首里の火柱 素朴な疑問

1.火災原因は不明?
 溶けた電線以外に、報道されたイベント出演者のタバコのポイ捨てや、延長コードのだらしない管理などきちんと検証されたのだろうか?
2.スプリンクラーはなぜなかったのか?
3. 誰も責任を取らないのか?
国・県・美ゅら島財団それぞれの責任は不問ですか?
多数のずさんな管理実態を指摘されている美ゅら島財団は契約を解除されないのか?
4.なぜ未だに国営?
2012年、復帰40周年記念式典で時の首相が首里城を沖縄に返すと約束した。あの約束はどうなっているのか?
5.国は再建に向けていつに無くスピーディーだ。
この積極性は何?何か下心があるのではないか?
6.ヤマトに持っていかれている多くの本物の文化財は首里城の魂だ。取り戻す必要があるのではないか?
7.沖縄の宝なら自力で再建するほうがいいのでは?
8.自力再建で無いならばたくさん集まっている寄付は何に使われるのか?
9.
10.与那原と那覇の大綱が切れ、首里城が焼け落ちた。これは何の印?
















首里城の炎上については先日、火災原因はわからなかったと発表され、管理責任もはっきりと追及されていない中で、再建についてだけは既に国と県との役割分担や予算付けなどについてまでも話が進んでいる。
国の所有のままに、国の責任において再建をするべきという声や、県がイニシアチブを持つべきという声、所有権を県に移すべきだとする声などさまざまな意見があるが、共通しているのは首里城が今現在は国の所有であるという現状認識だろう。
私はこれに強い違和感を覚える。
なぜ、首里城は今も国の所有のままなのだろう?
復帰40年の記念式典で、首里城の所有権は沖縄県に移すと、時の首相が約束したはずではなかったか?あの約束はいったいどうなったのか?

2012年5月15日、宜野湾市のコンベンションセンターで行われた沖縄の復帰40年の記念式典において、旧民主党政権の野田首相は式辞の中で「首里城は平成30年を目途に沖縄県に移譲します」と語った。首里城の所有権を沖縄へ移すこと、沖縄側から見れば「返還」を、県民に対して公の場で約束したのだ。
ところが実際には首里城の所有権は未だに国のものである。新聞などを調べてみても、首相の約束した2018年(H30)までに首里城の所有権を沖縄に移すという話は一つも出てこない。出てくるのは2019年2月に「首里城の管理権を沖縄県に移管した」という話だけだ。いったいどうなっているのか?
「首里城を沖縄県に委譲」と「首里城の管理権を沖縄県に移管」とは似ているようだが意味はまったく違う。「管理権の移管」は、所有権は国が持ったままその管理だけを県に任せるという話だが、「委譲」は所有権など根本的な権利を移すことを言う。
この発言が出てきた経緯から考えても、野田首相の発言は、所有権を沖縄に移すという意味で間違いないと思われる。
野田首相のこの約束は、当時の民主党沖縄県連(喜納昌吉代表)の働きかけにより実現したものだ。当時政府は復帰40年記念式典を行うに当たり、沖縄への適当な“手土産”が見つからなくて頭を悩ませていたという。沖縄のアイデンティティーの問題として首里城のさまざまな課題に取り組んでいた喜納代表と沖縄県連はこの機会を見逃さなかった。旧民主党の全国幹事長会議の席で、首里城の沖縄への返還を提案し、それが受け入れられたのだった。
こうして復帰40周年の沖縄への手土産として首里城の委譲が決まった。首相の中でそれは当然所有権の移転の意味だっただろう。
その後、民主党から自民党へと政権は変わっているが、首相の約束は党が行ったものではなく、政府が行ったものだ。政権与党が変わろうとも、国の約束は変わらない。はずだ。
「委譲」の約束はどうなったのか?
いつの間にか「管理権の移管」にすりかえられてしまったのだろうか?
これについては何の情報も新聞紙面には見当たらない。なぞである。
不思議なのは、県も議会もマスコミも国会議員も国に対してなんらの異議の声もあげていないことだ。国と県はもしかしたら共同して「委譲」を「移管」へとすり替えたのではないかとすら、勘ぐりたくなる。
また、残念ながらこれについて県民の関心も高いとはいえない。野田首相の約束をすっかり忘れている方も多いのではないか?

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今回、首里城の炎上が県民に与えたショックは大きかった。新聞紙上などでも改めて首里城の大切さを思い、沖縄の宝であり、アイデンティティーの拠り所だとする声が多かった。驚異的な速さで再建の為の寄付金も集まっている。
これらの事は首里城を大切に思う沖縄県民の素直な心情が表れているのだろうと思う。だがその一方で、野田首相の約束に対する関心の低さを見ると複雑な思いにとらわれる。もし首里城が沖縄の宝だと思うのであれば、その所有権はとても重要であり、おろそかに考えない方がいいのではないかと思うからだ。
おそらくヤマトは、首里城の所有権を沖縄に返したくないと考えていると思う。私はヤマトンチューなので、ヤマトの人たちの考え方は良くわかっているつもりだ。
多くのウチナンチューの心の拠り所である首里城を手の内に押さえておくことは、沖縄の支配のためには何かと都合が良と考えているに違いない。
今回火災にあたり、国はとてもてきぱきと再建へ向けての段取りを組み、進んで国が責任を持って再建すると発表し、予算の算段までしている。手回しが良すぎる。国のこれまでの沖縄に対するヒジュルーな対応を考えると、今回はしっかりと沖縄県民の気持ちに寄り添ったのだ、とはとても思えない。国は沖縄に寄り添ったりなどしたことはなかった。今度だけ特別なわけはない。手回しが良いのには、なにか他の目的があってのことだろうと考える方が自然だ。
その意味から見ると、今度の火災が原因で沖縄の人々の首里城への思いに火が付き、返せと言い出すことを恐れているのではないかと考えた方が、この手際のよさへの納得がいくのではないだろうか。やはり国は首里城を返したくないようだ。

