語録92
Jは言った。「探し求めなさい、そうすれば見出すだろう。しかし、過去において、わたしはあなたがたが尋ねたことを教えなかった。いま、あなたがたに教えようと思うが、しかしあなたがたは探し求めていない」
J said, “Seek and you will find. In the past, however, I did not tell you the things about which you asked me then. Now I am willing to tell them, but you are not seeking them.”
この言葉は、ほとんど禅の公案の性質を持っている。それは、コースで馴染みのあるいくつかの教えを謎めいた仕方で示しており、見出ださないことが保障された自我の探求(外側の)と、見出だすことを私たちに約束する、イエスが命じる探求(内側の)とを対照している。そして、私たちが、いったん、疑問を答えへと持ち込むならば (T-27.Ⅳ.7.5)、探し求めるものは他に何もない。
これはまた、面白い仕方で、私たちは本当はイエスが言うべきことに耳を傾けるのを恐れている、という考えも表している。それは、彼が私たちの招くときだけやって来る、というコースにおける彼の主張に密接に関連している。
またこのことは、真の祈りはいつも聞き届けられているが、私たちが葛藤を抱くかぎり、唯一私たちの要求を叶えることのできる愛を妨げ続けている、という言葉でも表現されている。
(野口博和訳)