第1弾は、戦国武将伊達政宗!
「何故、伊達政宗!?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、
政宗は、和歌・狂歌・漢詩・茶道・香道・能楽と多彩な趣味や教養を持つ知識人でもありました。
今回は、伊達政宗が掲げた「仙台100万石構想」を紹介します。
仙台100万石の野望
1591年に奥羽で大規模な一揆が起こり、その黒幕が政宗だと噂される。
豊臣秀吉へ謁見し弁明するも、処罰は免れず。
政宗の領土は72万石から58万石へ大幅減封、山形県から宮城県への国替え、大幅な家臣団の増加となった。
当時は「石高=給料」のため、減封はそのまま収入源となった。
そのうえ召し抱える家臣を大幅に増やされ、家臣に支払う給料にも、
家臣に分け与える土地にも四苦八苦するはめとなる。
しかも国替えされた宮城県は当時は一面の荒れ地。
政宗の力を削ぐための、秀吉の嫌がらせであった。
窮地の中にこそチャンスが潜んでいる!!
膨大な家臣を養いながら、如何に国を豊かにするか、厳しい現実の中、
政宗は下記の3つの策を打ち出した。
①新田開発
②河川改修
③江戸廻米(かいまい)
①新田開発
政宗が目を付けたのは、手つかずの荒れ地。
荒れ地を再耕し、農地とすることで石高を増やすことを考え付く。
荒れ地を耕した者には石高(給料)を倍にし、開拓を奨励した。
②河川改修
農地を耕しても河が氾濫しては意味がない。
大規模な河川工事を行う。
③江戸廻米
政宗は人口爆発中の江戸に目を付け、余剰に採れた米を江戸に出荷し、収益を上げた。
ここで注目すべきは、本来なら悲嘆に暮れるであろう荒涼とした荒れ地を見て、
ビジネスチャンスと捉えた政宗の考え方ではないでしょうか?
また、河川改修・江戸への売却など、インフラまで整えたことです。
戦しかしてこなかった戦国武将で、これほど柔軟な発想が出来る将が他にいたでしょうか?
伊達政宗という人物の偉大さを感じずにはいられません。