最後の更新から一年、色々ありました。
小林亜実さんの舞台は公演の度に遠征してました。
48Gの握手会などのイベントは参加回数が減少しつつもまあそこそこに行っては楽しんでました。
先日、17日のインテックス大阪のサイン会。ずいぶん久しぶりでとっても楽しかったです。
ドルヲタライフを楽しむもう一方、個人的な事情でも色々変化がありました。
●パートナーができた
あ、この歳でようやく久々の春です。お相手とは毎日楽しく過ごしています。
いつになるかわからないけれど、このままゴールインしたいと思います。
ノロケ話はTwitter上でぼちぼち展開しているので見守ったり爆ぜろとか思っててください(笑)
●父
今回はこちらについて書いていきます。
先日7月25日未明(午前2時頃)、約2年半に渡る闘病生活の末、安らかに息を引き取りました。
享年63歳。
死に至らしめた癌が発見されたのが2年前の2月。しっかり覚えています。
唯一無二の神推しと言わしめたアイドル・松本梨奈さんが卒業を発表してから数日後で、当時、ファンたちの心を大きく揺さぶった大イベント 【AKBグループ大組閣】が行われているまっただ中のことでした。
仕事から帰宅後、病院へ呼び出され詳しいことを聞いていました。
当時は担当医の方より「持って2年」と宣告を受けました。
それから数週間は入院し、軽くなったところで退院。それから2年近く、いつもと変わらず、食事をして、仕事に行って、休日は母とドライブして・・・と病気を患う前と変わらない生活を送っていました。定期的に検診を受けつつも普通の人と変わらない生活を送っていました。
病気が嘘だったかのような日々。
そんな中、今年の2月の検診で医師より病気の進行状況と余命をきいたそうです。
「半年、夏までもつかどうか・・・」
父は延命を望むタイプではなかったので告知を受けてから数日後、投与していた抗がん剤を止めました。
抗がん剤の影響で止まっていた頭髪が生えてきて安心(生前、本人は髪がないことを気にしていた)
4月で一旦退職。以後は非常勤という形で週に3回ペースで出勤していました。
ただ抗がん剤を止めた影響で癌の進行も早くなり、元気ではあるものの、身体が細くなり、日に日に弱っていくのが見てとれました。
(具体的な症状の説明は長くなりすぎるので省きますが)最終的に悩んだのが「腹水を抜くのかどうか」
腹水の影響で食欲がなく、腹も膨らんでしまっていて苦しそう。
この腹水は抜くことも可能で、抜けば体も楽になるし食欲も沸く。
しかし腹水に含まれている体力・栄養素も抜けるというデメリットも発生するという二択。
最終的には抜くことを決意。抜いたことで食欲も沸いて好きなものもたくさん食べられたし、体が軽くなって動きやすくもなりました。
6月、父の日。パートナーの強い勧めで日頃の感謝の気持ちを書けとメッセージカードを渡されて書いて父のデスクにそっと置いた数日後のことでした。
熱が下がらず、入院で点滴生活。熱が下がって退院するも家で横になっている毎日。
入退院を繰り返すことになり、「緩和病棟」に入ろうという話になりました。
日中は病院で過ごして体調がいいときは数日だけ外泊して自宅で過ごすようにしようか・・・
8月、乗り切れればいいね。なんて家族で話をしている矢先に容態が急変。
7月24日、こちらからの声にうなずくことはできても話はできなくなり、寝てる時間の方が多くなりました。時にうわごとを発したりうなされたり、痛みでうなったり・・・
最後は痛み止めの睡眠導入剤を少量ずつ投与してあとは・・・という形をとり、
翌25日2時頃、眠るように逝きました。苦痛の顔はありませんでした。本当に眠っているような顔でした。
一週間前はみんなで普通にテーブルを囲んでてテレビ番組「プレバト」に出ている篠田麻里子さんを観て「あれ、元AKBか?」なんて訊かれたし、本当普通に過ごしてたのにね。
考え方も違ったりずれてたりしてイラッとすることもあったけれど
私のやることに真っ向から非難することもなく、むしろ何も言わずに見守ってくれた父
父親と呼ぶことができる、父親らしいことたくさんしてくれましたね。
6、7年前、栄の病院帰りにめまいを起こして倒れた事がありました。意識ははっきりしてないけれど、その時人目をきにすることなく私を負ぶって久屋の地下駐車場までおぶって行ってくれた時の父の背中を忘れません。
4月、父の故郷・鹿児島帰郷を兼ねた旅行。最後の家族旅行とわかっていたけれどとても楽しかった。
どうしてこんな性格でこんな趣味になってしまったのか(苦笑)
父としては疑問だらけだろうけど、「人に迷惑かけずに本人が楽しんでるなら全然いいよ」って思ってくれるよね。変なことしてたら天国より笑って見ててください。
旅立ちに欲しいもの、好きな食べ物は全部一緒に持っていかせたから、家に残ったものは色々使わせてもらうね。
車とかデジカメとかオーディオ機器とか。PCと携帯は大切に取っておこう。
デジカメなんて5台くらいあるから1台くらいもらっていくね。あとは全部そのままにしておくから欲しいものあったら何らかの形で教えてね。
晩年は、肉体的にやせ細っていき、強かった父の面影は薄くなっていましたが
優しい父は最後まで変わってなかったな。
もっと一緒に過ごす時間を多くすればよかったとか父の代わりに運転手伝ってあげれば良かったとか、後悔するとキリが無いからほどほどにしておきます。
突然の事で自分でも理解出来ず、悔しかったかな?でもこの2年半弱。本当に頑張ったよね。
お疲れ様、もう大丈夫。あとは天国から生きてる私ら家族を見守っててくださいね。
というわけです。久しぶりの更新がこんな内容ですみませんm(__)m
もともと握手会やライブなどの参加は減ってはいましたが今回の訃報により、しばらくは活動を自粛させていただきます。舞台遠征も自粛します(8月の小林亜実さんの初主演、観たかったなぁ・・・)
皆様、また会うことがあればよろしくお願いいたします。
通夜・告別式・葬儀を終え一息ついたので更新しました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

(故郷・鹿児島の空)
