼って歩いてるような状況で

そこには吸い込まれないようにと
必死にもがきしがみついているが
もはや、ストッパーは外れかけている。

これは人生のご褒美なのだと
子供とのかけがえのない時間を
噛み締めている。

子供というのはそれほど
幸せを与えてくれる存在なのだ。


仕事をする事と子供への愛情を
比較する人が時々いるが
それは全く別の話しなのだと思う。

三つ子の魂100歳までとか
出産の痛みを堪えてこそ母親の資格とか

一世代前の母親像は
母親に対しての
責任や要望が大き過ぎた。

それは古き良き時代の
男性は外で働き、女性は家庭を支える
という時代背景の名残りなんだと思う。

その頃から
がらりと時代は変わった。

女性の社会進出や
道具の進化
家事の時間は短縮され
育児をサポートする
施設やサービスがうまれた。

昔ながらのレッテルに縛られていたり
育児をしながら働く事の
理解や体制が不十分な事で
働けなくなるケースや
自我を必要以上に抑制し
全ては子の為と
子供一色になり
自分の人生を諦めてしまう母親
様々なケースがあるが

母親はもっと自由に
自分の人生を謳歌することは
決して悪いことではないと思う。

むしろ、子供を持つことで見える新しい世界や
自分の価値観の変化を楽しみつつ
今まで大切にしてたものは
これからも変わらず大切にしてゆきたいと思う。

子供の色と
自分の色と
掛け合わせて楽しめたらいいなと思う。



luca
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田舎にいると
止まってしまったような時間の流れの中で
物足りなさや苛立ちや空虚感を含め
あるものを脚色する事なくそのままで感じている。

都会にいると
沢山の人や情報がある中で
自分達が存在出来る場所にしがみついて
必死に色をつけ名前をつけて
根を張ろうともがいている。

そのどちらが良いとか悪いとか言う訳でもなく
その両方を行き来しながら
離れて見たり近づいて見たりしながら
それぞれの良さを有り難く感じれる距離感が
今の私たちにはよいように思う。




luca

主人の実家のある山形に帰ると
お義母さんは、はりきって
料理を振舞ってくれる。

お寿司にカニに郷土料理
作っては洗い物して拭いて片付けて
ひと段落したかと思えば
お茶入れてお茶菓子を出して
フルーツを切って

美味しいケーキがあるから
食べさせたいのって

夏にとれた野菜もサクランボも
食べさせたくて、冷凍しておいたの

前に来た時美味しいって言ってたから
用意しといたの

早朝起きて
机に乗りきれないほどの朝ごはんを作って
机に乗りきれないほどの昼ご飯を作って
机に乗りきらないほどの夜ご飯を作って

お風呂上がりには
私の髪までドライヤーで乾かしてくれる

こんなにも濃縮された愛情表情は
自分の親にもしてもらった覚えはないし
これだけの気持ちに私は応えられないし
そんな事をしてもらえる程の人間でもないから
して貰えばもらうほど苦しくもなる

孫を連れて帰れば
オムツからお風呂用の椅子、
赤ちゃん用の洗剤、石鹸
ボディソープに、ご飯用の椅子、
お皿、スプーン、哺乳瓶の洗剤、

たった2泊3日の滞在の為に
なにからなにまで用意して

私やるんで座ってて下さいと言っても
皆んなが帰ってからいつも
あれも食べさせてやりたかった
これもしてやりたかったって思うから
ひとつでも多くしてあげたいんだとか

全部用意するんで
何も買わなくて大丈夫ですと言っても
準備しながら思うのも楽しいからとか

お義母さん大変だから
来年は旅館でゆっくりしましょうと言っても
田舎のおばさんだから
そんなのは性に合わないんだとか

2日目、帰り間際に作る最後の夕食
献立は山形の郷土料理の芋煮と餃子
一見ミスマッチなこの2つは
主人の1番の好物だった。

お義母さんは主人がまだ小さい頃
この大好物の餃子を
ひとつひとつ手作りしては
夕食にお弁当にもたせていたそうだ
餃子なんて面倒で手間のかかる料理なのに

私は生涯かけても
お義母さん以上に主人を愛する事は出来ないと思う。
真似しようと思っても到底叶わない。

帰りの準備をする頃
お母さんは口数も減って行き
洗い物をしようと台所に立つ私に
皆んなが帰ってから
やる事が無かったら
静かになった家に耐えられないから
置いておいてと静かに言った。

駅の改札まで見送ってくれる時
孫を自分のコートに包んで
寒くない場所までと駅の待合室まで
抱っこするお義母さんは
どこか必死になっていて
孫を守るように抱えこんでいた

私に孫を渡すと
あったかこくして寝ろよと言って
手を振りそそくさと帰って行った

お義母さんの背中を見送りながら
振り返るのを待った
結局1度も振り返らなかった


泣いていたんだと思う。


母と子、家族の絆。
考えさせられた。


明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。







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luca

キッズルームのあるワーキングスペースで働いて
1か月がたとうとしている。

キッズルームのあるワーキングスペースというのは、
私の様なフリーランサーや起業家の人が
オフィスをシェアしながら
保育士の方が在住している
防音されたガラスごしのキッズルームに
子供を預けながら仕事が出来るという施設だ。
更にはキッズルーム内にあるデスクに
パソコンを置いて仕事をする事も出来る。