しかし、たとえ国が首里城を沖縄に返したくないとしても、沖縄側から考えると、今回の火災を機に、委譲を求めるよいという選択肢は検討されてよいはずだ。
首里城の建物は燃えてしまった。
だが燃えたのは、世界遺産の指定からも外れている近年の復元によるレプリカの部分だけだ。世界遺産首里城の価値は少しも毀損していない。現代人が手を入れた部分はすっかり失われてしまったが、純粋に文化財の部分は丸々残っているのだ。
国の再建による首里城が消えた今、残った土地と城郭は、より取り戻しやすい状態でそこにあるといえよう。
もともと首里市が所有していた首里城敷地は、米軍統治時代に琉球大学を建てるために米国に寄贈された。沖縄が返還されたとき琉大は国立大として日本政府に引き継がれ、それと一緒に首里城の敷地も国の所有となった。しかし、琉大が西原に移転し、その跡地に国が建てた再建の首里城も焼け落ちた今、この敷地を国が所有し続ける理由は何もないはずだ。
沖縄がこの敷地を自らの手に取り戻したいと考えるならば、むしろ今がチャンスというべきだろう。
野田首相は返すと約束していたのだし、知事や県議会や県出身の議員たちが、約束どおり返してほしいと申し出れば、国はなかなかNOとは言えないのではないだろうか?
知事をはじめ沖縄の政治家の誰一人としてその声を上げないのは、私にはまったく不思議に思える。

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旧民主党時代の喜納昌吉と県連の花城正樹県議(当時)や上里直司現那覇市議たちは、国に首里城を帰してくれといって交渉し、実際にその約束を取り付けた。これは、沖縄のあらゆる時代の政治家を通じて唯一の出来事といえよう。
彼らの首里城への思いは強く、その主張には耳を傾けるべきものがあると感じる。
上里は首里城が水のネットワークを張り巡らせた精妙な設計であることに気がつき、現在は各所で傷付き破壊されている水脈の復元に取り組んでいる。
喜納は首里城についてさまざまな発言をしている。
本来正面を向いているはずの大龍柱が向き合って置かれているのはおかしいと喜納は言う。確かに寺の仁王にしろシーサーにしろ日本の神社の狛犬にしろ、門前に置かれる守り神たちが向き合って配置されたためしは世界のどこにも見当たらずとても奇妙だ。喜納によれば、これでは外からやってくる邪から守るためではなく、ウチナンチュ同士がいがみ合いぶつかり合うように仕掛けられている呪いのようだという。
喜納はまた、建物の復元も価値のあることだが、本当に大切なのは奪われ、あるいは散逸した首里城関連の本物の文化財を取り戻すことだという。たとえば1609年に薩摩に侵攻され、江戸まで連れ去られた尚寧王が、信仰の厚かった熊野権現の護符の裏に書かされた「起請文」は、現在国宝として、そのほかの島津家由来の史料郡とともに東京大学に保管されている。起請文は子孫代々にわたり二度と薩摩には逆らいませんという神様への誓いの文書だ。これに署名することを拒否した謝名親方が処刑されたことは広く知られている。沖縄の歴史の転換点を記す史料であり、いわば琉球の宗教的封でもある起請文が国宝としてヤマトにおかれていることは、未だにこの封印が解けないことをも意味しているのではないか。ぜひ沖縄に取り戻すべきだろう。
首里城の炎上はショッキングな災いだったが、沖縄の聖地の一つであるだけに、単に災害として捕らえるだけでは無く、さまざまな示唆を汲み取ることが出来ると感じる。これを首里城のあり方を見つめなおす機会とするならば、福に転じることも出来よう。
そのような思いをこめて、首里の火柱を前に喜納が詠んだ琉歌で本稿を締めたい。


首里ぬ火柱や 誰が為に泣ちゅが
道知らん民ぬ 道ぬ明し

首里ぬ火柱や 国玉ぬ記し
泣くな琉球  神ぬ情

首里ぬ火柱や 花ぬあけもどろ
えけニラー大主 御恩上ぎら

首里ぬ火柱や  夜明けぬ鳥声
東がり大主ん  福ぬ涙

首里ぬ火柱や  龍宮ぬ御聖霊
火ぬ鳥二羽   舞うえ見もん

首里ぬ火柱や  天ぬ中柱
東西御神    共に立つさ

首里ぬ火柱や  伊敷浜ビジュル
天庭竜宮    ニライカナイ