夕方?夜にブログ書いて、気持ち切り替える為にお風呂入って、旦那帰宅してから家族でスーパー行き、帰ってきて食べて、寝室来るまでは良かった。
まだ低飛行ながらも落ち着いてた。
でも寝室来て、2人は先に寝てしまい、私だけいつも通り眠れなくて、また沈んできて、何か、生きるのがしんどくなってしまった。
だから、またブログを書くことにした。
私は元々明るい性格で、面白いこと大好きだった。
小学5.6年の時は仲良かった友達と学校からの帰り道、面白いこと言い合って笑い合ってた。
天然ってよく言われてた。
中学の時はバレー部で、1年生の時、ただボール拾い頑張ってただけなのに、同級生から、先輩に媚び売ってると言われ、仲間外れにされイジメを受けるようになった。
イジメのリーダー(バレー部の同級生のリーダー)と廊下ですれ違うと、きっしょ てよく言われてた。
我慢してた。
先輩の前では、仲がいいふりをしてきて、嫌だった。
顧問の先生(当時私が1年生の時、クラス担任だった先生)に泣きながら助けを求めたが、翌日、
お前ら仲良くせなあかんぞ、
と1年生女子バレー部全体に言われ、バレー部の同級生のリーダー始め、イジメをしてきた子らに
チクったやろ、何でチクるん、私ら睨んだり意地悪してへんのに
って凍ったペットボトルを地面にバンバン叩きつけながら、睨みながら言われ、余計エスカレートして、先生のことが信じられなくなった。
部活の帰り道も、当時で言うと、はみご(仲間外れ)にされたり、鞄持ちをしたり、親にチクってないか様子をみてきてとリーダーに言われた子が私の後を隠れて追いかけられたりする日もあった。
高校は進学校。
勉強は大変だったが、私は水泳部でイジメもなく、男女共に仲が良く、楽しかった。
水泳部では泳ぐだけじゃなく、プールサイドで音楽かけながら皆でお菓子食べながら喋ったり、冬も男女で走ったりしていた。
短大もそれなりに楽しかった。
仕事は20歳から保育士してて、22か23歳から29歳まで、保育士しながらも地域の青年団に入ってボランティア活動していた。(主に、子どもや、家族向けのボランティア活動)
NHKの取材が2回入り、私や仲間が活動しているところがTVで映ったり、翌年には違う活動で新聞に載ったりもしていた。
自分の地域(市)だけじゃなく、県の青年団で計画し、大きな婚活パーティーも数回開いたこともあった。
婚活パーティに参加され結ばれた方で、後に、結婚された方もいた。
青年団に入ってる仲間は皆社会人だから、集まる時間も19:00とか19:30からで、話し合いや作り物で毎日疲れていたが、イベントに参加してくれた子どもたちの笑顔、保護者の笑顔、婚活パーティで楽しんでくれてる方々の姿を見てこちらまで幸せな気持ちになったり、日々夜中遅くまで仲間と頑張ってきた甲斐があった。
青年団の仲間で何回もBBQ行ったり、夜中までカラオケしたり、楽しかった。
その時は病気になってなかったし、誰から話しかけられても楽しい会話できてフレンドリーな感じだったと思う。
保育の仕事も、サービス残業して遅くまで書類したり作り物したりしていた。
勿論、休日も、頭痛のある日は寝ていたけど、夜遅くから頑張ったり、朝早くに起きて頑張ったりする日もあった。
で、30歳手前で仕事の人間関係で病んでしまい、園長先生から心療内科を勧められて、病院行ったら初めてうつ病と告げられた。
産休前には仕事頑張りすぎて、保育室入ろうとすると涙が止まらなくなり、産婦人科の先生から、うちではなく心療内科行った方がいいと言われ、また心療内科行ったら、主治医から、薬は今は飲めないからとドクターストップが出て、産休前から休むことになり、園の先生方に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
育休中も、体調に波があり、子育てに自信がなくなり、泣いてしまって何もできない日もあった。
病気になってから今まで、保育の仕事中は元気に明るく、他の先生とも上手く連携とって、笑顔で、時には笑い合って楽しく頑張れる日もあったが、朝から沈んでて泣いてしまったりとダメな日もあった。
秋、年末からは暗い話が多いけど。
これが今までの私。
最初はうつ病と診断されてたけど、躁鬱だったから、波があるのは仕方ないのかな。。
ブログ書いてたら、落ち着いてきました。
長くなってすみません。
読んでくださりありがとうございました。
おやすみなさい。