この1ヶ月の間様々な事を思いながら過ごした。
キッズルームに通う事によって
日々が充実し精神的な余裕が出来てきたのも事実だった。

何よりもありがたいのは
11:00~16:00の5時間
仕事に集中出来る時間が確保出来るように
なったという事だ。

家で仕事をしながら育児をしていると
確実な時間はなかなか作りづらく
少し作業しては、手を止め
御飯をあげたり、オムツ替えをしたり、
あやしたり、抱っこしたり…
集中すればすぐに終わる仕事も
無駄に時間がかかって非常に効率が悪い。

でもキッズルームに行くと
保育士の方は1日2度のお昼寝を抱っこして
寝かしつけまでしてくださるし、
オムツ替えもしてくれて、
離乳食をあげるのも手伝ってくださる。

さらには絵本の読み聞かせや、
お歌を歌ってくれたり
手形や足型で工作も作って頂いて
ハロウィンパーティーやクリスマス会などの
行事もいろいろと企画してくださる。

はじめて行った日大泣きした娘は、
2日目からはケロリと泣き止み
3日目にはすっかり慣れていた。
適応力が高いのは母親譲りかもしれない。

ずり這いしか出来なかった娘は
お友達に影響されてか
気づけばハイハイをし、
つかまり立ちが出来るようになり、
今ではつたい歩きまでするようになった。

何よりキッズルームにいる間は
先生や、おもちゃや、お友達に夢中で
娘の楽しそうにしている姿が一番の励みになった。

地元の友達や専業主婦の友達
ほとんどは子供の為にと育児に専念している。
そんな中で子育てをしながら仕事をするのは
本当にこれで良いのかなと
毎日、自問自答の繰り返しだけど

こういった施設が近くにある事で
もしかしたら育児と仕事を
よいバランスで両立出来るのではないかと
思えるようになった。

またここの施設を利用しているママさんや
保育士さんや社員さんは
働くお母さんを応援してくれる。
女性の起業や社会進出の必要性に
同じ価値観を持ってくれているというのが
本当にありがたいと思った。

仕事のベストと育児のベストは交われない。
どちらも手間暇かければかけるほど良くなる事だから
でも時間には限りがある1日は24時間しかない。
だとしたら、どちらも
70点くらいを目指せばいいのだと思う。

様々な意見があるだろう
でも愛情の注ぎ方にも様々な形がある
前例のない事だから不安になる事もある
娘の変化や様子をしっかりと観察しながら
その都度、我が家は我が家なりの
よい形を見つけて行けばいいのだと思った。
luca


ある日、エルゴで子供を抱っこして
外苑前で打ち合わせに向かい
その後、徒歩で表参道まで歩き
得意先に挨拶に行き、
ヒルズでオムツ替え授乳をして
さらに徒歩で原宿まで行って
店舗調査をして代々木まで山手線に乗った。

ちょっと打ち合わせにと出かけたわりには
いろいろと寄り道をしてしまい
想定していた時間を大分上回ってしまった。

家の近くまで帰ってきたころで
夕立にあったのだ。

強い嵐に雷。
流石にこのまま歩くとは出来ず
近くのコンビニで雨宿りをした。

しばらくしても雨は止まず
濡れた服をきて
このまま子供を抱き続け
いつ止むか分からない雨を待ち続けるか
あと、数百メートルまでの道を
濡れながら強行突破するかしばらく考えた。

日も暮れだし
雨も強まり
心細くなり

早く家に帰って安心したい。
そう思った。

少し強引だと思ったが、
嵐の中で傘をさして
強行突破することにした。

少しでも子供が濡れないようにと
気にかけながらも

私が寄り道をしてしまったが為に
こんな嵐の中で
長い間抱っこ紐にくくられ
子供に可哀想な事をしたと
申し訳ない気持ちになった。

抱っこ紐の中の子供を恐る恐る見ると。
私と目が合うや否や
ニコニコ笑ってるではないか。


部屋につき子供を安全な場所に寝かせ
私は濡れた髪を乾かす為に
タオルをとりに洗面所へ
すると子供は大きな声で鳴きだした。


あんな嵐の中でも母親に抱かれていると
安心してニコニコ笑い
家の中でも、姿が見えなくなると
不安で泣きだす。

母と子の関係について
改めて考えさせられる出来事となった。


乳飲み子と言われる0歳児
二、三時間に1度は授乳を必要とする時期。
母と子は、子供の生存維持の為ににも
ひとときも離れず一緒にいる必要がある。

そこはとても動物的で昔と変わらず
子供は生きる為に本能的に
母親を必要としている。

女性の社会進出が必要とさせる社会でも
母子が離れる事は本来は自然の摂理に反して
不自然な事なのだと思う。

仕事には変わりがある。
しかし子供にとっての母親は
ひとりしかいないのだ。

それを踏まえた上でも

労働人口の減少により
女性の社会進出は今以上に必要となってゆくだろうし
優秀な人ほど責務についており
その人の変わりはいない。

その為、保育を頼まざるおえない
状況になる事は止められない。 

私は自営で仕事しているので
出産、育児に対して自己責任の上で
判断する部分がある
育児休暇も無ければ
保育園の利用に関しての優先度は低い
民間の保育施設を
認可保育園の何倍もの金額で
自己負担の上利用せざるおえない。

だから余計に思うのが、
本来家庭で見るべき保育を
税金で運用される保育園で
補助してもっているという意識は持っていたい。
保育してもらう事が当たり前ではない。


子供は未来の希望であり
国の財産なので、
全てを自己責任として
家庭や女性に押し付けるだけでもなく
社会全体で助け合う事が必要なのだと思う。


だからこそ、どんな状況でも、どんな家庭でも
1人でも多くの命が育めるよう
子供に対して寛容な社会になる事を願っている。