PM 12:11
『ひぃ!(毎日一通ずつくるのかなと突然の供給に驚きと喜びとロスを想像してビビりながら)』

PM 12:14
『あさがくるたびきみのことおもう
(本当)
(きみと書いて推しの名前)』

PM 12:16
『えっこれえっえっチョクメごはん食べてからがいい?
もう読んじゃったほうがいい?』

PM 12:16
『読む!』

スマホのメモから抜粋しました。
チョクメを詳らかにできないゆえ私の気持ちをどんどんさらしていくコトになってしまった。

しばらく思い出のおすそ分けをしてもらえるけれど、終わったら終わったでロスがすごそう……。
思い出の共有は嬉しい。

嬉しいのだけれど、共感できないところがおおいんだ。


たぶん私、推しと同じ方角を向いて生きてないんだよなあ。
心が触れ合ったとかそういう錯覚すらない。
平行的でぜったいに交わらない線みたいだ。

少しでも心理的に寄り添えれば推しと喜怒哀楽をともにできる。
でも、寄り添おうとすればするほど推しの思考や心情がわからなくなって、心が遠ざかる。
焦ったし、哀しくもある。
1か月間、ここだけが辛かった。

たぶん、個々の価値観の違いとはまた別のベクトルで、生まれついたテンポとか大人になるまでの環境で、享受しようとするものが根本から違ってて。

うーん、何にたとえればいいんだろうか。
推しはコップの水がすぐに満たされるけれど、私はコップの底をどうやって塞ごうか考えてる感じかな?